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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

晩秋から初冬へ……山頭火

2017-10-24 21:26:48 | 季節の香り

秋を詠う…… 山頭火
秋の長雨というのでしょうか、
台風のせいもあって3日以上も雨が降りつづいている。
朝晩の気温もめっきり冷え込んできています。

各地の紅葉の便りを聞けば、
秋は錦秋の彩を陽に輝かせて、
樹々たちが冬眠に入る前の最後の命の輝きであり、
春の芽吹きの前のひと時の安らぎなのだろう。

 山頭火には哀しく寂しい秋が似合う。

   うしろすがたのしぐれていくか

    放浪をかさね、命ぎりぎりの生を生きた山頭火の後ろ姿が時雨のなかへ消えていく
     山頭火よ!
     幻のように見えない人生の坂を超え、あなたは何処へ向って歩いていたのか。

   どうしようもない私が歩いている
    やっぱり一人はさみしい枯れ草

    僧形姿で托鉢行脚をつづける山頭火は、
     自分の姿を「どうしようもない私」と卑下し、
     山野の露の下を仮寝の宿とする。

          雨ふるふるさとははだしであるく
    沈み行く夜の底へ底へ時雨落つ
     
     どこまでも寂しい山頭火です。
     秋の底へ、
     深く深く沈んでいく山頭火です。


   


6月の風

2016-06-05 22:44:48 | 季節の香り

  六月の風

6月の風は

どこかに
新緑の軽やかさと
キラキラ輝く少年の日の
懐かしい思い出を運んでくる

美しい人の
髪の間からかすかにこぼれてくる
移り香が
少年の心を弾ませ
少年はうっすらと汗をかいて
思春期の憧れを
6月の風に載せる

一方で
6月の風は
雨の匂いを含んで
幾分重い風となって
徐々に体臭の濃くなっていく
思春期の少年の髪の間を
さらりと通り抜けていく

風よ
悪戯な風よ
田植えの済んだあぜ道を歩いていく
髪飾りの似合う少女の
スカートにまつわりついて
青空に還っていく風よ

還る前に
少年が託した6月の風の想いを
郵便かばんから取り出して
空いっぱいにひろげて欲しい

春の名残りのさわやかで
少しだけ憂鬱な
6月の風


晩春の我が家の庭 (3)

2016-04-27 11:00:00 | 季節の香り

晩春の我が家の庭(3)   (季節の香り№28)
                                     

   晩春の明るく少し強めの紫外線を受けて、命のかがやきは頂点へとむけて咲き誇り、やがて落ちていく。
   白と黄の牡丹は少し遅れて咲いてきます。その後を追うようにシャクヤクが咲いてきます。

寂として客の絶間の牡丹哉     与謝蕪村
牡丹散ってうちかさなりぬ二三片   与謝蕪村


晩春の我が家の庭 (2)

2016-04-26 11:06:30 | 季節の香り

晩春の我が家の庭 (2) 
                                               (季節の便り№27)
藤の花が今年も咲いてくれた。
大好きな芭蕉さんの句を一句。
       くたびれて宿かる頃や藤の花
            晩春の黄昏時、疲れた足を引きずりながら、今夜の宿を探す芭蕉さん
            の姿が浮かんできます。かすかに甘い匂いが漂ってくる。見上げると
            藤の花が咲いていました。旅の疲れが癒されるひとときを切り取り
            俳句に織り込んだ芭蕉さん。さすがです。

 藤の花の向こう側には、牡丹が咲いています。
    山門に牡丹咲きしと女文字   辻井桂子
           牡丹に劣らない美しい文字の便り、「山門に牡丹が咲きました」なんて奥ゆかしい人なのだろう。
           品格がある。
    牡丹見し残像重ね観世音   白澤よし子
           観世音の優しく優雅な顔と、牡丹の美しさが重なります。

最後にサトウハチローの「目ン無い千鳥」を紹介します。
    雨の夜更けに弾く琴が
   白い小指にしみてゆく
   花がちるちる春が逝く
   胸の扉がまた濡れる


春は別れの季節

2016-03-16 21:33:26 | 季節の香り

春は別れの季節 (季節の香り№25)

