翌朝は9時にチャックアウトした。フロントに荷物を預け、家内の提案で仁寺洞に向かった。李氏朝鮮が漢陽(現在のソウル)を首都としてから、現在まで変わることのにないソウルの中心地。韓国伝統工芸品のあふれる街ということだ。地上に上がる。落ち着いた感じの昨日とはまったく雰囲気の異なる街が広がっていた。筆や紙を売る店、瀬戸物屋、お茶屋などが並んでいた。通りに客引きなどはいない。家内は祖母のために山水画を描く筆を30000Wで買った。観光客ヅレしていない素朴な感じの老夫婦がやってる店で、日本語はまったく通じなかったが、店内にある山水画の本を指差して、こういうのを書く筆だと身振りで示すと通じた。
ガイドブックには伝統茶を飲む店が紹介されていたが、どこかよくわからなかった。扇子を3000Wで、お茶を5000Wで、いくらだったか忘れたが(10000W以下だったと思う)茶碗をと、買い物をしているうちに昼近くになったので明洞に向かった。
ロッテ百貨店地下食品売り場でキムチや海苔などのお土産を買った。評判どおり量り売りで買え、500gで300~400円位とリーゾナブル。日本語も通じるし、きれいだし、いうことなし。
そのあとロッテホテルのフードコートで食事をした。石焼きビビンバ、ちぢみ、海鮮鍋に海苔巻き。これで20000W弱。こういうところでもキムチは3皿ついていた。すべておいしかった。とくにちぢみは日本で食べたものとは比べ物にならない。
食事を終え、明洞の街中を歩いた。
暑かったが、東京の異常な今夏を経験しているわれわれには、さほどでもない。ただ人々の熱気やエネルギーはすごいと思う。
2時半にホテルに戻ってバスに乗り、仁川空港に向かった。
バスが走り出してすぐ市場のようなところを通った。畑から収穫したままの、土のついたようなスイカ、玉葱、カボチャなどが山積みになっていた。生簀のなかで得体の知れない生き物が動き回っていた。活きた鶏鳥も売っていた。映画や古いニュースで見た戦後焼け跡の闇市を彷彿させた。明洞の繁華街を歩いていた若者やロッテ百貨店で買い物をしていた客とは、まったく異なる人間たちがそこにはいた。
やがてバスは市場を過ぎ、郊外に向かった。
僕の視線は窓外の風景の上にあったが、この3日間の情景が次々に脳裏に浮かんでいた。
ふと、ここはどこかで見たような気がした。
どこだろう・・・そうだ、大阪。大阪に似ているのだと思った。
「お兄さん」「買ってって」「まけてえな」大阪の街中に、そういう声は溢れている。客は威張りくさっていて、何か気に入らないことがあると、大声で店員を怒鳴りつける。
タイムリップしたような感覚もあった。
まだ僕が小学校に上がる前の故郷の街には、土のついた野菜を売っている八百屋があったし、市場の一角で揚げた野菜の天ぷらやコロッケを人々は毎日のように買っていた。高度成長を遂げる前の、まだ貧しく、しかしバイタリティに溢れていた時代の面影が、ここには残っている。そんな気がした。
ガイドブックには伝統茶を飲む店が紹介されていたが、どこかよくわからなかった。扇子を3000Wで、お茶を5000Wで、いくらだったか忘れたが(10000W以下だったと思う)茶碗をと、買い物をしているうちに昼近くになったので明洞に向かった。
ロッテ百貨店地下食品売り場でキムチや海苔などのお土産を買った。評判どおり量り売りで買え、500gで300~400円位とリーゾナブル。日本語も通じるし、きれいだし、いうことなし。
そのあとロッテホテルのフードコートで食事をした。石焼きビビンバ、ちぢみ、海鮮鍋に海苔巻き。これで20000W弱。こういうところでもキムチは3皿ついていた。すべておいしかった。とくにちぢみは日本で食べたものとは比べ物にならない。
食事を終え、明洞の街中を歩いた。
暑かったが、東京の異常な今夏を経験しているわれわれには、さほどでもない。ただ人々の熱気やエネルギーはすごいと思う。
2時半にホテルに戻ってバスに乗り、仁川空港に向かった。
バスが走り出してすぐ市場のようなところを通った。畑から収穫したままの、土のついたようなスイカ、玉葱、カボチャなどが山積みになっていた。生簀のなかで得体の知れない生き物が動き回っていた。活きた鶏鳥も売っていた。映画や古いニュースで見た戦後焼け跡の闇市を彷彿させた。明洞の繁華街を歩いていた若者やロッテ百貨店で買い物をしていた客とは、まったく異なる人間たちがそこにはいた。
やがてバスは市場を過ぎ、郊外に向かった。
僕の視線は窓外の風景の上にあったが、この3日間の情景が次々に脳裏に浮かんでいた。
ふと、ここはどこかで見たような気がした。
どこだろう・・・そうだ、大阪。大阪に似ているのだと思った。
「お兄さん」「買ってって」「まけてえな」大阪の街中に、そういう声は溢れている。客は威張りくさっていて、何か気に入らないことがあると、大声で店員を怒鳴りつける。
タイムリップしたような感覚もあった。
まだ僕が小学校に上がる前の故郷の街には、土のついた野菜を売っている八百屋があったし、市場の一角で揚げた野菜の天ぷらやコロッケを人々は毎日のように買っていた。高度成長を遂げる前の、まだ貧しく、しかしバイタリティに溢れていた時代の面影が、ここには残っている。そんな気がした。