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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「夜明け前」 ① 第一部(上) 島崎藤村著

2018-03-12 10:17:28 | 読書案内

読書案内「夜明け前」第一部(上) 島崎藤村著
           新潮文庫2006年刊 第86刷

「木曾路はすべて山中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」

  多くの人が知っている島崎藤村の「夜明け前」の冒頭である。
冒頭で有名なものには、「雪国」、「平家物語」などたくさんある。
個人的には、
「龍哉が強く英子に魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれる気持ちと同じようなものがあった。」という
「太陽の季節」 の冒頭が好きだ。
 「若い世代の圧倒的共感と大人の猛烈な反感の間に爆発的に誕生した、
 真に新しい戦後文学の記念碑的傑作」と、当時のキャッチコピーは詠っている。

 冒頭の有名な作品は、語り継がれるだけあって名作と評価されている作品が多い。
しかし、私の場合多くの冒頭部分は高校受験の国語の試験対策として覚え、
作品を読んだものは皆無に等しかった。
気持ちの中には、「なんて馬鹿々々しい問題を出すのか」という思いが強くあった。
時を経て、私はその一つひとつを読んでいった。
「平家物語」「方丈記」「源氏物語」「枕草子」「奥の細道」等々。
現代語訳で読んだものもあるが、一つだけ未読のものがあった。
 それが、「夜明け前」だった。
一度は手に取り、途中で挫折した本である。
 冒頭で示した描写が数ページ続き、前回はこの部分で挫折してしまった。
しかし、読み進んでいくうちに木曽路の宿場町の一つである「馬籠宿」の生活の様子が淡々と描かれ、
歴史の中に埋もれていってしまう「宿場」の生活が生き生きと描写されていることに気付かされる。

 幕末から明治にかけて、
中山道・木曽路の「馬籠宿」の本陣・問屋・庄屋をかねる家に生れ国学に心を傾ける青山半蔵の目を通して描かれるこの大作である。
武士が築いてきた封建制度が崩壊し、
新しい時代の波が押し寄せ確実に来るのだ。
新しい時代か来るのだ。
半蔵は希望に燃え、時代の夜が明けるのだと期待に胸を膨らませる。
 だが、半蔵の期待と裏腹に時代は意外な顔を見せ始める。
 
この歴史小説に登場する人物は、
市井に生きる人々たちで、歴史に名を残す人物や英雄は一人も登場しない。
 島崎藤村自身の父をモデルにした、
幕末から明治の時代の変わり目に生きた半蔵の一生を描いた歴史小説である。

 ストーリーの進展も遅く、大きな事件も描かれない。
かなりの根気と、幕末の歴史に興味がないと読破するのは困難なのかもしれない。
しかし、このことと小説の偉大さはまったく別のものである。
歴史的人物や英雄を描いた歴史小説は多いが、
名もない庶民(青山半蔵)の目を通して描かれたところに
この小説の特徴がある。
 
 幕府の威信が揺らぐような事件が次々に起こる。
 ペリー来航→日米和親条約→日米修好条約→安政の大獄→桜田門外の変→和宮降嫁等大きな政変が起きるたびに
木曽路は騒然となる。
京を目指して井伊家の家臣たちが半蔵の本陣に泊まる。
皇女和宮の婚礼の行列が木曽路を通る。
その度にそれらに携わる荷役人夫や荷馬の用意など少ない賃金で手当をしなければならない。
献金の割り当て食料の用意など多額の拠出が強いられる。
名字帯刀を許されるのさえ、多額の金を用意しなければならない。
 そうした、細々したことが微に入り細にわたって小説は展開していく。
 全四冊の内の一冊目は、騒然とした宿場の暮らしを描いて幕を閉じる。
     (2018.03.12記)                              (読書案内№121)




 

 

   

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読書案内「北越雪譜」 吹雪の章 

2018-02-06 22:10:29 | 読書案内

北越雪譜 吹雪(ふゞき)の章
          
ックデター: 鈴木牧之により天保6~7(1835年~36)年に書かれた、雪国百科全書。
                   美しく舞い散る雪も、ここ北国塩沢(越後魚沼市塩沢)の地ではすざましい
                   自然の驚異となり人々の暮らしを圧迫し続ける。
                                                  著者鈴木牧之(1770-1842)は雪とたたかい、雪と共に生き、雪の中に死ん
                                                  でいく里人の風俗習慣や生活を、雪国の動物と人間のかかわりや雪中の幽霊
                                                  のような奇現象とともに、珍しい挿絵を交えて紹介している。(表紙紹介文参照) 
                  岩波文庫 1936年第一刷 1978年第22刷改版 2004年第59刷発行                        

