私の父は、江波の三菱重工で船の図面をひく仕事をしていた。バブルがはじけて、広島から造船部門が消える事になり、名古屋の航空機部門や、神戸の造船部門(造船以外に能の無い父は、神戸の造船に出向した)や…と系列会社に散り散りになった。その出向先の1つに、原発があった。1日仕事に行ったら2~3日休み…と非常に休みが多くて、しかも給料は破格に高かった。家にローンがあるような若い社員は、好んでそこへ異動した。そこに異動した社員さんは、休みは多いけど、身体がだるくて、遊びに出掛けるような気にはならないと言っておられた。福島の原発事故の報道などを見る度に、あの時の父の知り合い達は、そして現在福島原発で働いておられる作業員の方達は、自分たちが向かい合っている危険について、どの程度の知識をお持ちなのだろうか…と思う私なのだった。
気仙沼のフカヒレ屋さんから、メールがきました。会社も作業所も全てが流れてしまったそうです。社員も、それぞれが避難所暮らしで、再建は何年先になるかわからないと書かれていました。残念ですが、1日も早い再建を待たなくては…。