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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(28)

2019-06-17 00:00:00 | 嵯峨信之/動詞
* (行きつ戻りつすることで)

行きつ戻りつすることで文字を覚える

 どこを「行きつ戻りつする」のだろうか。「場所」ではないのかもしれない。何かと出会う。その前を通りすぎる。再び戻ってくる。繰り返していると、「出会ったもの」の印象が変わってくる。少しずつ自分になじんでくる。「肉体」が何かを「覚える」。「出会ったもの」の全体的な感じを覚える。
 しかし、嵯峨が書いているのは、「文字を覚える」である。「文字」とは「肉体の記憶」というよりも「頭」の記憶かもしれない。
 嵯峨のことばの特徴の一つに「清潔さ」がある。「肉体」でつかみとるというよりも「頭」で整理しなおしている感じがする。嵯峨は「頭」ではなく「魂しい」というかもしれないが。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(27)

2019-06-16 09:07:29 | 嵯峨信之/動詞
* (歩いても)

雨になつた
そのときぼくにははじめてわかつたのだ
死んだあとの静かな土地には
地名が消えていることを

 「雨になつた」という一行は、それにつづくことばを導き出すためのものだが、とても印象に残る。後半の「意味」の重いことばと向き合って屹立している。
 「なる」という動詞の強さによるものだろう。
 「なる」があってはじめて「消える」が効果的だ。
 「消える」の主語「地名」は、やはり何かが「地名」に「なった」ものなのだ。

 この四行の先立つ連に、次の行がある。

永遠と一日とのあいだを行つたり来たりしているのだろう

 「永遠と一日」からは「永遠+一日」(永遠よりも、もう一日長い)という感じを思い浮かべてしまうが、嵯峨は対比してつかっている。
 この対比を借用すると、「雨になつた」は「一日」、「地名が消える」は「永遠」なのかもしれないが、「雨になつた」が「永遠」、「地名が消える」は「一日」と読んでみるのも刺戟的かもしれない。





*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(26)

2019-06-15 14:55:33 | 嵯峨信之/動詞
* (石臼を)

すつかり疲労したわたしは冷めたい路上に横たわる
大地に舌をつけて
ただ生の苦い塩を舐める

 「冷めたい」と「塩」が呼び合っているように感じられる。
「舌」は「舐める」につながり、「舐める」が「塩」を呼び寄せるのだが、それに先立つ「冷めたい」がこころに響く。





*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(25)

2019-06-14 14:57:28 | 嵯峨信之/動詞
* (魂しいのなかに)

魂しいのなかに
なぜぼくをつれ戻そうとするのか

 私は「魂」というものの存在を実感したことがないので、「頭」でことばを動かすしかないのだが、一般に「魂」は人間の体のなかにあると理解されていると思う。いいかえると「ぼく」のなかに「魂」はある。
 ところが、嵯峨は、逆のことを書いている。
 まず「魂しい」があって、そのなかに「ぼくをつれ戻す」。
 でも、だれが? 「魂しい」が、ということになる。
 そのとき「魂しい」とはだれのものなのか。「ぼく」のものか。「ぼく」以外のものか。
 「論理」に整合性を持たせようとすると、「魂しい」は「ぼく」のものではない。「魂しい」という名の、一種の人間(いのち)の「理想」のようなものである。そのなかに「戻る」ことによって、「ぼく」は人間に「なる」ということかもしれない。







*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(24)

2019-06-13 10:58:23 | 嵯峨信之/動詞
* (言葉が)

だれも見ていないところでは
言葉は素裸になる

 どうして嵯峨はそれを知っているのか。「だれも見ていないところ」で起きることならば、嵯峨にもそれを目撃する機会はない。
 だから、これは「現実」ではなく「理想」なのだ。
 嵯峨は「素裸」のことばを求めている。
 だれにもつかわれていないことば、新しい動きをすることばを。





*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(23)