 
  庭の梅の木にメジロが訪れ、虫をついばんでいる。
小さな庭にムクドリ、ヒヨドリ、スズメなどが餌をついばみに来る。
春はまじかと思う毎日。だが地域によっては異常寒波の襲来で、
例年にない雪の多さに戸惑う住民や交通機関の混乱がテレビから流れてくる。
雪の少ない地域では、久しぶりの雪に少しの迷惑と、
新鮮な雪景色を鑑賞する小さな喜びを感じる。

 しかし、雪国では雪は生活の一部であり、戦いの対象として捉えられる。
屋根に積もった雪は家を押しつぶし、除雪をしなければ道路は閉鎖されてしまう。
毎日が雪との闘いになる。

 先に紹介した「北越雪譜」から「雪吹」についての記述を紹介します。

雪吹は樹などに積もりたる雪の風に散乱するをいふ。
其状優美(そのすがたやさしき)ものゆゑ花のちるを是に比して花雪吹といひて古哥(こか)にもあまた見えたり。
地吹雪が二人を襲い、是東南寸雪の国の事也、
(雪が風に乗って散乱するさまを吹雪というが、その舞い散る様子は優美で、花吹雪などといわれ、
 昔の歌にもよく詠まれている。このような雪の降る様子は、雪の少ない国の話なのだ……、
)

北方丈雪(じょうせつ)の国我が越後の雪深(ふかき)ところの雪吹は雪中の暴風雪を巻騰飈(まきあぐるつちかぜ)也。雪中第一の難義これがために死する人年々なり。その一ツを挙げてここに記し、寸雪の雪吹のやさしきを観人(みるひと)の為に丈雪の雪吹の愕眙(おそろしき)を示す。
(北国の私の国越後の雪深い地域では、吹雪というは、荒れ狂う風が降り積もる雪を蹴散らすその様をいい、「暴風雪を巻騰飈(まきあぐるつちかぜ)」)と表現しています。吹雪にはとても苦しめられ、毎年このために死んでしまう人もいる。
雪国の辛さ苦しさを知らない人に、吹雪がどんなに怖ろしいかを、百姓夫婦が吹雪に襲われ、その中にとじこめられ、互いに名を呼び合い雪に埋もれて命を落としていく悲しい物語を紹介している。
(農人夫婦逢雪吹図・)

 初孫を見せに妻の実家に帰る二人に、地吹雪が二人を襲う。晴れ間を縫っての出発だったが、天候の急変に乳飲み子を抱かえた二人は、必死にこの吹雪の中から脱出しようと試みる。雪笠は風に飛ばされ、樹々たちは風雪に荒れ狂う。握り合った手と手もいつしか引き裂かれ、互いを呼ぶ声さえ切れ切れに強風に飛ばされていく。渦巻く雪が二人の命を無情に飲み込んでいく。
 命のかぎりなれば夫婦声をあげほういほういと哭叫(なきさけべ)ども、往来の人もなく人家にも遠ければ助る人なく、手足凍へて枯れ木のごとく暴風に吹僵(ふきたお)され、夫婦頭を並べて倒れ死しけり。此雪吹その日の暮れに止み、次の日は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかかりしに、かの死骸は雪吹に埋められて見えざれども赤子の啼く声を雪の中に聴きければ、人々大いに怪しみおそれて逃げんとするも在りしが、剛気の者雪を掘りてみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらわ)れたり。

 哀しい雪国の物語は、親が子を守るために注いだ命を賭けた「愛」の物語となって幕を閉じます。

 さては昨日の雪吹倒れならん、皆あつまりて雪を掘り、死骸を見るに夫婦手を引きあひて死居(しゝゐ)たり、児は母の懐(ふところ)にあり、母の袖児頭を覆いたれば、児は身に雪おば触れざるゆえにや凍死(こごえしなず)、両親の死骸の中にて又声をあげてなきけり。
 雪中の死骸なれば生きるがごとく、見知(みしり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもいやられて、さすがの若者らも泪をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑につつみ夫(おっと)の家に荷(にな)ひゆきけり。
 
