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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

こんなもののために

2018-01-14 09:31:08 | こころ
 
 どこで目にしたのか思い出せないのだが、〈おいしい生活〉のコピーライター・糸井重里氏の言葉にこういう主旨のものがあった。
「何を大切にして自分が生きているかを日々気にしているだけで、人生変わってくる」

 これを読んで以来、目の前のことが自分にとって重要なことなのかどうか、少し気にするようになった。例えば、
  ・こんなことでイライラするために、
  ・こんなことで悩むために、
  ・こんなダイレクトメールをいちいち処理するために、
  ・こんな下らないテレビを見るために、
  ・こんなネット記事だらだら眺めるために、生きてるんじゃない、という。

 あるいは人によっては、
  ・こんな仕事するために、
  ・こんな上司/社長の顔色窺うために、
  ・あんな男/女の言動にヤキモキするために
  ・カミさん/ダンナの機嫌とるために(もちろん、カミさん(ダンナ)は大事にしないといけない)
  ・こんなもの後生大事に取っておくために、生きたくはない、というのもあるだろう。
 最後のものはまた「断捨離」にも通じる。顔も思い出せないような人の名刺、置いといても邪魔になるだけのゲーム機、等々…。

 面白くもない親父ギャグには付き合う必要も、ない。
 とは言え、当の上司は上司で「オレ様に気を遣え」などと思っているかもしれないが、そんなこと忖度する必要も、ない。自分の気持ちに素直に従えばいいはず。

 …もちろん人生には、無駄も余裕も必要なのであるが。

 以前から思っていることの一つに、例えば2万円無駄遣いしたとして、自分が臨終の際に後悔するかっていうのがある。おそらくそんなこと、死ぬ間際ではどうでもいいことであるに違いない。

 〔写真は、今年の初日の出〕

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