木曜日午後9時は、「ヒミツのケンミンSHOW」
今日は、香川の煮物の残り物の天ぷら、ヒミツのOSAKA、隠れケンミンの見抜き方、東京一郎の山梨生活。
香川の煮物の天ぷらは、なかなか面白い。煮物も、家庭では残り物を、惣菜屋でも1日ねかせた煮物を天ぷらにする。当然、味は十分しみている。1粒で2度おいしいではないが、違った食感を楽しめる。讃岐うどんのだし昆布やだしももう一度味付けをして天ぷらになる。エコというか、リサイクルというか、食物残渣は少ない地域なのであろう。歴史を紐解くと、お遍路さんのおもてなしに出したそうだ。その風習が今に伝えられているとのこと。生活文化と食文化がマッチングしている。
ヒミツのOSAKAでは、ネギの話。われわれ東北・北関東では、ネギと言えば、白身の部分が太く、鍋料理には欠かせないものだ。ところが、大阪では、青ネギが主流である。確か、静岡の伯母の家だったか、浜松の叔父の家だったか、泊まりに行ったとき、ネギが出てきたが、細い青ネギであった。聞いてみると、このあたりでは太い白ネギは作っていない、とのこと。静岡あたりから青ネギなのかもしれない。テレビの解説では、ネギは元々中国から伝わったもの。ところが産地が違っており、関東は中国北部から、関西は中国南部から伝わった。それが、白ネギ・青ネギの分かれ目となったらしい。どちらが好きか、といわれれば、こう答えよう。鍋には白ネギ、納豆には青ネギ。
生活習慣がしみ込んでしまうと、それが標準だと思ってしまう。隠れケンミンの見抜き方は、思わず含み笑いをしてしまう。
今日は、北海道。普通の食パンを「角食」と言っている。確かに、市販の食パンは四角である。でも、「角食」とは言わない。小生、子どもの頃「甘食」というパンがあった。記憶が正しければ、平べったい円錐形の甘いパン。これを「甘食」と言っていた。今、売っているかどうか。あと、北海道では、にぎり寿司を「生寿司」というらしい。これは、こちらでもそうい言う人がいる。これは、錦糸卵や茹でエビ、かんぴょう、にんじんなどを酢飯に混ぜた通称「ちらし寿司」を食するが、これと区別する意味で使っている。
静岡の言葉もやっていた。「~あるだよ」、静岡の従姉妹はよく使っていた。「あるんだよ」ではない。音便が発声されていない。
体に染みついた言葉、生活、風習は、なかなか脱却できないものだとつくづく感じた。
そして、東京一郎の山梨生活。
小生、何回か富士登山をしている。全て、富士吉田からの登山。常磐道、首都高、中央道と車を走らせ、スバルラインを5合目まで上る。そこから歩き始める。歩き始める時間は、だいたいお昼過ぎ、そこから、だいたい8合目あたりの山小屋まで一気の登る。そこで仮眠。夜中の12時ごろ出発。富士山頂には、午前4時頃到着する。7月下旬の山頂は真冬。いつも、スキーウエアを着て登っている。途中、眼下に稲妻が光る。「雷さまを下に見て」である。そして、流れ星がやたら多い。暗がりで、月明かりが富士山の陰を河口湖方面に映し出す。6時頃だろうか、雲海が赤みがかり、海坊主のように「ポコッ」と太陽が出てくる。御来光だ。太陽が出ると今までの冬の世界が、春先の心地よさ、いや、少し汗ばんでくる。太陽の恵を改めて感じる瞬間である。充足感を感じる。
もう一つの楽しみ、それは、ポケットに100円玉をたくさん仕込んで、山小屋を通過するたびに杖に「焼き印」を押してもらう。当時は、1カ所100円。そして、山頂の富士浅間神社で「刻印」を押してもらう。いまも、その時の杖を飾っている。
富士登山は、頂上目指して登っているときは、「もう2度とやるものか」と思う。しかし、御来光を拝むと、また来たい、という気持ちになる。もう、10年以上前の話。これから機会があれば、もう一度、日本一高いところに仁王立ちしてみたい。
