11月4日、ダンナはんの姉の息子、甥なのですがバイク事故で旅立ちました。
その日は甥の19歳のお誕生日でした。
突然のことで本当にびっくりしました。
事故は1週間前に起こり心肺停止状態で病院に運ばれたようです。
意識は戻らぬままの旅立ちになってしまったと聞いてなんと言っていいのか言葉もありません。
子供たちが小さいので、ダンナはんだけ行ってもらおうかとも思いましたが、その甥はさえのお葬式にも法事にも来てくれていました。
私たちが甥のためにしてあげれることは見送ることだけ…ってみんなで行きました。
ダンナはんの仕事が終わってから急いで新幹線で向かいました。
甥の眠っていた場所は、さえのときにもお世話になったとこだったのですが、控え室もホールも同じ場所でした。
甥がさえと重なり悲しさも増します。
甥は穏やかな顔で眠っていました。
冷たくなってるのが信じられない、夢を見てるような気分にもなりました。
甥の友達もたくさん駆けつけてくれて泣いていました。
みんな口々に「おまえと会えてよかった」っとか「いっぱい笑わせてくれてありがとう」っとか言ってくれていました。
明るくて人懐っこい甥、たくさんの友達に恵まれていたんだなって思いました。
私と甥の初対面は、結婚するって挨拶にねえさんの家に行ったときでした。
まだ小学校に上がる前でかわいいやんちゃな男の子って印象でした。
次男がよく似ています。
こうやって書いていても、甥が旅立ったことがなんだか信じられない気分です。
お通夜のときは次女がぐずるので、私はその場を離れていました。
心配していた葬儀のとき、次女おとなしくしてくれていました。
お通夜のときよりもたくさんのお友達がお別れに駆けつけてくれていました。
同級生だけでなく、先輩、学生服を着た後輩も来てくれていました。
親族代表でダンナはん、泣きながらの挨拶になりました。
私も悲しくて悲しくて、いっぱい泣きました。
長男、次男もたくさん遊んでもらっていたので、おにいちゃんとのお別れが悲しくて泣いていました。
次女は、泣いてる親の顔を見て悲しいことがあったと察知し泣いていました。
たくさんのお友達に恵まれた甥は幸せだったと思います。
遺影は大学に入学したときのものらしく、誇らしげな顔をしていました。
まだまだやりたいこと、たくさんあったでしょう。
残念でしかたありません。
私は甥に言いました。
「おばちゃんは残念でしょうがない。向こうにさえがいるから見かけたら遊んでやってな~。見たら分かるやろうから、頼むで~」
さえも向こうで「おにいちゃん、もう来たん?」ってびっくりしてるんじゃないでしょうか。
ダンナはんの仕事の都合で、出棺のあと京都に戻りました。
孫を2人見送ることになったじいちゃんばあちゃんも、大変だったと思います。
家に帰ってから子供たちに言いました。
「お願いだから元気で、事故に合わないように長生きしてほしいと」
若い子のお別れは悲しすぎます。
その日は甥の19歳のお誕生日でした。
突然のことで本当にびっくりしました。
事故は1週間前に起こり心肺停止状態で病院に運ばれたようです。
意識は戻らぬままの旅立ちになってしまったと聞いてなんと言っていいのか言葉もありません。
子供たちが小さいので、ダンナはんだけ行ってもらおうかとも思いましたが、その甥はさえのお葬式にも法事にも来てくれていました。
私たちが甥のためにしてあげれることは見送ることだけ…ってみんなで行きました。
ダンナはんの仕事が終わってから急いで新幹線で向かいました。
甥の眠っていた場所は、さえのときにもお世話になったとこだったのですが、控え室もホールも同じ場所でした。
甥がさえと重なり悲しさも増します。
甥は穏やかな顔で眠っていました。
冷たくなってるのが信じられない、夢を見てるような気分にもなりました。
甥の友達もたくさん駆けつけてくれて泣いていました。
みんな口々に「おまえと会えてよかった」っとか「いっぱい笑わせてくれてありがとう」っとか言ってくれていました。
明るくて人懐っこい甥、たくさんの友達に恵まれていたんだなって思いました。
私と甥の初対面は、結婚するって挨拶にねえさんの家に行ったときでした。
まだ小学校に上がる前でかわいいやんちゃな男の子って印象でした。
次男がよく似ています。
こうやって書いていても、甥が旅立ったことがなんだか信じられない気分です。
お通夜のときは次女がぐずるので、私はその場を離れていました。
心配していた葬儀のとき、次女おとなしくしてくれていました。
お通夜のときよりもたくさんのお友達がお別れに駆けつけてくれていました。
同級生だけでなく、先輩、学生服を着た後輩も来てくれていました。
親族代表でダンナはん、泣きながらの挨拶になりました。
私も悲しくて悲しくて、いっぱい泣きました。
長男、次男もたくさん遊んでもらっていたので、おにいちゃんとのお別れが悲しくて泣いていました。
次女は、泣いてる親の顔を見て悲しいことがあったと察知し泣いていました。
たくさんのお友達に恵まれた甥は幸せだったと思います。
遺影は大学に入学したときのものらしく、誇らしげな顔をしていました。
まだまだやりたいこと、たくさんあったでしょう。
残念でしかたありません。
私は甥に言いました。
「おばちゃんは残念でしょうがない。向こうにさえがいるから見かけたら遊んでやってな~。見たら分かるやろうから、頼むで~」
さえも向こうで「おにいちゃん、もう来たん?」ってびっくりしてるんじゃないでしょうか。
ダンナはんの仕事の都合で、出棺のあと京都に戻りました。
孫を2人見送ることになったじいちゃんばあちゃんも、大変だったと思います。
家に帰ってから子供たちに言いました。
「お願いだから元気で、事故に合わないように長生きしてほしいと」
若い子のお別れは悲しすぎます。