北川透『わがブーメラン乱帰線』(6)(思潮社、2010年04月01日発行)
あ、もう六日目なんだねえ。私は何を書いてきただろうか。北川は何を書いてきたんだろうか。申し訳ないが、いい加減、記憶があいまいになる。わかるのは「六日目」だけですねえ。
で、私の街では、いまは雨シーズン。きのうの雨が残っている。犬を散歩させていると、公園に水たまりがある。水が大好き、泥んこ遊びが大好きなわが家の犬は、水たまりのなかで立ち止まる。ちょっと顔を上げて、「いい?」と目で聞く。泥んこ遊びを嫌いなオーナーさんがいて、「だめーっ」「汚れる」と大声を出すときがある。私は平気だけれど、そういう「他人」の声にも反応する犬なので、「ご意見うかがい」を目でするわけなんです。
「いいよ」と返事をすると、びしゃっと腹這いになる。そこからごろごろごろ。存分に体を泥水で冷やしたあと、ぷるぷるぷるっ。
「すんだ? 遊んだ? きょうはお風呂だね」
風呂が大好きなので、あとはとっとっとっとっと家まで小走り。
あ、北川の詩とは関係ないことを書いてしまいましたねえ。でも、いいじゃないですか。六日目なんだもの、少しくらい寄り道したって。どんなことであれ、他人を刺激するなら、それは、詩。私は、いまが雨シーズンでなければ、きっとこの書き出しには反応しなかった。けれど、たまたま雨が降っていた。だから、それを「入り口」にして北川のことばに反応してしまった。
詩には、そういう要素もある。いや、そういう要素しかないかもしれない。いまの自分とまったく関係ないことばに出会っても、そんなことばについてあれこれ考えるなんて、きっとできないと思う。
で、「雨」から、きょう詩に接近していくのだけれど、つづかないですねえ。
「雨」を振り切って、北川のことばが動いていく。ぜんぜん関係がないところへ動いていく。話者(?)も北川(らしい、男)から、北川の妻(らしい、女)にかわって、その妻は、なにやら嫁の浮気(?)を喫茶店で覗き見している。--このスピードと、ことばの動きに余分なものがない、いや、夾雑物だらけなのだけれど、スピードが速いので、それが夾雑物という印象がないので、そのままぐいぐいひっぱられていく。
ストーリー(?)がつづかないのに、何がどうなっているのかわからないのに、そのことばのスピードにひっぱられて、いっしょに掛けだしてしまう。
そして、その瞬間に思うのだ。
北川が書いているのは、そういうことだな。「内容」ではなく(と言い切ってしまうと申し訳ないが)、ことばのスピード。軽さ。そして、強さ。いろんなものを抱え込みながら、どこまでもどこまでも疾走する。
妻のことばは、かっこ( )のなかに、さらにかっこ( )にはいっている。つまり((…………))という形で書かれているが、それはある意味では、北川のことばのなかに乱入してきた「他人」のことばであるが、そういうことばさえ、北川はかっこにくくって自分のものにしてしまう。闖入してくるものを邪魔者として取り除くのではなく、あるいは闖入を拒絶するのではなく、どんどん取り込み、それを北川のことばを押し進めるエネルギーにしてしまう。
なんでもいいのだ。ことばでありさえすれば、そのことばには詩になる可能性がある。いや、詩を生み出すためのエネルギー、圧力になる。過去の自分の詩集のことばも、中也のことばも、ネルヴァルのことばも、どんどん取り込む。取り込みながら、いまの自分のことばとの違いを見つけ出し、その「違う」なにかに突き進んでゆく。
闖入してくることば、あるいは意識が呼び込んでくることば(引用)は、北川を邪魔すると同時に、北川のことばが突き進み、突き破るための対象にもなるのだ。この「矛盾」。「矛盾」をものともしないというよりは、「矛盾」をみつけて大はしゃぎする北川の、そのことばのよろこびが楽しい。
(と、書いて、私は、ふとわが家の犬、いまキーボードをたたく私のそばで眠っている犬の、あの水遊びを思い出す。楽しいよねえ。むちゃくちゃができるは、楽しいよ。良識ある誰かが、「だめーっ」と叫ぶことをするのは楽しいよ。)
いいなあ、この何もかもが区別がなくなり、融合してしまう瞬間。醜い、だからこそきれい。きれい、だからこそ醜い。矛盾したものは、矛盾しているからこそ、矛盾していないのだ。
そういうことばのあとに、北川は、なんとも不思議な愉悦に満ちたことばを書いている。
からはじまり、
途中に「桜桃忌」ということばもでてくるが、最後は「サフラン摘み」だね。罪だねえ。このことば遊び。そして、このことばのリズム--なんと、短歌である。短歌の抒情的(日本的感性?)を突き破りながら、リズムだけ利用して、動くことば。
ことばは、どこへでも動いてゆけるのだ。
……六日目の朝が来た……雨が降って……庭の地面が柔らかいので……
あ、もう六日目なんだねえ。私は何を書いてきただろうか。北川は何を書いてきたんだろうか。申し訳ないが、いい加減、記憶があいまいになる。わかるのは「六日目」だけですねえ。
