雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

死顔 最後のお別れ②

2018-12-21 08:30:00 | つれづれに……

死顔  最後のお別れ②

読経が終り、焼香が始まった。
斎場の係の案内で、前の方から順に祭壇の前に案内され、
焼香がすすめられていく。

この時を「故人との最後のお別れ」と、私は理解している。
祭壇の遺影に向かって合掌し、無言の「さようなら」を呟く。
近しい人や、生前深い親交のあった人には、
在りし日の姿を思い浮かべ、
胸の中で語りかける少しの時間が欲しいのだが、
焼香の列は続き、流れに沿って歩みを進めるしかない。

型どおりの告別式が、進行し焼香が終わると、
「お別れの儀」が始まる。
棺のふたが開けられ、遺族や親族等によって「別れ花」が、
棺の中の個人に供えられる。

最後のお別れだ。

最後に斎場の係員の呼びかけで、
一般の参列者に向けて、「別れ花」を供えるよう促す案内がある。
傍観者であった一般の参列者が、棺に横たわる故人の顔を拝みながら、
「別れ花」を供える。

私はご焼香の時に、「最後の別れ」はすませてきているので、
今さら個人の顔は見たくない。
病み衰え、或いは老いて昔日の面影の残らない顔を見るに忍びない。

(だからこそ、個人の旅立ちへのはなむけとして、遺体の周りを花で埋め尽くし、
彼岸への旅立ちに、「別れ花」で飾るのかもしれない)。

生前の元気な顔を祭壇の遺影の中に求めて
「別れ花」を私は供えなかった。

肉親以外の最後のお別れは、ご焼香で行えばいい。
一般の参列者にまで、故人の顔をさらすのはいかがなものでしょう。

「死」をテーマにした小説の多い、吉村昭は小説の中で次のように述べている。

   通夜の席で遺族から死顔を見て欲しいといわれた時には、
        堪えられませんので……と言って辞退することにしている。

    おおむね病み衰えての死であり、
        その死顔を眼にするのは死者への冒涜ではないか、という思いがある。

    また、無抵抗に人の目にさらしている死顔を一方的に見るのは
    僭越だという気持ちもある。
                           ※ 花 火 吉村昭 著
   
   棺の中の死者は、多かれ少なかれ病み衰えていて、
   それを眼にするのは礼を失しているように思える。
   死者も望むことではないだろうし、
   しかし、抵抗することもできず死顔を人の眼にさらす。
 
                           ※死 顔 吉村昭 著

実際の吉村氏の「最期」は、完璧だった。
 手術の前に克明な遺書を書き、延命治療は望まない。自分の死は三日間伏せ、
 遺体はすぐに骨にするように。葬式は私(津村節子夫人)と長男長女一家のみの家族葬
 で、親戚にも死顔を見せぬよう。…(略)原稿用紙に、弔花御弔問ノ儀ハ個人ノ意志
 ニヨリ御辞退申シ上ゲマス 吉村家 と筆で書き、門に貼るようにと言い残して
 逝った。香奠はかねがねいただかぬ話をしていた。
  (遺作短編集「死」の遺作について 津村節子 より) 
 (吉村氏の死が間近であることがはっきりしてきた時)夜になって、彼はいきなり点滴の管のつなぎ目をはずした。私は仰天して近くに住む娘と、二十四時間対応のクリニックに連絡し、駆けつけてきた娘は管を何とかつないだが、今度は首の下の皮膚に埋め込んであるカテーテルポートの針を(夫は)引き抜いてしまったのである。私には聞き取れなかったが、もう死ぬ、と言ったという。
 介護士が来た時、このままにしてください、と私は言い、娘は泣きながら、お母さんもういいよね、と言った。
 ………吉村が息を引き取ったのは平成十八(2006)年七月三十日の未明、二時三十八分であった。

                    吉村昭氏のご冥福を祈る。     合掌
    (2018.12.18記)   
(つれづれに……心もよう№85)                                        

 

 

 

 












                                  

    

 

 

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