 

 男の実家では若夫婦は、孫を抱かえて嫁の実家に里帰りをしているものと思っていた。
帰宅した二人を見て言葉もなく、物言わぬ二人に抱きつき、頬を摺り寄せて泣き叫んだ。
「見るも憐(あわれ)のありさま也」
と記述し、
一人の男懐(ふところ)より児をいだして姑(しゅうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行(りやうかう)の涙を落としけるぞ。

 哀切極まりない話しを紹介し、「花吹雪」などと軽い気持ちで表現するのは、雪の少ない暖地の人々だ。と述べ「雪国の難義暖地の人おもひはかるべし」と戒めている。

 今日も地域により、大雪の予報が流れている。
「一晩の降雪で車が雪に覆われ、排気ガスで50代の男が亡くなった」とテレビは伝える。
かの地の雪との闘いを思い、かの地の苦労を思いながら本を閉じる。

      ※ 「北越雪譜」についてはgooブログ 123qweaz 斉藤野人の斉藤野語「コトノハとりっく」さんの
     1/9 23付にもアップされています。興味のある方はご覧ください。

      (2018.02.06記)   (読書案内№120)

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読書案内「小ぬか雨」 藤沢周平著 ②

2018-01-23 21:39:53 | 読書案内

読書案内「小ぬか雨」藤沢周平著 ②
      短編集「橋ものがたり」所収 新潮文庫
男と女
おすみは新七と名乗るその男を信用し、かくまうことにした。

男の言葉つきが丁寧だったからでもあったが、
お嬢さんと呼ばれたせいでもあったようだった。
おすみはもう二十で、これまで人にお嬢さんなどと呼ばれたことはない。
 
 
「おすみ」と男の出会いである。
言葉つきも丁寧で、
物静かで、躾(しつけ)のいい家に使われているお店者(たなもの)のような感じがする男である。
本当に喧嘩をしただけで追われているのか。
といただす「おすみ」。
厳重な警戒網をしかれて、橋という橋には見張りが立ち、
「すぐに出ていく」と言った新七が来てから5日が過ぎた。
その日の夕方、奉行所の者が訪ねて来て「おすみ」に人相書きを示した。
「新七と言ってな。人殺しだ」。
そう聞いても「おすみ」はたじろがなかった。
新七を追い出すには時間が立ちすぎていた。
粗野で野卑な勝蔵とは違い、物静かな新七に「おすみ」の気持ちは傾いていったのだ。

 夜明け方。
おすみは寝間に入ってきた男と、身体を重ねたような気がした。
男は勝蔵とは違って、限りないやさしさでおすみを包み込み、
そのやさしさにおすみは乱れ……。
朝の光が、ほの暗い根部屋に漂ったとき、
おすみは眼ざめて床のわきに男を探した。
だが新七の姿はなかった。
そこに男がいたのが、夢ともうつつともわからなかった。
ただ四肢に、まだ気だるい喜びが残っていた。

 
ここの描写がとてもいい。
男と女の濡れ場を具体的に描写してしまえばこの短編の情緒が台無しになってしまう。
「四肢にまだ気だるい喜びが残っていた」という絶妙な表現により、
おすみの心に疼いている恋心が情緒豊かに読者に伝わってくる。

新七が来てから、10日目の早朝別れの時が来た。

渡らない橋

 親爺橋の上、
いきなりおすみを抱きしめた新七「もっと早く、あんたのような人に、会っていればよかった」。
「逃げて、あたしも一緒に行く」すがるような思いを新七にぶつけるおすみ。
だが、新七は「あんたを忘れません」と、身をひるがえして橋の向こうに消えていく。
最後の数行は次のように終わり、
読者は余韻に酔いしれたまま本のページ閉じることになる。


(時代劇専門チャンネル「小ぬか雨」より)
(おそ)い時期に、不意に訪れた恋だったが、
はじめから実るあてのない恋だったのだ。
それがいま終わったのだった。
…また前のような(勝蔵との)
日々が始まるのだ。
切れ目なく降り続ける細かい雨が心にしみた。
――
小ぬか雨というんだわ。
橋を降りて、
ふと空を見上げながら、おすみはそう思った。
新七という若者と別れた夜、
そういう雨が降っていたことを忘れまいと思った。
                             
                   
 (おわり)             

