芦屋市立美術博物館の敷地内に、小出楢重(1887~1931)のアトリエが復元されている。43歳で亡くなった小出が最後の5年間、裸婦を描いた芦屋のアトリエ空間。
高い天井、大きな窓、上がれなかったけど、中2階はたぶん寝室のはず。
ソファの調度品は実物らしい。80年前長時間、ここに横たわった女性がいた。絵筆をとる画家がいた。…そして、正にこのソファに横たわる裸婦の絵が、今美術館内で開かれている「大坂慕情~なにわ四条派の系譜」展で展示されている。
寿老人の掛け軸なんか見ていたら、突然、小出の裸婦像が視界に入ってきてびっくりする。
なんでここに?
その2枚の裸婦像が、その存在感が、やはり他の日本画を圧倒してしまう。
今回の展示品の多くが、関西大学図書館からの借り出しである。(最近関関同立からはみ出しつつある関西大学だけど、ちょっと見直した。近世近代絵画の研究ちゃんとしてる。その結果の大坂慕情展。)予算の関係で、借り出し易いところから集めたのかもしれない。でもそれだけでは寂しいので、苦肉の策として、小出が最初は四条派の渡辺祥益から日本画を学んだという繋がりから、自館が所有するお宝を展示したのかな?…しかし、やや唐突である。横たわる裸婦の油絵を四条派の系譜として位置づけるのには無理がある。
小出の「夏の日」という、日傘をさして扇子を使う縞の着物の婦人が、道端でばててる犬に「ほんと暑いわねぇ」なんて言ってる感じの一筆書きのような墨絵は、西山完瑛の「浪華二十四景」などの風景画の延長にあると言えなくもないけど。
アトリエで読んだ当時の新聞記事で、小出は「ここ(芦屋)は外に出ても寂しいし、松の緑は黒すぎて、砂の色は白すぎて、描くにはむいてない。山登りをせず、海で泳いだりしない自分にこの地は、あわない」というような意味のことを言っていた。ではなんでここに住んだのか、アトリエに籠もって裸婦を描くためである。
画家が裸婦を描くのはなぜだろう。小出の描く裸婦には顔がない。80年間ずっと向こうを向いている。モデルは体型から明らかに、昭和初期の日本の女性である。二枚の裸婦像、身体のラインから、大きい絵の方は二十代、小さい絵の方は三十代に見える。彼女たちは何を考えながら寝台に、ソファに横たわったのだろう。表情を描かない画家は、卑怯な気がする。
会場では、向かい合わせで展示されてる、34歳にしては老けてる自画像の小出楢重が、彼女たちのお尻をじっと見つめていた。
(…彼女たちは永遠にあなたの方には向かない。)
高い天井、大きな窓、上がれなかったけど、中2階はたぶん寝室のはず。
ソファの調度品は実物らしい。80年前長時間、ここに横たわった女性がいた。絵筆をとる画家がいた。…そして、正にこのソファに横たわる裸婦の絵が、今美術館内で開かれている「大坂慕情~なにわ四条派の系譜」展で展示されている。
寿老人の掛け軸なんか見ていたら、突然、小出の裸婦像が視界に入ってきてびっくりする。
なんでここに?
その2枚の裸婦像が、その存在感が、やはり他の日本画を圧倒してしまう。
今回の展示品の多くが、関西大学図書館からの借り出しである。(最近関関同立からはみ出しつつある関西大学だけど、ちょっと見直した。近世近代絵画の研究ちゃんとしてる。その結果の大坂慕情展。)予算の関係で、借り出し易いところから集めたのかもしれない。でもそれだけでは寂しいので、苦肉の策として、小出が最初は四条派の渡辺祥益から日本画を学んだという繋がりから、自館が所有するお宝を展示したのかな?…しかし、やや唐突である。横たわる裸婦の油絵を四条派の系譜として位置づけるのには無理がある。
小出の「夏の日」という、日傘をさして扇子を使う縞の着物の婦人が、道端でばててる犬に「ほんと暑いわねぇ」なんて言ってる感じの一筆書きのような墨絵は、西山完瑛の「浪華二十四景」などの風景画の延長にあると言えなくもないけど。
アトリエで読んだ当時の新聞記事で、小出は「ここ(芦屋)は外に出ても寂しいし、松の緑は黒すぎて、砂の色は白すぎて、描くにはむいてない。山登りをせず、海で泳いだりしない自分にこの地は、あわない」というような意味のことを言っていた。ではなんでここに住んだのか、アトリエに籠もって裸婦を描くためである。
画家が裸婦を描くのはなぜだろう。小出の描く裸婦には顔がない。80年間ずっと向こうを向いている。モデルは体型から明らかに、昭和初期の日本の女性である。二枚の裸婦像、身体のラインから、大きい絵の方は二十代、小さい絵の方は三十代に見える。彼女たちは何を考えながら寝台に、ソファに横たわったのだろう。表情を描かない画家は、卑怯な気がする。
会場では、向かい合わせで展示されてる、34歳にしては老けてる自画像の小出楢重が、彼女たちのお尻をじっと見つめていた。
(…彼女たちは永遠にあなたの方には向かない。)