星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

カザルス「鳥の歌」

2006-10-30 | 私の星々
Beeの演奏会で石川祐支さんのチェロを聴いてから
パブロ・カザルスのことを思い出している。
チェロという楽器に生命を与えた人、
反ファシズムを貫いた頑固なカタロニア生まれのグランパ。

中沢新一さんの「バルセロナ、秘数3」(中公文庫)を読んだら
その中で中沢さんが、カザルスの「鳥の歌」について書いている部分があった。


鳥たちは、歌う。鳥たちは歌うことで、自分の専有するテリトリーを宣言するのだ。チュッ、チュッ。私はここに生きてます。ポー、ポー。私のまわりのこのわずかの空間は、私が生きるために神様からあたえられたものなのよ。カッコー、カッコー。だいじなことは、おたがいのあいだに理想的な距離をつくることさ。近すぎるのもよくないし、遠すぎるのもさみしいな。ヒュル。ヒュル。生きてることには、意味なんてない。でも、ぼくがこうしてつかのまに、この小さな空間を専有しているということにだけは、なにかの意味がありそうだ。

現世に生きていることのよろこびは、生まれてから死ぬまでのわずかの時間に、自分のためにこの実在の世界のなかに、なにがしかの空間が用意されてあったことにたいする、驚きと感謝の気持ちに根ざしている。ましてや、その時間と空間が、限りある生命のつかのまの閃きのあいだに、優しく自分を抱擁してくれていたのだとしたら…ここは、私のテリトリーだ、と鳥たちが歌うとき、鳥たちはそのテリトリーのなかでひとりで生きることのきびしさや深さの感覚とともに、自分のために世界が時間と空間とを用意しておいてくれたことへのよろこびに、のどを震わせている。

音楽をとおして、人間は人間のための時間と空間をつくりだす。音楽が鳴っているあいだ、ひとつの特別な時間と空間が出現する。それは、人間の精妙なたましいが、実在の世界のなかに出現させた、音による不可視のテリトリーなのだ。歌うよろこび。人間はそれを鳥たちと共有している。実存の深みにおいて、音楽する肉体が味わっているよろこびは、まさに現世の時間と空間のなかに「じぶんがあること」にたいする驚きとむすびついている。


我が家のベランダに立つと、私から20Mくらい先の道路沿いに、鳥たちが夜ねぐらにしている樹木がある。
早朝、彼らは、近くの、川が海に注ぐ浜辺に向かって飛び立つ。
私は、彼らの朝の歌声を、少し厳粛な気分できく。
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僕の意見

2006-10-30 | 私の星々
「ドーン!」…こんな季節に花火?
っとベランダの外を見ると確かに打ち上げ花火の大輪が夜空に散っていく。
2秒ほど遅れて音が響くから、浜辺で何かイベントをやっているのかなぁ?

花火の後の夜空には美しい三日月が出ている。
 
1週間くらい前の、NHKの列島縦断俳句まつりで
神奈川県の小学校2年生早川狩君がよんだ句を思い出した。

『三日月は バナナときょうだい ぼくのいけん』

う~ん、君の意見にさんせーいで~す。
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