(2018.01.19記)  (読書案内№119) 

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読書案内「小ぬか雨」 藤沢周平著 ①

2018-01-20 19:00:00 | 読書案内

読書案内「小ぬか雨」藤沢周平著 ①
      短編集「橋ものがたり」所収 新潮文庫
 人生の中で、出会いはその人の生き方を左右するような大きな出来事になる。
ほとんどの出会いは、
永い人生行路のなかのありふれた一シーンとして、
時間が過ぎれば消えていく出会いかも知れない。
短編「小ぬか雨」に描かれた世界も出会いを描いて秀逸である。

 「橋ものがたり」に収められた短編は「橋」が重要なキーワードになっており、
「小ぬか雨」も例外ではない。
長い人生行路には、
渡らなければ次の一歩が踏み出せない「橋」(決断の橋)、
渡ってはいけない橋(禁断の橋)、出会いの橋等がある。
橋を隠れたキーワードとして書かれた作品を探して読んで見るのも読書の楽しみである。
(読書案内「傾いた橋」2015.08.02① 08.21②にもアップしています。興味のある方はどうぞ読んでください)

 偶然の出会いが若い男女の心を惹きつける

(時代劇専門チャンネル・「小ぬか雨」のラストシーン)

 おすみは孤独だった。
早くに両親を亡くし、おそらく楽しい思いなどしたことのない女だった。
伯父に任された履物屋で商いをしながら一人で暮らす「おすみ」は、
伯父が世話してくれた「勝蔵」という職人と所帯を持つことになっていた。
勝蔵は訪ねてくれば、おすみの気持ちなど構わずに体を求めるようながさつな人だった。
好きでもないこの男と一緒になって、
一生を終わることを想像すると、希望のない人生だった。

 ある日の夜、裏口の戸を閉めに行った「おすみ」は、
土間の隅にうずくまっている若い男を見て、
思わず叫び声をあげるところだった。
「追われているんです。すぐに出ますから」。

小奇麗な身なりをしたその男は、
おすみを「お嬢さん」と呼び、
その響きにおすみは心の揺らぎを感じていた。(つづく)

(2018.01.18記)    (読書案内№118)

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読書案内「ドクター・デスの遺産」 中山七里著 安楽死の問題を問う

2017-12-26 19:00:00 | 読書案内

ドクター・デスの遺産 中山七里著 角川書店 2017.6再販

 
 警視庁にひとりの少年から「悪いお医者さんがうちに来てお父さんを殺した」との通報が入る。
当初はいたずら電話かと思われたが、
捜査一課の高千穂明日香は少年の声からその真剣さを感じ取り、
犬養隼人刑事とともに少年の自宅を訪ねる。
すると、少年の父親の通夜が行われていた。
少年に事情を聞くと、見知らぬ医者と思われる男がやってきて父親に注射を打ったという。
日本では認められていない安楽死を請け負う医師の存在が浮上するが、少年の母親はそれを断固否定した。次第に少年と母親の発言の食い違いが明らかになる。そんななか、同じような第二の事件が起こる――。
                                    ( ブックデーターから引用)
 次々に起こる安楽死事件は、近親者の依頼を受けた「ドクター・デス」が関わりを持つ事件だ。
現行法では殺人事件として警察の追求を受ける。
「ドクター・デス」とは何者か。
安楽死の要請があった家や病室を影のように訪れ、
苦しむ患者に安楽死の施術をしていく。
難病の娘を持つ犬養刑事はこの娘を使い、
囮捜査でドクターデスをおびき寄せる。
サスペンスにとんだミステリーを「安楽死問題」という重いテーマを絡めた作品だが、
テーマが重いわりには、読者の心に響いてくるものがない。

 医療とは、安楽死とは、尊厳死とは。
この辺の問題をもう少し掘り下げて表現できれば、
味わい深い作品になるのだが……。
ドクター・デスが法を犯してまでも進めていこうとした安楽死、
表題の「ドクター・デスの遺産」とは何だったのだろう。
作者が読者に投げ掛けた課題でもある。

「犯人は捕まえたが罪を捕まえられなかった」という犬養刑事の言葉が
このミステリーの全てを語っているように思えます。

 安楽死を扱った小説に森鴎外の「高瀬舟」という短編があります。
 興味のある方は是非一読をお勧めします。
安楽死について
 安楽死について次のような判例があります。
患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること、
死が避けられず死期が迫っていること、
患者の苦痛を除去・緩和する他の手段がないこと、
生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示のあること。