で、私の街では、いまは雨シーズン。きのうの雨が残っている。犬を散歩させていると、公園に水たまりがある。水が大好き、泥んこ遊びが大好きなわが家の犬は、水たまりのなかで立ち止まる。ちょっと顔を上げて、「いい?」と目で聞く。泥んこ遊びを嫌いなオーナーさんがいて、「だめーっ」「汚れる」と大声を出すときがある。私は平気だけれど、そういう「他人」の声にも反応する犬なので、「ご意見うかがい」を目でするわけなんです。
「いいよ」と返事をすると、びしゃっと腹這いになる。そこからごろごろごろ。存分に体を泥水で冷やしたあと、ぷるぷるぷるっ。
「すんだ? 遊んだ? きょうはお風呂だね」
風呂が大好きなので、あとはとっとっとっとっと家まで小走り。
あ、北川の詩とは関係ないことを書いてしまいましたねえ。でも、いいじゃないですか。六日目なんだもの、少しくらい寄り道したって。どんなことであれ、他人を刺激するなら、それは、詩。私は、いまが雨シーズンでなければ、きっとこの書き出しには反応しなかった。けれど、たまたま雨が降っていた。だから、それを「入り口」にして北川のことばに反応してしまった。
詩には、そういう要素もある。いや、そういう要素しかないかもしれない。いまの自分とまったく関係ないことばに出会っても、そんなことばについてあれこれ考えるなんて、きっとできないと思う。
で、「雨」から、きょう詩に接近していくのだけれど、つづかないですねえ。
「雨」を振り切って、北川のことばが動いていく。ぜんぜん関係がないところへ動いていく。話者(?)も北川(らしい、男)から、北川の妻(らしい、女)にかわって、その妻は、なにやら嫁の浮気(?)を喫茶店で覗き見している。--このスピードと、ことばの動きに余分なものがない、いや、夾雑物だらけなのだけれど、スピードが速いので、それが夾雑物という印象がないので、そのままぐいぐいひっぱられていく。
ストーリー(?)がつづかないのに、何がどうなっているのかわからないのに、そのことばのスピードにひっぱられて、いっしょに掛けだしてしまう。
そして、その瞬間に思うのだ。
北川が書いているのは、そういうことだな。「内容」ではなく(と言い切ってしまうと申し訳ないが)、ことばのスピード。軽さ。そして、強さ。いろんなものを抱え込みながら、どこまでもどこまでも疾走する。
妻のことばは、かっこ( )のなかに、さらにかっこ( )にはいっている。つまり((…………))という形で書かれているが、それはある意味では、北川のことばのなかに乱入してきた「他人」のことばであるが、そういうことばさえ、北川はかっこにくくって自分のものにしてしまう。闖入してくるものを邪魔者として取り除くのではなく、あるいは闖入を拒絶するのではなく、どんどん取り込み、それを北川のことばを押し進めるエネルギーにしてしまう。
なんでもいいのだ。ことばでありさえすれば、そのことばには詩になる可能性がある。いや、詩を生み出すためのエネルギー、圧力になる。過去の自分の詩集のことばも、中也のことばも、ネルヴァルのことばも、どんどん取り込む。取り込みながら、いまの自分のことばとの違いを見つけ出し、その「違う」なにかに突き進んでゆく。
闖入してくることば、あるいは意識が呼び込んでくることば(引用)は、北川を邪魔すると同時に、北川のことばが突き進み、突き破るための対象にもなるのだ。この「矛盾」。「矛盾」をものともしないというよりは、「矛盾」をみつけて大はしゃぎする北川の、そのことばのよろこびが楽しい。
(と、書いて、私は、ふとわが家の犬、いまキーボードをたたく私のそばで眠っている犬の、あの水遊びを思い出す。楽しいよねえ。むちゃくちゃができるは、楽しいよ。良識ある誰かが、「だめーっ」と叫ぶことをするのは楽しいよ。)
これ以上は危険だ。シマヴィ、わたしに近づかないでおくれ。
いや、近づいておくれ。おまえとわたしの区別がつかないほどに。
醜いがきれい、きれいが醜い、醜いがきれい。
いいなあ、この何もかもが区別がなくなり、融合してしまう瞬間。醜い、だからこそきれい。きれい、だからこそ醜い。矛盾したものは、矛盾しているからこそ、矛盾していないのだ。
そういうことばのあとに、北川は、なんとも不思議な愉悦に満ちたことばを書いている。
みずみずと熟したわたしのサクランボ噛んでもいいけどやわらかに
からはじまり、
錯乱よああサフランよランボーよ 地獄の季節に サクランボ摘み
途中に「桜桃忌」ということばもでてくるが、最後は「サフラン摘み」だね。罪だねえ。このことば遊び。そして、このことばのリズム--なんと、短歌である。短歌の抒情的(日本的感性?)を突き破りながら、リズムだけ利用して、動くことば。
ことばは、どこへでも動いてゆけるのだ。
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