2019-06-12 10:59:56 | 嵯峨信之/動詞
「雑草詩篇 Ⅰ」

* (地平線から)

地平線から解き放たれて
鳥たちは西の空へなだれ落ちていつた

 これは「天地」が逆になった世界か。空へ飛び立っていく姿を「落ちていつた」と書いたのか。つまり「落ちていつた」は比喩なのか。
 私は「比喩」とは読まなかった。
 鳥が自分の立っている場所よりも低い空を飛ぶのを見ることがある。たとえば山の頂きから。あるいは、芭蕉のように峠から。
 夕暮れ、鳥たちが崖を下るように、「下」にある空に向かって「なだれ落ちていく」ように飛ぶことはある。
 嵯峨は「なだれ落ちる」という動詞をつかいたかったのだ。しかもそれを「解き放つ」ということばの言いなおしとして。

小さな齧歯類は暗い沼の淵をそそくさと横切つた

「なだれ落ちる」は「暗い」と結びつく。「西の空」も「暗い」夜と結びつく。

嵯峨のことばは、「暗さ」そのものとは結びついている感じはしないが、間接的に響きあっている印象がある。この作品では、その要素が強く出ている。
















*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(22)

2019-06-11 11:00:44 | 嵯峨信之/動詞
* (心の領地に)

心の領地に
ぼくの行つていない小村がある
その未知の村の片隅に
泉が小さく溢れている

 「未知の村」なのに「泉が小さく溢れている」ことがわかる。これは矛盾だが、矛盾だからこそそれが「真実」になる。「真実」とは「確信」のことである。
 泉の水が溢れるように、「信じる」という動詞が溢れる。他人にはわからなくても、嵯峨にはそれがわかる。



*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(21)

2019-06-10 11:01:55 | 嵯峨信之/動詞

* (水の渦巻を)

水の渦巻を解こうとしても
解いたものはだれもいない
ひたすら時の要素のなかへほどけている

 「解く」と「ほどける」。「ほどく」ではなく「ほどけている」。
 それは「答え」なのか、あるいは「答え」のあり方なのか。
 「ほどかれている」と読み直したい。「解こうとする」から「解けない」。そのままにしておけば、自然に「ほどかれて」、それはどこかへ消えていく。
 「ほどけている」よりも「ひたすら」の方にことばの重心があるのかもしれない。とどまることなく、「ひたすら」ほどかれたものが去っていく。

もしぼくがすべての時から解き放たれるなら
言葉からもぼくはたち去るだろう





*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(20)

2019-06-09 11:37:33 | 嵯峨信之/動詞
* (時はいやおうもなく)

時はいやおうもなくぼくの全身を消そうとする

 「時」に意志はあるか。「時」が消そうとするのか。
 「ぼく」がそう感じるだけなのか。
 そのとき「ぼく」は消されたがっているのか。消されることに抵抗しているのか。
 「いやおうもなく」は、そのどちらにも加担しない。「動詞」が何であれ、「いやおうもなく」という「動き」があるだけだ。その「いやおうもなく」が「時」だと言っているようだ。






*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(19)

2019-06-08 09:47:16 | 嵯峨信之/動詞
「火の鳥」

* (なにもかも)

なにもかも燃やしつくそうとして
自分で燃えつきた火の鳥
空を炎でかきまわし
存在しない名をかいて飛びさる火の鳥

 火の鳥は、「どこに」名を書くのか。「何で」名を書くのか。
 二連目。

他の空はむなしく
心のはてまでのびていて大きな虹がかかつているだけだ

 火の鳥がいる場所が火の鳥の空になるのか。
 「他の空」ということばが、何か巨大に感じられる。
 「むなしく」は「他」を修飾するようにも、次の行の「のびる」を修飾するようにも、「虹」を修飾するようにも、さらには「かかる」を修飾するようにも読むことができる。その対象を限定しないことばが、「巨大」という感じを呼び覚ます。
 嵯峨が書きたかったのは一連目かもしれないが、私が「読む」のは二連目である。



