眼
白い波が頭へとびかかつてくる七月に
南方の奇麗な町をすぎる。
静かな庭が旅人のために眠つてゐる。
薔薇に砂に水
薔薇に霞む心
石に刻まれた髪
石に刻まれた音
石に刻まれた眼は永遠に開く。
最終行はとても有名だ。田村隆一は何度か詩に引用している。石像の描写なのだが、そして、そこに「眼」が出てくるのだけれど、私には、やはりこの作品も「音」の作品である。「音」の詩である。「耳」の詩である。
石に刻まれた音
の「音」は前後の「髪」「眼」から類推すると「耳」の言い換えである。「耳」と書けば簡単なところを「音」と書かずにはいられないのも、西脇が「音」の詩人、「音楽」の詩人である証拠のように思える。
「静かな」ということばで「庭」から「音」をいったん消し去ったあと、西脇は、ことばそのものの「音」を聞きはじめる。「薔薇」のくりかえし、「石」のくりかえし、「薔薇に」「石に刻まれた」のくりかえし。「に」のくりかえし。リズムにのって、ことばがだんだん加速していく。水(具体)→心(抽象)→髪(具体)→音(象徴なので、抽象)→眼(具体)とことばが動く。「音」が具体的なものではなく、「耳」の象徴という抽象を経たために、「眼」も「永遠に開く」という抽象をひっぱりだしてしまう。これは、繰り返しの音楽の呼び寄せた永遠である。
石に刻まれた音
の「音」を「耳」ではなく、石像そのもの、その全体を作り上げるときの「のみの音」ととらえても、同じことがいえる。「音」という、そこにないものを経ることで、「眼は永遠に開く」という世界が誕生するのだ。
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