 この条件が必要であり、医師による末期患者に対する積極的安楽死が許される。
としているが、現実にはこれらの条件が満たされていても、
現役の医師が安楽死を遂行することはまずありません。

この小説のように、
塩化カリウム製剤を注射し心筋にショックを与えれば、
やがて患者は心肺停止し、
死にいたるような医療行為は、
日本の現行法では立派な犯罪になります。
現実には、延命治療を拒否し、ターミナルケアを受け、
消極的な安楽死を望む患者も多い。
命の尊厳という視点から考えれは、
日本人の生死観に沿っているように思います。
ちなみに、日本尊厳死協会では、
尊厳死とは患者が「不治かつ末期」になったとき、
自分の意思で延命治療をやめてもらい安らかに、
人間らしい死をとげること、と定義しています。
    (読書案内№117)

 

 

 


 


 

 

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東京駅で消えた 夏樹静子

2017-12-08 20:00:00 | 読書案内

読書案内「東京駅で消えた」 夏樹静子著
             徳間文庫 2016.11刊 1989年中央公論社より初出

 2012年、開業100周年を二年後に控えて丸の内駅舎が創建当時の姿に復元された。
スティションホテル、オフィス、商業施設などが集約され、あたかも小さな街を思わせる様相だ。
小説の舞台は、改修前の開業70周年を迎えたころの東京駅を舞台にしているが、巨大化した駅という  点では変わりない。
                                     (復元された東京駅) 

 夫が定刻になっても帰ってこない。
判で押したように帰宅する夫は次の日の朝になっても帰ってこない。
大手ゼネコン帝都建設取締役の曽根寛の痕跡は東京駅で消えていた。
無断で一晩家を明けるくらいそう珍しいことでもないのだろうが、
夫に限っては考えられないことだった。
「事故か」、「失踪か」。
だが、曽根寛は意外なところから死体で発見された。
東京駅のめったに使用されない地下道に設置された「霊安室」のベッドで、
他殺死体で発見されたのだ。
この発見場所が奇想天外で、興味をひかれる。
(駅員の限られた者しかその存在を知るものはいない。暗くかび臭い霊安室は、列車事故で亡くなったり突然死をしたものを収容する部屋だ)。
丸の内口と八重洲口との行き来は複雑で、
田舎者の私には苦手な駅の一つである。
霊安室のベッドに人知れず横たわる他殺死体という意外性が
冒頭から読者を惹きつけていく。

第二の殺人は駅構内にあるホテルの非常階段で発見される。
駅構内をめぐり第三、第四の殺人が起き、被害者の接点を求めて捜査は進む。
ナイロンストッキングによる絞頸、
駅構内の殺人現場という二つの共通項は犯人が同一人であることを示している。
やがて浮かんできたのは
大手ゼネコンの施工した東京駅新幹線工事の施工ミスが浮かんでくる。
発注者である国鉄の現場責任者と当時現場の責任者を務めていた曽根の間に何があったのか。
関係者の過去を探る過程で現れてくるサラリーマンの悲哀が浮き彫りになる。

 人知れずその存在さえ知る人の少ない「霊安室」、
車椅子で新幹線ホームまで行ける「地下通路」、
皇室関係者が緊急時に利用できる「避難通路」、
ほとんどの人が足で踏んで素通りしてしまう中央階段には、六角形の銘坂がある。
昭和5年時の首相浜口雄幸がモーゼル銃で狙撃された場所を示すプレートだ。
大正10年には、日本初の平民宰相・原敬が短刀で胸を一突きされた場所にもプレートが埋め込まれているそうだ。
東京駅にまつわる様々なエピソードが語られる。

 東京駅は大正3年の開業だから、
その長い歴史の中で、
様々な人々の数えきれない出来事が起き、
時の流れに流されていったに違いない。

 この小説に登場し、
命を奪われた人、
そしてその加害者もかけがえのない人生の1ページをこの東京駅に刻んだに違いない。
 最後の文章は次のように書かれて、小説は終わる。
 自分を圧し包んでいる静寂の底から、たくさんの人声が湧き出してきた。この東京駅の長い歴史の流れに身を投じていった人々の、歓びや哀しみ、狂気や怨嗟の声が、今もこのドームの空間に息づいている……。

