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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(39)

2019-06-28 08:49:43 | 嵯峨信之/動詞
* (時と空気と)

時と空気とがずれると
息がとまる

 時間と空間ではなく「時と空気」。
 こう書くとき、嵯峨は「時」をどんなふうにとらえていたのだろうか。
 「時」の実感はなく、「空気」の密度(濃度)のようなものだけが、息苦しいまでに実感されている。空気だけが「時」を置き去りにして希薄になったのか、空気が「時」に押し寄せて濃密になったのか。どちらの場合も瞬間的に息ができないと感じるだろう。
 後半を読むと、嵯峨がどちらを感じていたかわかるのだが、そのことについては書かない。「意味」になりすぎるから。
 私は後半の「意味」よりも、一行目の「ずれる」がおもしろいと思った。
 「時」と「空気」は一体のものかもしれないが、別々の名前で呼ばれ、別々であると意識したときから「ずれ」が始まる。
 「ずれ」が他のものに影響していく。それが引用しなかった後半の「意味」である。










*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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