詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

最果タヒ『恋と誤解された夕焼け』

2024-06-06 13:09:25 | 詩集

 

最果タヒ『恋と誤解された夕焼け』(新潮社、2024年05月30日発行)

 最果タヒは21世紀の谷川俊太郎である、と私は思っている。私には、ふたりはとても似ている。もちろん違う部分もあるが、とても似ているところがある。まだ半分読んだだけだが(49ページまで読んだだけだが)、その最後に読んだ「パール色」という作品にこんな行がある。

血の巡りは独立したまま、
ぼくらは他人のままでいつまでもさみしく、
それなのにとても近かった、

 ここから寺山修司を、あるいは飯島耕一を思い出すひともいるかもしれない。いや、「血の巡りは独立したまま、/ぼくらは他人のままで」ということばを通して、寺山を、飯島を思い出したのは私なのだけれど、その後の展開で、ああ、谷川俊太郎だなあと、改めて思ったのだ。「さみしく」ではなく、次の「それなのに」。
 私は最果の声を聴いたことがない。谷川の声は聴いたことがある。そして、この「それなのに」ということばを、私は谷川のことばを通して聴いたかどうか思い出せないが(それがどの詩につかわれていたか思い出せないが、たぶんつかっていないだろう。なぜなら、それは「キーワード」だからである。「肉体」にしみついたことばであり、谷川にはわかりきってることなので書かない)、「まざまざ」と肉声が聞こえてきた。
 「それなのに」は逆説の接続詞である。反対のものを結びつけるというか、前に言ったこと(書いたこと)を否定し、その先へ進んで行くときにつかことばである。このとき、「それなのに」ということばを発したひとは、ことばが行き着く先をはっきり知っているのだろうか。知ってはいなくても、はっきり予感しているだろう。何かしらの確かさを信じている「それなのに」。
 そして、その「それなのに」は先に言ったことばを(先に存在したことばを)完全に否定しているわけでもない。もし前提がなければ、ことばは先へ進んでいかない。否定はしているけれど、それはことばが先へ進むために必要とした何かなのである。
 だから、というと奇妙な言い方になるが。
 ここには矛盾というよりも、何か深々とした「和解」、あるいは「包容力」のようなものがある。ことばを超える「肉体」そのもののようなことば。だから谷川は書かないが、最果は書く。そこに大きな違いがあるのだけれど、とても似ているところもある。

 もうひとつ似ているなあ、同じことばの動きだなあと感じるのは、最果も谷川も、彼ら自身だけのことばをつかわない。どちらかというと、それは彼らのことばというよりも、だれのものでもあることば、あるいはだれかが話したことばをつかう。シェークスピアみたいに、といえばいいだろうか。ひとが話していることばを受け止めて、それからその声をしっかりと聴いて、そのなかから「自分」を見つけ出してきて語る。そこには谷川がいて、最果がいるだけではなく、もっと多くのひとがいる。その多くのひとのなかへ消えていってしまうことばをつかう。
 そして、違いがあるとすれば、そのときの「ことばが消えていく」先の「ひと」の姿が違うということだろう。別なことばで言えば、「生きている世代」が違う。同じ時代だけれど、同じ時代でも「世代」が違う。
 引用のつづき。

赤い光、青い光、緑の光、
重なれば白くなれると思いながら
それでいいと誰かに言ってほしがっているようだ、

 ことばの「リズム」が違う。音は似ているところがあるのに、谷川と最果では、リズムが完全に違う。
 先の引用した部分でも、「それなのに」をのぞけば、谷川が書けば違うリズムの動きになると思うが、特に、この三行に、それを感じた。最果のことばは、とても急いでいる。谷川が落ち着いて言う部分を急いで言う。最果には、急いで言わないと、だれにも聴いてもらえないという気持ちがあるのかもしれない。それはいまの若い世代(私より若い世代という意味だが)には、とても強いのかもしれない。

きみの心を彗星に乗せて、
さみしさなど追いつけないスピードで、
宇宙の果てに連れて行ってあげる。

 この「彗星の詩」は実は、まだ読んでいない後半に出てくる。帯にあったので、偶然目に留まったのだが、「さみしさなど追いつけない」は谷川も書くと思うが、谷川はそのあとで「スピード」ということばで説明するとは思えない。ここに「スピード」をつかわざるを得ない最果の「急いでいる気持ち」がとてもよくあらわれている。

きみの心を彗星に乗せて、
さみしさなど追いつけない
宇宙の果てに連れて行ってあげる。

 では、最果の詩にはならないのだ。「スピードで」を削除すれば、谷川の詩に、さらに似てくる。「宇宙の果て」ではさらにさみしくなるかもしれない。「それなのに」宇宙の果てに連れて行く。そのときの「スピード」のなかでこそ、「ぼく」と「きみ」はいっしょに生きている。「宇宙の果て」でどうなるか、そんなことは知らない。わかっているのは、いっしょの「スピード」で「いま」を生きているということ。
 
 「浜辺の詩」。

悲しみや痛みに名がなければすべては恋と呼べたのに、
もう涙は海ではないし、すべて愛の言葉にはならない。

 この二行のあいだには「それなのに」が省略されている。「それなのに」と言っていると、その分だけ「スピード」が遅くなる。そうすると、たぶん最果と最果よりも若い世代にはことばが届かないということを、最果は知っている。

 「川じゃない」にも、独特の「スピード」がある。

私の肌はきみと私の間に流れる川じゃない、
私の肌は私のものだ、お前の輪郭を確かめるための川じゃない。
わかる?

 「川」は、聴きようによっては「皮」につながる。「それなのに」、「川」は「皮」に、「皮」は「皮膚」に「肌」につながらない、「川」と「皮」は違うから、もちろん「皮膚」とも「肌」とも違うようなことを言っているわけではないが。
 その「それなのに」を省略したからこそ、「わかる?」と念を押す。
 谷川は、「念を押さない」。「それなのに」とは言うけれど、絶対に「念を押さない」。読者のことばが動くのを、ただ、待っている。最果は「わかる」ということばで、読者のことばを誘い出そうとする。

 「氷の詩」。

きみ優しい子だと言われた回数だけ、
心は柔らかくなり、傷つきやすいまま大人になった。
悲しみを知っている分だけ優しくなれる、
なんて間違いで、悲しみがある分だけ、
昔の私が優しかった証明だった。

 この詩にも「それなのに」が隠れている。このキーワードの隠し方も谷川に似ている。谷川は、しかし「証明だった」とは書かないだろうなあ。「わかる?」と念を押すような書き方はしないだろうなあ、と思う。
 急ぐのが最果のことばの特徴かもしれないし、それが魅力なのだとも思うけれど、急がなくなったことばの運動も読んでみたいなあと思う。私はときどき、その速いスピードに追いつけず、急かせることばを省略して読んでいる自分に気がつくことがある。
 それでは読んだことにならないのだと思うので、こういう感想を書いてみた。「証明だった」まできちんと読んで、それを受け止めている若いひとの感想を聴いてみたい。

 


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1 コメント

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最果タヒの詩 (大井川賢治)
2024-06-06 14:55:44
タヒさんの詩に/もう涙は海ではないし~/があります。涙と海の距離は、かなり近い気がします。谷川さんが設定するとしたら、その距離は、もっと遠い組み合わせにされたのではという気がしました。
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