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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

海外出張報告(インド)

2006-03-19 08:57:17 | エッセイ
 
 これまではアメリカ・ヨーロッパだったが、今回初めてインドと中国へ。

 写真家・藤原新也だったか、アメリカとインドは見ておけ、という言葉がある。世界で最も進んだ国と、その対極にある国だからだ。アメリカへは2回行ってるし、もう一つのインド、ということで楽しみだった。どちらも仕事なのは残念だが。

 インド。伊豆半島で言えば下田あたりに相当するチェンナイ(旧マドラス)という都市。幹線道路は舗装されているものの、道端はまだ土がむき出し。そんな道を、車やバイクがひしめき合いながら走っている。古びたバスにはドアも窓ガラスもなく、シャッターがあるようだが開けっ放し。車の方は、上流階級だけが持っているものらしく、きれいな車ばかり。スズキ、ホンダ、現代、ワーゲン…。また、バイクに乗っている人はほとんどノーヘルで、2人乗りも結構いるが、後ろの人が前の人にしがみついていることはなく、自分の膝に手を置いているのは不思議だった。よほど足腰がしっかりしているのか。
 車とバイクとバスと三輪のタクシーと、信号もほとんどないため、右折左折や追い越しは割り込んだ者勝ち、というより勇気のある者勝ち。下手に信号機作ると、却って渋滞するのだろう。またクラクション、パッシングは当たり前。トラックの後ろには“HORN PLEASE”(クラクション鳴らしてね)と書いてあるほど。
 それと、横断歩道もろくにないから、人がやたらと道を横断しようとする。ギリギリのところで車をかわすが、中には道の真ん中で立ち往生するグループも。
 ただ、そんな車たちも、ヒンズー教で神聖なものとされる牛にだけは、道を譲っていた。高速道を、象が悠々と歩いているのにも出くわした。

 ホテルを一歩出ると、香料と腐臭の交じり合った独特の匂い。そして平日の真っ昼間だってえのに、人がやたらといる。上半身裸で道端に座り込んでいる者、そして物乞いも。子供、老婆、赤ん坊を抱いた女性、赤ん坊を抱いた子供までいる。しかしわずかでもあげればまた集まってくるのは目に見えているので、あげられない。日本円で高々10円でも、彼らにすればその100倍の価値がある。一緒に行った会社の人間は、真剣に悩んでいた。ただ、近づいてきても臭くはなかったので、小ぎれいにはしてるのだろうと思った。
 会社からは3人で行ったのだが、その3人で歩くと一番恰幅のいいのがタカられるのだが、同行のドイツ人と一緒だと、そのドイツ人のところへウジャッと。例えは悪いが、砂糖に群がるアリのようであった。ただ、僕ら日本人が同じアジア人として彼らに同情するほどには、ヨーロッパ人には、そんな感覚はないようだった。「遠い国の貧しい人々」といったような感じ。

 もう一つ行った中西部のムンバイ(旧ボンベイ)では、歩道上、何百メートルにもわたってバラック状の家が並んでいた。また、高級マンションのすぐ隣に貧民街が拡がっているのは、何とも考えさせられる風景だった。インド11億人のうち、中流が3億人ほど、上流がおそらく数百万人、それ以外は貧民、ということは実感できた。
 去年暮れに、クリスマスケーキやプレゼントなんて関係ない人たちがこの地球上にいる、というようなことを書いたが、確かにいた。ケーキはおろか、チョコやガムさえ口にしたことがないような人たちが。それもわんさと。

 ウジウジしながら生きている人たち、またそうでない人たちでも、一度はインドへ行ってみるべし。ただ、僕もやってしまったが(訪問先で食べた生野菜が悪かったか?)、おなかには気を付けて。正露丸が効かないウイルス性の場合もあるので、ビフィズス菌の薬も必須だ。ヨーグルトキャンディもあるといい。僕もたくさん持って行った。それと下痢でおしりの穴がヒリヒリするので、キップパイロールのような塗り薬も。

 食べ物のことも書いておこう。炒めご飯にしろスープにしろ、やはりスパイスの効いたものが多い。最初は物珍しいから食べるけど、だんだんツラくなってきて、スパイシーでないものが欲しくなる。
 それから、赤道に近いせいか、三日月はほとんど真横、受け皿のような形だった。

 しかしあの物乞いの子供の声は、忘れられない。“Money, sir. I’m hungry, sir. …”

(インドは書くことが多すぎた。中国のことは、また後日)
コメント
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