星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

「のりたまと煙突」

2006-10-25 | ネコの本
星野博美 著 (文藝春秋)2006年刊


生きていたら「いつかむかえる死」を覚悟しなければならない。

ということを、私は実際には、猫から学んだような気がするけど、この本の著者には、猫の潔さ、のようなものがある(最大級の誉め言葉です)。人生の折り返し点あたりで、これからも自分が自分であり続けることを願い、一人であることを恐れない、いや、ちゃんと恐れてなおかつ自分の足でしっっかり立とうとする勇気を感じる。

久しぶりに、一語も飛ばすことなく、著者の言葉に耳を傾けて一気に読んだ。日常自分が感じた違和感みたいなものを、面倒だなぁと思わず、丁寧に正確に言葉で説明しようとするひたむきさに向かいあうのは、楽しい。

『ディープ・インパクト』…自分が旅行中で一度も映像を見ないうちに終わってしまった湾岸戦争については語れないが、9・11の同時中継映像を見たから同時多発テロについては語れると、思うことの危うさを自覚する彼女…これが一番秀逸。

『名前』…訪れるネコに名前を付けた途端一線を越えてしまう事になると、必死で抵抗する彼女…わかるなぁ。

『筋肉老女帯』…「和気あいあい」に憧れているのに、どうしてもそれに背を向け「一人黙々」を目指してしまう彼女が、公立のスポーツセンターには日曜日の午前中に通う理由に納得。図々しいおばさんになりたくないと努力してたらおじんくさくなってしまったというオチがつく。

『過去の残り香』…人々が模型飛行機を飛ばす公園の広い空から、そこが軍需工場→空爆→米軍住宅地→公園の歴史を持つ土地であることを思い起こし、半世紀後のイラクの地に思いを馳せる…風景に感じるちょっとした自分の違和感を信じ、追求する彼女は、きっといい写真を撮るだろう。

『白猫』…地球上に白猫ほど美しい生き物はない、という彼女のしろが死んだ。仔猫の時の写真は多いけど、成猫になってからは、写真がグンと少ないことに気づく。もう遅い、でも、あわてて老いつつある他のネコの写真を撮ろうとすることは、次の別れの準備のような気がする…激しく共感。

こんな60題からなるエッセイ集である。
図書館の本棚で初めて出会った星野さんは40歳。
次は30代前半に書いた「転がる香港に苔は生えない」を読んでみよう。
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画家のアトリエ

2006-10-25 | 持ち帰り展覧会
芦屋市立美術博物館の敷地内に、小出楢重(1887~1931)のアトリエが復元されている。43歳で亡くなった小出が最後の5年間、裸婦を描いた芦屋のアトリエ空間。
高い天井、大きな窓、上がれなかったけど、中2階はたぶん寝室のはず。
ソファの調度品は実物らしい。80年前長時間、ここに横たわった女性がいた。絵筆をとる画家がいた。…そして、正にこのソファに横たわる裸婦の絵が、今美術館内で開かれている「大坂慕情~なにわ四条派の系譜」展で展示されている。

寿老人の掛け軸なんか見ていたら、突然、小出の裸婦像が視界に入ってきてびっくりする。
なんでここに?
その2枚の裸婦像が、その存在感が、やはり他の日本画を圧倒してしまう。

今回の展示品の多くが、関西大学図書館からの借り出しである。(最近関関同立からはみ出しつつある関西大学だけど、ちょっと見直した。近世近代絵画の研究ちゃんとしてる。その結果の大坂慕情展。)予算の関係で、借り出し易いところから集めたのかもしれない。でもそれだけでは寂しいので、苦肉の策として、小出が最初は四条派の渡辺祥益から日本画を学んだという繋がりから、自館が所有するお宝を展示したのかな?…しかし、やや唐突である。横たわる裸婦の油絵を四条派の系譜として位置づけるのには無理がある。

小出の「夏の日」という、日傘をさして扇子を使う縞の着物の婦人が、道端でばててる犬に「ほんと暑いわねぇ」なんて言ってる感じの一筆書きのような墨絵は、西山完瑛の「浪華二十四景」などの風景画の延長にあると言えなくもないけど。

アトリエで読んだ当時の新聞記事で、小出は「ここ(芦屋)は外に出ても寂しいし、松の緑は黒すぎて、砂の色は白すぎて、描くにはむいてない。山登りをせず、海で泳いだりしない自分にこの地は、あわない」というような意味のことを言っていた。ではなんでここに住んだのか、アトリエに籠もって裸婦を描くためである。

画家が裸婦を描くのはなぜだろう。小出の描く裸婦には顔がない。80年間ずっと向こうを向いている。モデルは体型から明らかに、昭和初期の日本の女性である。二枚の裸婦像、身体のラインから、大きい絵の方は二十代、小さい絵の方は三十代に見える。彼女たちは何を考えながら寝台に、ソファに横たわったのだろう。表情を描かない画家は、卑怯な気がする。

会場では、向かい合わせで展示されてる、34歳にしては老けてる自画像の小出楢重が、彼女たちのお尻をじっと見つめていた。
(…彼女たちは永遠にあなたの方には向かない。)
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