読書案内「帰艦セズ」吉村昭著
ブックデータ: 文春文庫 2011.7第三刷 短編集
「帰艦セズ」の初出掲載誌 新潮 昭和61年1月号
戦争で息子が戦死した。届いた箱の中には石が一つ入っていた。
お国の為に戦い、英霊として靖国神社に祀られる。
大義の為に命を捧げざるを得なかった人の死に対して、
赤紙一枚で、個人の事情などまったく勘案することなく、
強制的に兵役を課せられた人の無念さを思えば、
なんと軽々しい戦死の扱いか。
木箱一つを送り付けられて、
最愛の夫や息子を戦死させてしまった遺族の後悔は計り知れない。
どのような状況で戦死したのか、
遺族としてはどんな些細なことでもいいから戦死に関する情報を知りたいと思うはずだ。
「帰艦セズ」は一人の逃亡兵の話である。
死亡者は成瀬時夫、大正十年七月十九日生まれで、海軍機関兵、死因の欄には「飢餓ニ因ル心臓衰
弱」とあり、死亡の場所は小樽市松山町南方約二千米の山中とあり、どのような死であったのか記述
されてない。
死亡者は海軍機関兵であり、
軍に籍を置いたものが飢えて衰弱死するなどということはあり得ない。
しかも、死亡場所が山中で、なぜそのような地に海軍機関兵が行ったのかも疑問に思われた。
死亡通知を受けた遺族の思いもまた複雑だったに違いない。
「戦死」という報告なら、無念さ故のくやしさを抱きながらも、
あきらめざるを得ないが、「飢餓ニ因ル心臓衰弱」ではどう解釈していいか困ってしまうが、
死を究明する手立てがなければ、疑問を抱えながらもあきらめざるを得ない。
過去の出来事を掘り起こす作業は、根気のいる仕事だ。
糸口を発見するための努力のほとんどは、成果のない徒労に終わってしまう。
「死亡者住所」を手掛かりとして遺族を探し出すのが常道であるが、
戦後三十数年が経ってしまえば、遺族を突き止めるのにも可なりの労力を要する。
記載された住所の地区の成瀬を名乗る家の番号を電話帳から抽出し電話をかける。
橋爪は成瀬時夫の遺族であるかを電話の相手に向かって、確認する。
やっと遺族に辿りついた。
年老いているらしい女の弱々しい声が流れてきた。「時夫は私の倅ですが、生きているのですか?」
声が急に甲高くなり、夫を13年前に亡くした84歳になる女は叫ぶように言った。手元にある資料を読み上げ、
「飢餓ニ因ル心臓衰弱」と記録されていることを伝え、あなたが知っていることを教えてほしいというと、電話口で夫人は次のように答える。
「息子が北海道のどこかの港で休暇をもらって下艦した折、軍艦が緊急出港したので帰艦できず、そのまま行方不明になっている」と答えた。それから一年過ぎた頃、骨壺が贈られてきたが、内部は空で、母親は、遺骨がないことから息子がどこかに生きているのかもしれない、とひそかに考え続けてきたという。
(つづく)
(読書案内№189) (2023.10.6記)