* (ここに夕が)
「並んだ日々」のすべてを覚えているわけではない。ある日は「朝」を、ある日は「夕」を、書かれていないが、ある日は「昼」あるいは「夜」を覚えている。一日を印づけるのは、大きな出来事もあれば小さな出来事もある。
「ずり落ちそうな一日」というのは、どんな記憶も呼び覚まさない日のことだろうか。思い出せるけれど「ことば」にすることができない日かもしれない。「ずり落ち」そう、しかし「懸かつている」。「……いる」は「いま」もその状態である、継続しているということ。
ほんとうに書かなければいけないのは、その「一日」である。でも、書けない。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
ここに夕が あそこに朝が
並んだ日々のなかにずり落ちそうな一日が懸かつている
「並んだ日々」のすべてを覚えているわけではない。ある日は「朝」を、ある日は「夕」を、書かれていないが、ある日は「昼」あるいは「夜」を覚えている。一日を印づけるのは、大きな出来事もあれば小さな出来事もある。
「ずり落ちそうな一日」というのは、どんな記憶も呼び覚まさない日のことだろうか。思い出せるけれど「ことば」にすることができない日かもしれない。「ずり落ち」そう、しかし「懸かつている」。「……いる」は「いま」もその状態である、継続しているということ。
ほんとうに書かなければいけないのは、その「一日」である。でも、書けない。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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