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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『つい昨日のこと』(21)

2018-07-29 09:30:55 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
21 投票者いわく

 「凡人の権利」の続編のような詩。

陶片投票はやめられない なぜかって?
だって 観客席の取るに足りない身をもって
舞台の主役の筋書きが変えられるてんだから

 「てんだから」の口調で「庶民」の声をあらわしているのだが、私はこの詩に対しても納得できない。「庶民の声」には聞こえない。
 どこが庶民的ではないか。
 一行目の「なぜかって?」である。これは「論理」のことば。「なぜか」に対して、「なぜなら」ということばがつづく。「なぜなら」と言わずに「だって」と高橋は書いているが、ちゃんと「……だから」と締めはおさえている。構文が完成している。構文とは、基本的に「文語」のものである。つまり、知識人のもの。
 「口調」ではなく、「構文」そのものを破っていくスピードがないと、庶民の「肉体」が前面に出てこない。庶民の「わがまま」のたくましさが見えてこない。

死んだら合財 忘れられちまう俺たちのこと
痛くもなけりゃ 痒くもないさ

 これではあまりに「論理的」である。「結論」になりすぎている。「論理」ではなく「肉体」そのもので世の中の瞬間を突き破って生きるのが庶民だと思う。「そんな結論は間違っている」と思わず否定したくなるような力の暴走こそが庶民の歴史だと思う。
 庶民なんか知らない、というところでことばを動かした方が、高橋のことばは輝かしくなると思う。



つい昨日のこと 私のギリシア
クリエーター情報なし
思潮社

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