雨月物語 「菊花の契り」上田秋成著
重陽の節句(9月9日)
昔、中国では奇数を陽の数とし、陽の極である9が重なる9月9日は大変めでたい日とさ れ、菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い長命を願うという風 があった。
日本には平安時代に伝わったそうです。 (日本の行事より)
新暦では10.28が旧暦の9.9にあたり、菊花の香り漂う中での菊酒を味わい、
菊花の契りの物語を思い浮かべるのも粋なものですね。
雨月物語は、江戸時代後期に書かれた、「怪異譚」で、ここに収められた9編の小説は、いずれも
怪しい魅力にあふれている。雨の夜、月の夜に「淫風」が吹き、異界の物語が始まる。
その中の一編「菊花の契り」を紹介します。
「菊花の契り」
母と二人、赤貧に甘んじ、儒学を学ぶ者がいた。名を左門という。
旅の途中で病に倒れた宗右衛門を左門は手厚い看護で快復させた。
宗右衛門は
「さすらいの身に、かくまでおめぐみを賜る。死すともおこころざしに報いたてまつろう」
と涙を流して感謝する。
やがて二人は義兄弟の契りまで交わすようになる。
初夏のある日、左門と宗右衛門は再会の日を、
重陽の節句の9月9日と約束し、
宗右衛門は故郷の出雲の国に還っていった。
やがて約束の再開の日が来た。
左門は朝から家の前で宗右衛門の到着を待った。
しかし、宗右衛門は現れない。
夜になっても宗右衛門は来ない。
もしやと戸の外に出てみれば、銀河の影さえざえに、月光われのみを照らしてさびしく、軒をまもる犬の吠える声すみわたって、浦浪の音のつい足もとに打ち寄せるかとおぼえた。やがて、月も山の端にくらくなれば、今はこれまでと、戸をたてて入ろうとするに、ただ見る、かなたに薄墨の影ゆらゆら、その中にひとあって、風のまにまに来るをあやしと見定めれば、宗右衛門であった。
宗右衛門は故郷で、お家騒動に巻き込まれ、
監禁状態になり、逃げだすこともままならず、
約束の日を迎えることになってしまう。
宗右衛門は自害し、魂となって再会の約束を守ったという。
「今は永きわかれじゃ」。たちまち姿はかき消え。左門あわてて、引きとめようとすれば、淫風にまなこくらんで、その行方を知らず、ものにつまずいてうつぶせに倒れたまま、声をあげて大いになげいた。
中学か高校の国語の教科書で「菊花の契り」を読み、
怪しげな情景の中に繰り広げられる物語を、
大人の友情物語として読んだ記憶があります。
同時に、太宰治の『走れメロス』を少年の命を賭けた友情物語として捉えていました。
しかし、この「菊花の契り」には、
もっと深い意味があることを知ったのはかなり後になった、
40代のころだつたと思います。
左門と宗右衛門の関係は「衆道」の関係だということを知れば、
物語のなかで感じた左門と宗右衛門の不自然なまでに親密な関係がなるほどと納得いくのです。
※ 「衆道(しゅどう)」について
日本における男性による同性愛及び少年愛等の名称および形態。
仏教寺院で発生し、中世には武士の間で盛んに行われ、近世には庶民にも流行するものの、
幕藩体制下で風紀を乱すものとして粛正の対象になり、薩摩など一部地域でのみ生き残った。
文中の日本語訳は新釈雨月物語 石川淳著 ちくま文庫によるものです。
(2017.9.13記) (読書案内№108)