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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

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自民党憲法改正草案再読(29)

2021-10-24 11:31:10 |  自民党改憲草案再読

自民党憲法改正草案再読(29)

(現行憲法)
第五章 内閣
第65条
 行政権は、内閣に属する。
(改正草案)
第五章 内閣
第65条(内閣と行政権)
 行政権は、この憲法に特別の定めのある場合を除き、内閣に属する。

 私は法律の専門家ではないし、憲法についても特に「研究」したことはないが、改正案のこの条文は読んだ瞬間に違和感を覚える。「特別の定めのある場合を除き」ということばの位置に疑問を感じる。
 たとえば、「国会」に関する第63条の第2項。改正草案でさえ、こういう書き方をしている。

2 内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、答弁又は説明のため議院から出席を求められたときは、出席しなければならない。ただし、職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない。

 「ただし、」という形で補足している。それにならえば、

 行政権は、内閣に属する。ただし、この憲法に特別の定めのある場合を除く。

 というのが、ふつうの「法」の書き方だろう。最初の規定を、次の文章で補足する。しかし、改正草案は「補足」ではなく、最初から「条件」として組み込んでいる。これは別な言い方をすれば、最初から「特定の場合」を想定している、万が一こういうことが起きたらではなく、いつでも万が一のことが起きている、すべてのことを万が一にしてしまうということである。
 つまり。
 改正草案は「緊急事態条項」が「売り物」だが、「緊急事態」を万が一の出来事にあてはめるのではなく、いつでも何に対してでも、万が一をあてはめ「緊急事態」にしてしまうということである。
 そして、「行政権」をはじめとする「権力」を「内閣」という組織ではなく「内閣総理大臣」個人に属するものにしようとしているのである。
 北朝鮮がミサイル実験をする。これは緊急事態である。行政権を内閣総理大臣に与えてしまう。内閣総理大臣個人の意志でどうするかを決定してしまうということである。
 内閣と内閣総理大臣が違うものであることは、行政権を定義したあと、憲法が内閣の定義にうつっていくことからもわかる。

(現行憲法)
第66条
1 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
(改正草案)
第66条(内閣の構成及び国会に対する責任)
1 内閣は、法律の定めるところにより、その首長である内閣総理大臣及びその他の国務大臣で構成する。
2 内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。
3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う。

 この第66条は、あくまで「内閣」の定義であり、「内閣総理大臣」の定義は、さらに次の条項まで待たなければならない。こういう「法」の定義構成から見ても、第65条の「この憲法に特別の定めのある場合を除き」という「条件」の「挿入」の異様さがわかる。
 それとは別に。
 ここでは、おそろしい「改正」がおこなわれている。
 現行憲法では「文民でなければならない」と規定されているものが、改正草案では「現役の軍人であってはならない」と変更されている。「現役の」ということわりは、逆に言えば「元軍人」なら内閣総理大臣にもその他の大臣にもなれる、ということである。
 さらに「現役の軍人であってはならない」というのは「現役の軍人」が総理大臣や大臣になることを禁じているが、内閣総理大臣や大臣が「現役の軍人」になることを禁止していると言えるのかどうか。きっと「禁止していない」。
 あとで出てくるが、内閣総理大臣が「最高指揮官として、国防軍を統括する」とき、内閣総理大臣は「軍人」ではないのか。軍人じゃないのに、軍を指揮する、統括する、というのは、私には理解できない。

 この改正案で、私が疑問に思うのは、第3項。
 現行憲法の場合、私はこれを「不信任可決」と結びつけて理解していた。国会で不信任が可決されたとき、信任が否決されたとき、内閣は国会を解散できる。国会に対して「連帯責任」があるから、国会が信任しないなら、内閣と国会とどちらの言うことを正しいと判断するか、それを国民に問う。それが衆議院の解散、総選挙。つまり、この条項があるかぎり、私は内閣(総理大臣)が自分の都合で解散を宣言するというのは憲法違反になると思う。今回の解散でも、「憲法第七条にもとづき」云々といっていたが、第7条は「天皇」の権能について規定したもの。内閣に解散の権限をあたえている、という解釈はどうしたっておかしい。
 なぜ、改正案は削除しなかったのか。きっと、現行憲法の規定を理解できていないのだ。だから、見落としたのだ。
 ほかのことに夢中になっていたからだ。
 というようなことを、いまさらのように書いているのは、「第7条にもとづく解散」というようなことを許せば、たとえば「この憲法に特別の定めのある場合を除き」や「現役の軍人であってはならない」という規定は、もっとテキトウに解釈されてしまうことが予想されるからである。狙いがほかにあって、そのことに夢中なために「改正し忘れた」ということだと思う。
 この改正草案を書いたひとは、非常に狡賢いが、狡賢すぎて(策におぼれすぎて?)、ときどきミスをしているのではないか、と思う。改正草案の「味方」をするわけではないが、こんなポカをやる人間が改正草案を書いたという「証拠」として上げておく。ポカをする人間に憲法改正のような重大な仕事を任せてはいけない、という意味で。
 あるいは、この「連帯責任」は、失敗したら責任を国会になすりつける、「悪いのはぼくちゃんじゃない、国会が悪いんだ」というための、「いいわけ」の先取りかもしれない。「ぼくちゃん悪くない」というためのものだとするならば、何度か書いてきたが、自民党は改憲草案を「先取り実施」しつづけていることになる。
 ポカというより、こう読んだ方が「実態」に近いのかもしれない。

 


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