雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

楽園追放 禁断の木の実を食べて楽園を追放される

2017-11-09 18:00:00 | つれづれに……

 

  楽園追放

 

     禁断の木のみを食べて楽園を追放されるアダムとイブ

「マザッチオ作  1427年頃」
楽園追放の最も有名な絵画。神は天地を創造し、6日目に自分をかたどって土で人を造った。
また、アダムの肋骨から女を造った。男の名はアダム、女の名はイヴ

二人はエ デンの園で暮らしていた。
神は「この園にある全ての樹の実を食べても良いが、善悪の知識の木の実だけは決して食べてはならない」と言った。

ある日、エデンの園を歩いていたイヴは、
蛇にそそのかされて禁断の木の実(善悪の知識の木の実)を食べてしまった。
イヴはアダムにも食べさせた。
すると、2人は自分たちが裸であることに気づき、
恥ずかしさのあまり体をイチジクの葉で隠した。

 神は約束を守らなかった罪(原罪)により、
二人を楽園から追放し(失楽園)、蛇を地を這う動物とした。
以後、女には産みの苦しみが与えられ、
男は苦労して地を耕さなければ食料を得ることができなくなった。
誘惑者の蛇は手足を失い、一生腹で這い回る姿になってしまう。
          
日本人がイメージする禁断の果実は、赤いリンゴ。ヨーロッパでは青リ 
         ンゴ。イブが食べたリンゴは、聖書には木の実としか記されていない。                  後世、リンゴが美味しくてかわいいことからリンゴとされたようです。また、
          ふたりが身にまとっていた木の葉が、イチジクの葉なので、イチジクの実と
          解釈する人もいるようです

 
 顔の部分を拡大して見ましょう。
 中世の「宗教画」には、無表情な人物描写が多い中で、
 この絵には「失楽園」の嘆きと悲しみが豊かに描かれているように思います。

 「シャルル・ジョセフ・ナトワール作  18世紀半ば」
こちらのアダムは神の怒りに対し手を合わせ、許されるよう懇願して
います。イブは泣いているのか、眠そうにしているのか、
どちらなんでしょうか・・・。左の背後で蛇が脱走中です

  

  
「マイスター・ベルトラム(ベルトラムの親方)作  14‐15世紀」
神は禁断の木の実を指さし、「お前たちがこの果実を食べたのか」と叱責します。
問われたアダムは首を傾げ、「イブが私に勧めるから、ついつい……」とイブを指さしますが、
顔も視線もイブを見ていません。
イブのせいにして、責任逃れをしようとするアダムのやましい姿に見えます。
一方、名指しされたイブの表情は、晴れ晴れとした表情で、
「いいえ、私が果実を食べたのは、この蛇がしつこくに誘惑したからなのです」。
「決して私が悪いのではありません」
罪の意識も恥じらいもないようです。
木の葉で股間を隠し(恥じらいの自己防衛)、
責任転嫁という意識がすでに追放を前にして現れている絵だと思います。


 絵画鑑賞には、文字からの情報や知識だけに頼らずに、自分の感性を磨き、
作者が何を表現しようとしたのかを捉えることができれば、
楽しい鑑賞ができるのではないでしょうか。
         (2017.11.09記)  (つれづれに……心もよう№70)

 

 

 


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