MAYZON作 (小学館)1997年
☆「夢見森のモーリス」
亡くなった猫はどこへ行くのだろう?
どうやら、人間の心と交感してしまった猫は
夢見森に行くらしい。
「夢見森は現世の見えない一部であって時間も空間も現世と共有しあっています。
この森は現世という世界が見ている夢の世界みたいなもの。ここに住む私達はおとぎ話の主人公達のように現世の中でも確かに生きているのです」
と仕立て屋猫のチャップリンがいう。
夢見森の住人のメッセージは人間達の夢の中に届く。
☆「夢見森の星送り」
清い心の左ブチ猫に、いきなり鼻チューされた者は、みんな同じ表情になってしまう。この世の中で最もみんなを幸せにできるものに生まれ変わりたい、と願う左ブチ猫に、「君が幸せであれば、存在自体がみんなを幸せにするんだよ」と夢見森の祖である山猫がいう。星送りの夜、左ブチ猫はまた左ブチ猫として転生する。
晴れた夜、ベランダの手すりにすわるクロネコチャンが
見つめていたのは、待っていたのは、
青く美しい「天使の心☆」が降りてくる星送りのイベントだったのかもしれない。
幸せそうな顔して寝てるクロネコチャンを見てると私も幸せになった。
☆「モーリスの竜退治」
飼い主が亡くなった動物のために蒔いた花の種は、
夢見森の永久花になるのね。
☆「猫地区の幽霊」
心を病んだ小猫のブラッキー、夢見森に来た時は、世の中のすべてが自分を傷つける恐ろしいもので、その恐怖や不安や失望から逃れるために、自分の存在を否定して空気のように、無反応になっていた。現世で愛情を受けられず、何の楽しみも知らずに生を終えたブランキー。
彼が夢の森で、外部に心を開いていくわずかな変化である、自分の服にジャムを塗ってアリの巣のそばにじっと座ってアリをたからせるシーンは、涙なくしてみられない。
親の虐待で死んでいく幼い子どものニュースを聞く度に、
なんで何のためにその子は生まれてきたのか、っていつも思う。
神様が、してはいけないことを、している気がするのだ。
最後のページ…
モーリスの慈愛の眼差しと、ブランキーのあどけない明るい瞳に救われる。
☆「海猫」
母性を描いた、とても悲しく、美しい話。(夢見森シリーズ外)
これを読んで、20年以上前、仔猫をくわえて我が家の台所に現れた3本足の母トラ猫を思い出した。…初めて入ってきた日、彼女は真正面からじっと私を見つめてきた。その後、当然のように我が家の飼猫クッキーのお皿のご飯を食べ始めた。若い雄ネコのクッキーは椅子の上でおとなしくあっちの方を向いていた。それから毎夜、左の後ろ足が短い彼女は、堂々と子連れでやってきてクッキーのご飯を食べてから仔猫と自分の身繕いをした後、夜のどこかに出て行った。帰るところがどこかにあるのだろうかと思いながら彼女を見送り、1週間くらい経って、彼女用のお皿を用意した日、新しいお皿から食べた後、出て行こうとした彼女は振り返って、じっと私を見つめた。今度は来た時より短かった。…そして翌日、彼女と仔猫は姿を消した。
「ちょっとだけ世話になることにしたわ」とやってきて、「世話になったわね、さよなら」って、カッコ良く去って行ったのである。
…私は今でも彼女に、到底かなわないなぁと思う。
☆「夢見森のモーリス」
亡くなった猫はどこへ行くのだろう?
どうやら、人間の心と交感してしまった猫は
夢見森に行くらしい。
「夢見森は現世の見えない一部であって時間も空間も現世と共有しあっています。
この森は現世という世界が見ている夢の世界みたいなもの。ここに住む私達はおとぎ話の主人公達のように現世の中でも確かに生きているのです」
と仕立て屋猫のチャップリンがいう。
夢見森の住人のメッセージは人間達の夢の中に届く。
☆「夢見森の星送り」
清い心の左ブチ猫に、いきなり鼻チューされた者は、みんな同じ表情になってしまう。この世の中で最もみんなを幸せにできるものに生まれ変わりたい、と願う左ブチ猫に、「君が幸せであれば、存在自体がみんなを幸せにするんだよ」と夢見森の祖である山猫がいう。星送りの夜、左ブチ猫はまた左ブチ猫として転生する。
晴れた夜、ベランダの手すりにすわるクロネコチャンが
見つめていたのは、待っていたのは、
青く美しい「天使の心☆」が降りてくる星送りのイベントだったのかもしれない。
幸せそうな顔して寝てるクロネコチャンを見てると私も幸せになった。
☆「モーリスの竜退治」
飼い主が亡くなった動物のために蒔いた花の種は、
夢見森の永久花になるのね。
☆「猫地区の幽霊」
心を病んだ小猫のブラッキー、夢見森に来た時は、世の中のすべてが自分を傷つける恐ろしいもので、その恐怖や不安や失望から逃れるために、自分の存在を否定して空気のように、無反応になっていた。現世で愛情を受けられず、何の楽しみも知らずに生を終えたブランキー。
彼が夢の森で、外部に心を開いていくわずかな変化である、自分の服にジャムを塗ってアリの巣のそばにじっと座ってアリをたからせるシーンは、涙なくしてみられない。
親の虐待で死んでいく幼い子どものニュースを聞く度に、
なんで何のためにその子は生まれてきたのか、っていつも思う。
神様が、してはいけないことを、している気がするのだ。
最後のページ…
モーリスの慈愛の眼差しと、ブランキーのあどけない明るい瞳に救われる。
☆「海猫」
母性を描いた、とても悲しく、美しい話。(夢見森シリーズ外)
これを読んで、20年以上前、仔猫をくわえて我が家の台所に現れた3本足の母トラ猫を思い出した。…初めて入ってきた日、彼女は真正面からじっと私を見つめてきた。その後、当然のように我が家の飼猫クッキーのお皿のご飯を食べ始めた。若い雄ネコのクッキーは椅子の上でおとなしくあっちの方を向いていた。それから毎夜、左の後ろ足が短い彼女は、堂々と子連れでやってきてクッキーのご飯を食べてから仔猫と自分の身繕いをした後、夜のどこかに出て行った。帰るところがどこかにあるのだろうかと思いながら彼女を見送り、1週間くらい経って、彼女用のお皿を用意した日、新しいお皿から食べた後、出て行こうとした彼女は振り返って、じっと私を見つめた。今度は来た時より短かった。…そして翌日、彼女と仔猫は姿を消した。
「ちょっとだけ世話になることにしたわ」とやってきて、「世話になったわね、さよなら」って、カッコ良く去って行ったのである。
…私は今でも彼女に、到底かなわないなぁと思う。