能登半島地震
1日 午後4時10分
能登震度7 48人死亡 M7.6 200棟以上火災2.8万人避難
( 朝日新聞1月3日一面トップ)
天声人語では、次のように1日の能登地震を伝えている。
『北海道から九州まで津波の到達範囲は日本海側に広く及んだ』
地震発生時のテレビの緊急避難警報では、「津波が来ます。危険です。すぐに逃げて下さい」
アナウンサーの言葉が、定点カメラが映し出す画面から、繰り返し繰り返し流れてくる。
『冬の日没は早い。暗い中で避難を強いられ、寒さに耐える苦痛はいかほどか。
停電や断水が続き通信状態も悪いという。倒壊した建物に閉じ込められ、助けを待つ人もいる』
文章からは、尋常ではない被害の予測を懸念する天声人語氏の声が聞こえるようだ。
一夜明けて見えてきた惨状を、
「コロナ禍の一昨年も約20万人が訪れた観光地」の被災を次のように表現している。
『道路は地割れでめくれ上がり、山肌はむき出しに。…輪島市では大規模な火災がおき、
有名な朝市の一帯も焼失した』
『季節を告げる自然は、時に牙をむく。災害はいつ起きてもおかしくないのはわかっている。
それでも「正月になぜ」と思わずにはいられない』
限られたスペースの中に、読みやすい短いセンテンスの文章が、災害の悲惨状況を簡潔に伝えている。
2日 午後5時50分ごろ、日航機炎上 海保機と接触
羽田空港 乗員乗客 全379人脱出。
海保5人死亡 6人搭乗
( 朝日新聞1月3日一面)
516便の乗員は 12人、乳児8人含め乗客367人で、計379人全員が脱出。
能登半島地震の対応で物質を搬送するために、新潟航空基地に向かおうとして、
滑走路に待機していたときの事故だという。
能登半島の地震についての補足記事。(朝日新聞1月3日2面)
能登半島での地震は2020年12月から活動が活発になった。
23年12月までの震度1以上の地震は506回を数えるという。
登半島では2007年にもM6.9、最大深度6強の地震が発生している。
「壊滅的な被害だ。(普通に)立っている家がほとんどない。
9割方、全壊もしくは、ほぼ全壊という状態だ」
珠洲市泉谷満寿裕市長が県災害対策本部員会議での発言に、
その深刻さと今後の困難さを予測するような発言だ。
社会31面に、規模の大きさを喚起するような大きな見出しが躍る。
激震 崩れる民家 珠洲 川が逆流「津波が家の中まで」
「壊滅的被害」全容見通せず 寒さ耐え 物資待つ 能登・穴水
大きな揺れが起き、外に飛びたすと自宅が崩れた。
「痛い」「助けて」。
妹の叫び声が(瓦礫の中から)聞こえた。
消防も市役所も電話がつながらない。
大きな活字の見出しを拾うだけでも1月3日朝刊の新聞は、
拾いきれない活字が躍っています。
被災した人たちの立場から浮かぶ言葉は「茫然自失」。
何をしていいかわからい。考えがまとまらない。
頻発する地震と、
寒さにおびえて眠れない夜を過ごさなければならない人たちの苦しみが伝わってくる。
日常性の連続が、ある日突然断絶してしまうと、
人は何をしていいかわからなくなってしまう。
今日一日が無事であったように、
おそらく明日も似たような日が訪れるだろう。
昨日・今日・明日と連続した日常の中で、私たちは年を取っていく。
今日、無事に生きられたから、
予測のつかない明日であるけれど、
おそらくは今日とさほど違わない明日を迎えることを予測する。
だから私たちは安心して今日を生きられるし、
明日を迎えることができる。
だが、ときとして、
事故や自然災害、脳梗塞やくも膜下出血などに遭遇し、
日常の連続性が遮断されてしまう時があります。
「予測のつかない出来事」が起きた時、
私たちの思考は混乱し、
行動そのものも活動を停止してしまうこともあります。
いわゆる「茫然自失」という状況に置かれてしまうと、
何をしていいかわからなくなってしまう。
表現を変えれば、何もできなくなってしまう。
つまり、今日が明日へとつながっていかなくなってしまう。
「トラウマ」という現象が起こってきます。
現実に起こったことを理解できない、あるいは認めようとしない。
自分に降りかかった非日常のできごとから立ち直ることができず、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)となって、
心に傷を負ったまま、回復するには長い時間が必要とされます。
人間はそれでも負けない。
時間が必要かもしれないが、失われた日常を取り戻すために、
心に負った喪失感や悲しみを、
失われたピースの一つ一つを探して埋めていくような忍耐強い作業を重ね、
日常を取り戻していく強さと、自浄作用で乗り越えてほしいと思います。
(ことばのちから№2) (2024.01.27記)
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