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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ドン・シーゲル監督「ダーティハリー」(★★★)

2011-02-06 13:06:52 | 午前十時の映画祭
監督ドン・シーゲル 出演クリント・イーストウッド、ハリー・ガーディノ、アンディ・ロビンソン

 出だしがおもしろいなあ。クリント・イーストウッドがスクリーンに登場するタイミングに合わせて「クリント・イーストウッド」の名前が出てくる。この人がクリント・イーストウッドです――という感じ。そんなことなんかしなくてもいいのに、といえば確かにそうなんだけれど、どこか不思議な親切さが感じられる。
 これはたとえばサンフランシスコの描き方にもあらわれている。殺人事件があり、どこから銃撃したのかクリント・イーストウッドが調べに行く。そのビルの屋上から周りを見渡す。そうするとサンフランシスコの全景が見えてくる。ニューヨークとは違った空気がぱっと広がる。これはいいなあ。地上に降りて(?)、街が描かれるが、その通りの広さ、車の行き来――そのときの空気の動きがニューヨークとは違うというのが、さらにわかる。サンフランシスコがあって、ダーティー・ハリーがいる。これがニューヨークなら、来週見る予定のポパイ(「フレンチ・コネクション」)だね。
 街の空気にかぎらず、この時代の映画は手触り感がいいなあ。アクションはいまの映画と比較すると非常にのんびり(?)しているが、そののんびりのなかに肉体が生きている。ダーティー・ハリーが乗っ取られたスクールバスに飛び乗るクライマックスなんか、ほら、俺にもできそう、と思うでしょ? いまの映画じゃ、俺にもできるというアクションなんてひとつもない。で、逆にできないはずの「マトリックス」のスローモーションの弾丸よけ(体を後ろに、イナバウアー以上にそらす、あれ)なんかの方が、「マトリックス!」なんて叫びながら遊んじゃうよね。
 具体的には描かれないのだけれど、そのスクールバスに飛び乗るシーン、あれができるのは誰かがバスの前で車をゆっくり走らせるからだね。上層部にはダーティー・ハリーをこころよく思わない人がいるんだろうけれど、現場では慕われていて、協力する警官がいるということをうかがわせる。このあたりの呼吸も気持ちがいい。
 最後の最後、なぜ犯人はバスに乗っている児童を人質にせず、炭鉱へ逃げ込むのか――なんてツッコミは、まあ、やめておきましょうね。
                    (午前10時の映画祭、青シリーズ1 本目)


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