今日は、71回目の原爆記念日です。昨夜より広島は、祈りに包まれています。
子どもの頃、お隣りの家には、母より少し年配の姉妹とそのお母さんが住んでおられました。家で洋裁をしておられて、私はよく、遊んでもらっていました。その頃、父がその姉妹のことを、「ひばくおとめ」と言っていました。当時の私には、何のことだか解りませんでした。被爆が原因で、嫁に行かなかった人のことだと知ったのは、そのご一家が引っ越された後でした。舟入で被爆されたそのご一家は、皆さん身体にケロイドの跡がありましたが、私の祖母も腕にケロイドの跡があったし、母も体中にガラスの跡があるので、特に何も感じたことはありませんでした。
もう3人とも、浄土に旅立たれただろうと思いますが、何だかあの頃に近付きつつあるこの世を、どんな思いで眺めておられるでしょうか。
子どもの頃、お隣りの家には、母より少し年配の姉妹とそのお母さんが住んでおられました。家で洋裁をしておられて、私はよく、遊んでもらっていました。その頃、父がその姉妹のことを、「ひばくおとめ」と言っていました。当時の私には、何のことだか解りませんでした。被爆が原因で、嫁に行かなかった人のことだと知ったのは、そのご一家が引っ越された後でした。舟入で被爆されたそのご一家は、皆さん身体にケロイドの跡がありましたが、私の祖母も腕にケロイドの跡があったし、母も体中にガラスの跡があるので、特に何も感じたことはありませんでした。
もう3人とも、浄土に旅立たれただろうと思いますが、何だかあの頃に近付きつつあるこの世を、どんな思いで眺めておられるでしょうか。