goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(29)

2019-06-18 09:14:54 | 嵯峨信之/動詞
* (水子たちが)

きまつているのは
水子たちはどこかへ行かねばならぬということだ

 「きまつている」。これは、だれが決めたことだろうか。「きまつている」は「決める」よりも強い。「決める」を超える力がそこにある。
 そして、その力が「行く」をぐいぐいと押す。
 もどることはできない。「行く」だけなのである。

帰路のないひそかな遠いところへ

 「ひそかな」ということばは、「きまつている」と結びついている。「きまつている」(確実である)から、「ひそか」であっても揺るがない。水子は消えるが、その消える場所は「消える」ということがない。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメールでも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 嵯峨信之『土地の名-人間の... | トップ | 野村喜和夫『薄明のサウダージ』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

嵯峨信之/動詞」カテゴリの最新記事