*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(18)

2019-06-07 12:59:44 | 嵯峨信之/動詞

* (話はやめたまえ)

窓の外を見よう
いま流れている筏はみな雪がつもつている

 「つもつている」という動詞はこころを刺戟する。
 情景とは別に、こころにつもったままの何かがある。「つもる」は「重くなる」につながる。こころのなかに「重い」何かがあって、それが「雪がつもつている」ということばになる。
 「いま」ということばが、その「つもったまま」のものにスポットを当てる。

かつて
つぎつぎに流れてくる筏の上には屍体があつた




*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(17)

2019-06-06 10:07:08 | 嵯峨信之/動詞
* (夏のあいだ)

矢のようにかすめさつた漕手のない一艘の大型カヌーがあつて
心の襞に大波小波がうちよせた

 「大波小波」はカヌーを奪っていった波なのだろうが、カヌーが走るときに起きる波にも感じられる。
 「心の襞」ということばが、「情景」を繊細にさせる。視界よりも、心の中に残っている映像。それが打ち寄せる。
 カヌーを奪った波なら、心をも奪うか壊してしまうだろう。



*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(16)

2019-06-05 09:50:39 | 嵯峨信之/動詞
* (時の壁に)

時の壁に魂を投げつけると火花を散らして言葉がとびだす

 ことばが飛び出すのは「時」からだろうか。「魂」からだろうか。
 この一行目の「魂」は、こう変化する。

ひとが知つたことは
言葉と文字 そのいくつかだろう
でもいつかはその二つのものに魂しいは縛られる

 「魂しい」と「しい」というひらがな(送り字)つきの、嵯峨特有のことば。
 「魂」と「魂しい」は書き分けられている。
 「魂」は多くのひとが思い描いているもの。それを「時の壁」に投げると「言葉がとびだし」、「魂しい」がうまれる。「魂しい」は自分のなかから飛び出した「言葉」に縛られる。
 とびだすは解放、縛るは拘束。あるいは、規制か。自由と不自由ということばも思い浮かぶ。



*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(15)

2019-06-04 09:57:21 | 嵯峨信之/動詞
* (肉体よ)

ぼくは自問する
〈時のトゲ〉に被われていないものはどこにあるか

 「被われていない」「被う」。このとき、「トゲ」はどちらに向いているのだろうか。「トゲ」で身を守っているのか。あるいは「トゲ」が身を傷つけているのか。
 私は、トゲが傷つけている姿を想像した。
 これに先立つ二行の影響である。

肉体よ
もうしばらくぼくの生命を閉ざすのを待つてくれ



*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(14)

2019-06-03 10:47:11 | 嵯峨信之/動詞
* (わたしの右)

(わたしの右)という詩を書いた女が
どんなに大きな世界を左に持つているかぼくは知らない

 しかし、「どんなに大きな世界を右に持つているか」も知っているとは言えないだろう。詩のことばが「右の世界」のすべてではない。むしろ「右」について書かれたことばに触れることで、「左」が「知らない」まま目の前にあらわれてきた。
 ただ「ない」ままなので、それは「無」、あるいは「死」と親和する形になる。

もし氷河が厚くそこまで迫つていたら
男たちはひとり残らず凍死して果てるだろう

 この展開は、とても自然だ。
 嵯峨はこのあと、連を変えて、ことばを独立させる。

それでも一つの唄は残る
あかあかと燃え落ちる一つの宝珠橋が

 「一つ」が繰り返される。それは「残る」、ただし「燃え落ちる(喪失する)」という形で。
 この「唄」と「宝珠橋」は、「右」と「左」を言いなおしたものであり、「右」と「左」は「ふたつ」ではなく「一つ」なのだ。「無」あるいは「死」の前では。
 この詩には書かれてはいないが「ある」という動詞が、この詩を支えている。



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