雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「桜守」 水上勉著

2018-04-25 09:25:40 | 読書案内

読書案内「桜守」 水上勉著
         新潮文庫 昭和51年4月刊 平成7年第16刷
                           
他に、木造建築の伝統を守って誇り高く生きる老宮大工を描いた長編『凩』を併せ収める 


  昭和43(1968)年に書かれた小説。
50年も前に書かれた小説だが、今読んでも少しも古さを感じない。

4月の桜の季節には是非読みたい小説のひとつです。
何度も読めば、新しい発見があり、年齢とともに受け止め方も違ってくる。

 丹波の山奥に大工の倅として生れ、若くして京の植木屋に奉公、
以来、四十八歳でその生涯を終えるまで、
ひたむきに桜を愛し、桜を守り育てることに情熱を傾けつくした庭師弥吉。
その真情と面目を、滅びゆく自然への深い哀惜の念とともに、なつかしく美しい言葉で綴り上げた感動の名作『櫻守』。(ブックデータより抜粋)

 時代に迎合せず、
頑ななまでに自分の生き方を「櫻を守る」ことに命を賭けた男「弥吉」の生涯を描く。
「生きるということは」、「道を究める」と言うことはこういうことなのかと、
厳しく自分の生き方に忠実に生きた男の生涯を感動を持って読んだ。

小説の冒頭。
主人公弥吉5歳のころ。
『母と祖父の笑う声がした。満開の桜の下だった。…かわいた地べたに、白い太股を見せた母が、のけぞるように寝ていて、わきに祖父がいた。家ではいつもいらいらしている母が、楽しそうにはしゃいでいる。見てはならないものを見たような、一瞬、恥ずかしい気持ちが襲った』

 満開の桜の下で、華やかで、どこか物哀しく、
そしてどこかに暗さを漂わせたイメージが、生涯弥吉についてまわる。
なぜこれほど櫻に見せられたのか。
誰にも解らない。
一途に生きる
冒頭の桜のイメージを生涯追い求めた弥吉は、
後年大人になってから少年のころに見た母と祖父の桜の下での光景を思い出す。

『母が祖父と一緒に生家の背山(うしろ)へのぼったのは二十七、八だろう。まだ、ぴちぴちした若さで、桜の下で見たふくらはぎも、絹のように白くて肌理(きめ)がこまかかった。木挽の祖父との姦通が原因で、母が父から離縁されたのなら母に落度があったのではなく、むしろ母をそんなにまで、祖父に接近させた父のほうに、計画があったのではないか。十歳までの記憶の中で、父が家でにこやかにすわっている姿は見たことはないのだった。いつも祖父が炉端にいて、母は祖父の前で子供のようにうきうきしていた』
 
 弥吉は桜守として、桜を守り育てることに情熱を傾け続け、
共同墓地の「老桜」の大樹の根元に埋葬してくれと言って48歳の生涯を閉じる。

桜職人として一途に生き、生涯を桜に捧げた弥吉の心の底には、
満開の桜の木の下で祖父と楽しそうに戯れる母の姿があったのだろう。

 幼い弥吉と木挽の祖父との寂しい暮らしの中で、
他所に女を作り帰ってこない夫を待ちながら、
祖父と一線を越えてしまうのは夫への復讐ではなく、
人里離れた山里で暮らす希望の閉ざされた生活。
寂しさ耐えられなかった女の切ない心情なのかもしれない。

満開の桜の季節になると毎年この小説を読み直し、
「寂しいという気持ち」が人の一生を決めてしまう時もあるのだなと、弥吉やその母に思いを馳せる。
作者・水上勉の弱者への優しいまなざしを感じる好きな小説のひとつです。
    (2018.4.24記)    (読書案内№122)

追記:
  「桜守」の弥吉は創作された人物だが、弥吉が先生として慕う桜学者の「竹部庸太郎」には、実在のモデルがおり、御母衣ダムの湖畔に移築された樹齢400年の老桜の挿話は、事実に基づいた話であり、現在も「荘川桜」として、春にはダム湖に沈んだ村の象徴として爛漫の花を咲かせ、往時の出来事を彷彿とさせています。
                                            (2018.4.25記)


 

 

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