eSSay

エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

100%安全って

2012-06-17 09:13:33 | 時事
 
 福井県の大飯原発が再稼働だそうだ。「絶対に安全でない限り動かすべきではない」という意見、ごもっとも。しかし原発にしろ何にしろ「絶対安全」「100%安全」ってそもそもあり得るのだろうか、という話。
 もちろん僕も、できることなら原発はやめた方がいいとは思っている。

 ビルにしろ原発にしろ、航空機や巨大隕石がぶつかればひとたまりもないだろうし、テロだってあるかもしれない。「100%安全」なんてことは、まずあり得ない。
 隕石は極端だとして、じゃあどこまで考えれば「安全」と言えるかどうかってことになるんだけれど、それは決めきれない。確率の話になってしまうし、考える人によってまちまちになるから。だから議論はすれ違ってしまうことになる。

 誰しも「100%安全だから」と思ってクルマに乗っているわけでも道を歩くわけでもなかろう。日本でも世界でも毎日交通事故は起きているわけだし、99.999…%は安全だろう、としか言いようがない。
 食べ物だって同じ。おそらく大丈夫とは思っても、たまに食中毒だって起きるし、悪意のあるイタズラがあれば健康被害は免れない。また添加物によるアレルギーや害も、将来どの時点で起きるかはよくわかっていない。砂糖だって醤油だって水だって、摂りすぎれば害になるものだ。しかしだからと言って、僕ら食べないわけには行かない。
 薬の場合はそれが顕著に現われる。効かなきゃ意味ないけれど、効きすぎあるいは別の所に効いてしまうと良くない。有効性と安全性という、要はバランスの問題になってしまうのだが、特に抗がん剤などでは、副作用強いからといって投与しなければ死んでしまうのであれば、それは投与せざるを得ないだろう。

 電気が足りなくなることで、仮に熱中症により何千人も死んでしまうのであれば、産業が大打撃を被って何万人もの人々が失業するのであれば、あるいは火力発電では二酸化炭素排出が多くなり過ぎるのであれば、もちろん積極的な支持とはならないまでも、再稼働やむなしという考え方もあろうかと思う。
 もちろん100%目指しての努力は必要だけれど、100%完全な人間がいないように、100%安全なものってのも、ないに違いない、おそらく。(…てなことを考えていたら、逆に安心感が出てきたりもする)

 ところで、1票の格差についての議論がまたこのところ喧しいようだけど、1票の格差なくなれば政治/世の中良くなるかっていうと、単純にそういう訳にもならないだろうと思う。格差あろうがなかろうが、選挙行く人は行くし行かない人は行かない、はず。
 それより、死に票をできるだけ少なくする施策の方が大事なのではないか、と。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする