こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

リングに舞う赤い蝶

2008-01-16 11:28:40 | Weblog
リングに舞う”赤い蝶”を初めて見たのは下福田小の頃だと思う。

ちょうど、キックボクシングが下降線を辿り始めた時、
アメリカ発のプロ空手(マーシャルアーツ=以下MAと略)が上陸した。

胴着の下だけ身に着け(と言うより派手なパンタロンに見えるぞ)
足の甲をガードする変なスリッパ(足裏だけ出てる)を着用。
この格闘技で最も有名だったのが、赤い蝶と呼ばれた男、
ベニー”ザ・ジェット”ユキーデでした。
家族全員が格闘家で、少し窪んだ異様にギラギラした目を持つ選手でした。

後年、タイガーマスクが使用したローリング・ソバットを
必殺技として使ったのはユキーデが最初かも知れない。
(キックの富山勝治選手が後ろ飛び廻し蹴りを既に使っていたけど)

当時、藤原敏男が居た全日本キック連盟に殴りこんだユキーデは、
(沢村が居たのは日本キック連盟)
鈴木勝幸、大貫忍、岡尾国光、内藤武と有力なランカーを次々とKOで葬りました。
速射砲の様なパンチ、多彩なキック、物凄い速さで日本人選手を圧倒したのです。
誰もがユキーデVS藤原敏男の頂上対決を夢見ていたと思います。

結局、両者の対決は実現しませんでした。
ユキーデがムエタイの選手(プライユット・シーソンポップ)の首相撲と膝蹴り、
ローキックに為す術も無く敗れた為だったと記憶してます。

同じ対戦相手との試合内容から想像する事しか出来ないのだけど、
(藤原はプライユットに勝っている)
ユキーデVS藤原のカードだけは見たかったなあ・・・と今でも思います。

同時期、沢村VS藤原の対戦も話題になっていたが、
沢村は既に全盛期を過ぎていたので、無類の沢村ファンだった僕は
この試合は観たくなかったと言うのが本音→この試合も実現しなかった。
(多分、両者のスタイルは噛み合わないと思うのだが)

格闘技の世界って誰かを神格化しちゃうと、その後が続かないんだよね。
ユキーデ以降も強い選手は何人か出てるのだけど、
人気を取り戻すまでには至ってないんだよなあ・・・

ドン星野ウイルソンなんて選手はモーリス・スミスやブランコ・シカティクにも勝ってる。
それから、デル”アポロ”クックの横蹴りも早かったなあ。
(チャンプア・ゲッソンリットに手も足も出ずに負けていたが)

この頃だね、ロブ・カーマンが最も強かったのは。(1990年前後)
(彼はMAのベルトも持っていたから、MAスタイルで戦う事も多かった)
確かチャンプアとも何度か試合してた。

K-1に出てた頃は全盛期を過ぎてて、周囲より体格も小さかったので、
チャンプアやカーマンの参戦は酷く残酷に思えたもんだ。。。
(打撃系において、ウエイトの違う選手を戦わせるのはナンセンスだと思う)

すっかり、ベニー・ユキーデから脱線しちゃった。
確か、映画スパルタンXでジャッキー・チェンとユキーデが対決する場面が有ったぞ。

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2 コメント

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ユキーデ (sima)
2008-01-17 13:49:58
久しぶりに書き込みました。

前に話した、正道会館の田上の最後の試合は、ラスベガスで行われたユキーデとの試合でした。
国内でのTV放送も無く、格闘技通信で知りました。

すでに引退していたユキーデ相手に、前半は一歩的に田上が押していたけど、途中から試合感を取り戻したユキーデが逆転判定勝ちになったそうです。
ただ、観客は誰一人田上のことなど知らなかったのに、試合が終わった時に「お前の勝ちだ!」とリングサイドに大勢の客が押し寄せ田上に握手を求めている写真が載っていました。

田上が大好きだったので、すごく感動したよ。

結局この後すぐに、腰が原因で田上は引退しちゃったんだよね。
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永遠のチャンピオン (4田)
2008-01-17 17:20:37
ユキーデって試合に出なくなってから、10年以上が経過してた時期にも

MAのランキングではチャンピオンでした。。。
(ここの順位表って怪しいのよ~)

彼が所属していたのはWKAと言う団体です。
(ワールド・カラテ・アソシエーション)

ロブ・カーマンはWKAのライト・ヘビー級のチャンプでした。

ドン中矢ニールセンはWKAクルーザー級だったけど、
チャンピオンじゃなかった気がする。

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