 陽だまりの中で 福寿草が咲き
 食べものの少なくなった里山から
 野鳥たちが 庭の万両実をついばみに来る

 クリスマスローズが盛りを迎え
 梅の花が咲く
 作りすぎた大根が 畑の中で霜枯れていく
 
 春の準備で 耕された畑の土の中で
 冬の眠りから無理に起こされた虫たちが
 小鳥たちの餌食になる

 梅の花が散る頃
 桜の花芽が大きく膨らんでくる

 別れの季節がやって来たのだ


  今日、保育園で長年続けているボランティアの最後の行事があった

  週三回続けている「あむじいのいっしょによもう」の最後の集いである
  絵本、紙芝居、お話しなど 一つのメニューを20分かけて進める
  主役は園児たち
  私は話のリード役
  だから「よみきかせ」ではなく「いっしょによもう」なのである

  発言自由、字の読める園児には数行を読んでもらう
  質問も自由
  話が横道にそれるのも歓迎

  何でもありだから、参加するのも自由
  面白くなかったら 運動場ゃ砂場に行って遊ぶのも自由

  子どもは正直だから面白くなければすぐいなくなる
  だから私も真剣勝負
  ネタづくりは十分にして臨む

  極端に言えば一人しか集まらなくても
  「あむじいのいっしょによもう」は開催されます
  一人しかいなければ その子を抱っこしてお話をする
今日は さくらぐみのみなさんがあつまりました。
今日のメニュー「かちかちやま」「やきざかなのうらみ」「あめのひはいやだよ」です。

 そして、今日はさくらぐみの最後の日です
みんな仲良く
みんなありがとう
 4月になれば 新しいお友達に会えるよ
  


福寿草の里

2016-03-15 12:10:19 | 季節の香り

福寿草の里  松本市四賀(旧四賀村)
 四賀の福寿草が懐かしく思い出される。
 小高い丘全部が福寿草に覆われ、ちょっと冷たい気温の中を散策するのも
 春の訪れを満喫できてとても癒されます。
 泥濘(ぬかるみ)などもあが、長靴などの貸し出しもあり、楽しく過ごすことができます。

 例年、この時期が信州・安曇野を訪れる最初の訪問になっていた。
 雪解けを待ちわびたようにして、300㌔の高速道路を走る。

 到着すれば、かわいい孫たちが迎えてくれる。
 「孫たちに会いたい」このことのためだけに遠い道のりを走り、
 この年最初の訪問を「四賀村の福寿草」で孫にあえた嬉しさを、
 互いに実感していた。

 懐かしくも、哀しい思い出だ。

 14歳の12月初めに孫を亡くした哀しみは、
 心が折れて、自分の存在がどこにもないような日々。
 闇に閉ざされた道をを、手探りで歩くような辛い日々だった。

 以来、孫たちがいる長野の地を訪れなくなってしまった。
 自然に恵まれたこの地の何を見ても、孫との思い出に繋がり、
 そのことがますます早逝した孫への未練となって、
 心がなえてしまう。

 50万株という福寿草の群落が、四賀の小高い丘を埋め尽くす。
 今年も、きっとそんな風景が訪れているのだろう。

 「旅人になりたい」といっていた孫は、
 この福寿草の群落にも来ているかもしれない。
  
 現地の写真を見ながらそんなことを思う春の訪れだ。

 

  ブログ・さわやかな風 2 さんのブログ写真を見て久し振りに「四賀の福寿草」を思い出しました。また、「白鳥湖」や「大王わさび園」「国営アルプス公園」「松本城」等々いつもなつかしく拝見させていただいています。ありがとうございます。
   信州の春は花々が一斉に咲き競う明るい春の幕開けです。懐かしいなー
  

 

 


秋が逝く(フォト日記)

2015-11-30 18:00:00 | 季節の香り

秋が逝く

   晩秋の道を仰げば土手の上に秋の名残が…

曇天の空にそよいで…

道路標識がどこか寂しい… 自動車のエンジン音が曇り空に吸い込まれていく

高架橋の上から見下ろせば ローカル線の単線が秋のむこうに消えている

収穫が終り

初冬を迎える農村は 静かに秋に溶け込んでいる