清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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「 役割 」 と 「 慈悲 」

2016年05月12日 | 日記

ここのところ家庭問題の記事を書いていましたら、このブログを読んでくださっているご近所の方から、わが家の様子を心配するお言葉をかけていただきました。(ご本人がこれを読んだら、そんな大げさなと仰るかもしれません。ただ、ボクらは嬉しかったのです。)この方は小学校の元・PTA会長さんです。町会でもお世話になっており、なにかとお声をかけて下さる有りがたい存在です。そして、ご縁があるのだと思いますが、この方が会長の時に、ウチのかみさんが副会長をさせていただいておりました。本来はそんなお役をいただける者ではありませんが、この会長さんのご指導のお陰様で、無事に任期を務めることができたのだと感謝しております。

さかのぼって思い返せば、「3人兄妹の一番上が小学校に上がるとき」には「学区域外の小学校」に入れるコトも視野に入れて考えていました。思案をしていたときにタイミングよく会長さんご夫婦がお声をかけて下さり「こっちにおいでよ」と、やさしく誘って下さいました。ボクはこのことをかみさんから聞いて、すぐ、「そうやって誘って下さったのだから、学区内の学校に上がろう」と決めました。あれこれ思案していたのがウソのように、一瞬で決心しました。それほど、親切な一言というのは大きな力があり大きな救いになると実感しました。ですので、今回ご心配いただいたことも本当にありがたく思いました。そして、いただいたご恩を、ご本人にもまた他の方にもお返し申し上げたいと考えた次第です。

元会長さんとは町内会でもごいっしょさせていただいております。ウチの町会はとても雰囲気がいいと感じます。みなさん本当に仲睦まじく、にこやかです。近所に困った人がいたら親身になって手助けする方がいらっしゃいますし、みなさん積極的に治安を守る活動をされています。自治体とはよく言ったもので、まさしく、自分たちの町は自分たちで守るという信念があるのだと感じます。ですから、みなさんがなさる活動内容を見聞きし、意気に感じて「自分も活動に参加する」なんて方も多いんじゃないかと思うのです。


 

先般、小学校の掲示板に画像の標語が張り出されているのに気づきました。「まちがえをおそれず、元気に発言すること」をうながしてくれています。ネットで検索したら一杯ヒットしました。どうやら、有名な絵本の中の文言みたいです。これを一部、次の通りご紹介します。(画像は小学校の掲示板です)

教室はまちがうところだ     まきたしんじ(氏)

教室はまちがうところだ
みんなどしどし手をあげて
まちがった意見を 言おうじゃないか
まちがった答えを 言おうじゃないか
まちがうことを おそれちゃいけない
まちがったものを ワラッちゃいけない
まちがった意見を まちがった答えを
ああじゃないか こうじゃないかと
みんなで出しあい 言いあうなかでだ
ほんとのものを 見つけていくのだ
そうしてみんなで 伸びていくのだ

絵本は、こんな言葉で綴られているようです。(つづきは画像の文章をお読み下さい。)

じつにありがたいコトバの連続です。『 間違えながら、経験しながら成長していく。だから、まちがうのが当たり前。それを、自分はできるからって、人をバカにしちゃあダメ。人の失敗を笑っちゃダメ(蔑んだらダメ)。だからみんな、勇気をもって挑戦しよう。わからないことは分からないと言えて、そこから覚えていこう。元気出していこう。』と、教室中を、そういう空気にしてしまう、そんな魔法のコトバだと思いました。そしてこれは、これから色々なことを経験して成長していく子どもたちへの励ましですね。


このまえも書きましたが、仏教では、「欲がある人は慈悲がなく、慈悲のある人は欲がない。妙なものだ。」と教えていただきます。人をバカにしたり、あざけ笑ったりするのは欲です。よわい人に優しくないのも、欲ですね。怒るのも欲。自分を卑下するのだって欲なんだそうです。なんだか欲ばっかりです(笑)。そんな中で、まごころで接することができる、人に親切にできる、自分の気持ちを押しつけない。一本すじが通ってる(なんのスジだろ(笑))。見返りなど求めない。これらは慈悲になるんだと思います。

自分の思いを捨てて公の立場で物事に取り組む、なんていうのも慈悲でしょうか。たとえば、自分にとって利益がない人間がトップに立ったとしても立場上、全力でサポートする。自分が損しても、自分の立場が下になったとしても、自分の役割を自覚して行動する。それができれば、すばらしいことだと思います。逆に、それができない人ばかりが集まる組織はきっと、消滅するんだと思うのです。自分はそろそろ上の立場だと自覚する。そういうものばかりが集まっちゃったら、そしたら、だれが下で働くんでしょうね(笑)。滑稽です。

役職は上から与えられるものですが、自分がすべき役割は、心ある人が担おうとする。たとえば、お母さんじゃなくてはできなことがたくさんあるでしょうが、その替わりを務めようとこころざすことはできるのだと思います。この人のために、困っている人のために、地域の平和のために、なにかお役にたてることがしたいという目線を持っている人が「世の中のお役に立てますように」「みんなに喜んでもらえますように」という思いの中で、すすんで役割を果たそうとする。先生が心をこめて生徒を育てて下さる。町会の方が無償で地域の平和のために活動されている。これらは当たり前でしょうか。当たり前ではないのですが、こういう一つ一つの思いあって、よい世の中をつくっているのだと思います。だから、こういう人たちのおこころざしをありがたく思います。そして自分も、積極的にお役に立たせていただけるよう、今日もまた元気でぼさつの境地で生きていけますようにと、私の思いをすてて道を求めたいと思います。