今日は、香川の煮物の残り物の天ぷら、ヒミツのOSAKA、隠れケンミンの見抜き方、東京一郎の山梨生活。
香川の煮物の天ぷらは、なかなか面白い。煮物も、家庭では残り物を、惣菜屋でも1日ねかせた煮物を天ぷらにする。当然、味は十分しみている。1粒で2度おいしいではないが、違った食感を楽しめる。讃岐うどんのだし昆布やだしももう一度味付けをして天ぷらになる。エコというか、リサイクルというか、食物残渣は少ない地域なのであろう。歴史を紐解くと、お遍路さんのおもてなしに出したそうだ。その風習が今に伝えられているとのこと。生活文化と食文化がマッチングしている。
ヒミツのOSAKAでは、ネギの話。われわれ東北・北関東では、ネギと言えば、白身の部分が太く、鍋料理には欠かせないものだ。ところが、大阪では、青ネギが主流である。確か、静岡の伯母の家だったか、浜松の叔父の家だったか、泊まりに行ったとき、ネギが出てきたが、細い青ネギであった。聞いてみると、このあたりでは太い白ネギは作っていない、とのこと。静岡あたりから青ネギなのかもしれない。テレビの解説では、ネギは元々中国から伝わったもの。ところが産地が違っており、関東は中国北部から、関西は中国南部から伝わった。それが、白ネギ・青ネギの分かれ目となったらしい。どちらが好きか、といわれれば、こう答えよう。鍋には白ネギ、納豆には青ネギ。
生活習慣がしみ込んでしまうと、それが標準だと思ってしまう。隠れケンミンの見抜き方は、思わず含み笑いをしてしまう。
今日は、北海道。普通の食パンを「角食」と言っている。確かに、市販の食パンは四角である。でも、「角食」とは言わない。小生、子どもの頃「甘食」というパンがあった。記憶が正しければ、平べったい円錐形の甘いパン。これを「甘食」と言っていた。今、売っているかどうか。あと、北海道では、にぎり寿司を「生寿司」というらしい。これは、こちらでもそうい言う人がいる。これは、錦糸卵や茹でエビ、かんぴょう、にんじんなどを酢飯に混ぜた通称「ちらし寿司」を食するが、これと区別する意味で使っている。
静岡の言葉もやっていた。「~あるだよ」、静岡の従姉妹はよく使っていた。「あるんだよ」ではない。音便が発声されていない。
体に染みついた言葉、生活、風習は、なかなか脱却できないものだとつくづく感じた。
そして、東京一郎の山梨生活。
小生、何回か富士登山をしている。全て、富士吉田からの登山。常磐道、首都高、中央道と車を走らせ、スバルラインを5合目まで上る。そこから歩き始める。歩き始める時間は、だいたいお昼過ぎ、そこから、だいたい8合目あたりの山小屋まで一気の登る。そこで仮眠。夜中の12時ごろ出発。富士山頂には、午前4時頃到着する。7月下旬の山頂は真冬。いつも、スキーウエアを着て登っている。途中、眼下に稲妻が光る。「雷さまを下に見て」である。そして、流れ星がやたら多い。暗がりで、月明かりが富士山の陰を河口湖方面に映し出す。6時頃だろうか、雲海が赤みがかり、海坊主のように「ポコッ」と太陽が出てくる。御来光だ。太陽が出ると今までの冬の世界が、春先の心地よさ、いや、少し汗ばんでくる。太陽の恵を改めて感じる瞬間である。充足感を感じる。
もう一つの楽しみ、それは、ポケットに100円玉をたくさん仕込んで、山小屋を通過するたびに杖に「焼き印」を押してもらう。当時は、1カ所100円。そして、山頂の富士浅間神社で「刻印」を押してもらう。いまも、その時の杖を飾っている。
富士登山は、頂上目指して登っているときは、「もう2度とやるものか」と思う。しかし、御来光を拝むと、また来たい、という気持ちになる。もう、10年以上前の話。これから機会があれば、もう一度、日本一高いところに仁王立ちしてみたい。