   
著者について
 1938年東京生まれ。慶応大学在学中からミステリーを書き始め、1970年『天使が消えていく』で作家デビュー。1973年『蒸発 ある愛の終わり』で日本推理作家協会賞、1989年『第三の女』は仏訳されフランス犯罪小説大賞を受賞、2007年に女性初の日本ミステリー文学大賞を受賞。代表作に『Wの悲劇』『量刑』『花の証言』シリーズ作品「検事 霞夕子」「弁護士 朝吹里矢子」等。「東京駅で消えた」は1989年中央公論社より初出

       (2017.12.7記)  (読書案内№116) 










 

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読書案内「電池が切れるまで」 子ども病院からのメッセージ②

2017-11-27 21:47:35 | 読書案内

読書案内「電池が切れるまで」
    子ども病院からのメッセージ②
 この記事は前回(11月23付)の続編になります。
 ①を未読の方はこちらを先に読んでいただけると理解が深まると思います。
 特に、宮越由貴奈ちゃんの詩「命」は是非読んでいただきたいと思います。

 宮越由貴奈ちゃんの詩には、『宮越由貴奈さんの詩「命」』というタイトルで山本厚男教諭(豊科南小学校勤務・子ども病院院内学級担当)が一文をよせていますので、紹介します。

(要約)
 この詩は由貴奈さんの遺作となってしまいました。
後日、お母さんのいわれるには、
院内学級で受けた理科授業「乾電池の実験」直後に作られたということでした。

 亡くなられたあと、富士見小学校児童たちも参加しての葬儀では、
同級生の弔辞の中でこの詩が朗読されました。
…略…しばらくして、宮越由貴奈さんの詩「命」はある学校の道徳の授業に使われました。
また、長野県人権擁護委員会の会誌に掲載されたり、
あるお坊さんの法話やNHKテレビにも紹介され、
他にもたくさんの方々が、講演等で紹介されました。

 多くの人たちが「命」の詩に感動し、由貴奈ちゃんの想いは、
由貴奈ちゃんが亡くなった後も水辺の波紋のように広がって行ったのでしょう。
詩に託された命への思いが、
賢明に生きている由貴奈ちゃんの姿は、読む人の魂を揺さぶります。
どんなに高名な哲学者も、カウンセラーも脱帽です。
宮越由貴奈ちゃんの詩

  ほたる

ほたるはとてもきれいだ
見てるだけでこころがなごむ
でも最初に見たときは少し怖かった

だけどオスとメスで
一生けんめい光をだしあって
自分のいばしょを教えあっているんだね

このごろは
住む自然がなくなってしまって
ごめんね本当にごめんね
来年の夏にもまた
きれいな光を見せてね

 一生懸命光をだしあって生きる姿と、辛い闘病に負けないで生きる姿が重なっていますね。
 病と闘っているにもかかわらず、「ごめんね」と言えるやさしい心の持ち主だった。
 入院中の友だちを元気づけ、明るくするムードメーカーでもあった由貴奈ちゃんでした。
 一緒に戦ったご両親の手記を紹介します。
 由貴奈ちゃんのお母さん陽子さんの手記

五歳の時、神経芽細胞腫と診断され十一歳で亡くなりました。
 信大病院での抗ガン剤治療や腎臓を片方取る手術に始まり、
子ども病院に移っての自家骨髄移植やその他にもいろいろな辛い治療を受けながら、
入退院を繰り返していたころ、書いたものです。
命という作品を書いたころ、テレビで流れるニュースと言えば、
いじめだとか自殺だとかが多く、
同じころ病院では、一緒に入院していた友達が何人かなくなりました。
生きたくても生きられない友だちがいるのに自殺なんて……そんな感じでした。
それにちょうど院内学級で電池の勉強をしたばかりだったそうです。
この詩を書いた四か月後に亡くなりましたが、これに書いたとおり充分精一杯生きました。
書くことがそんなに得意ではなかった娘のこの『命』という詩は
十一年という短いけれども凝縮された人生の中で得た勉強の成果なのではないかと思います。

                                        合 掌

(2017.11.27記)  (読書案内№115)

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読書案内「電池が切れるまで」 子ども病院からのメッセージ①

2017-11-24 09:35:53 | 読書案内

読書案内「電池が切れるまで」
    子ども病院からのメッセージ①

                    すずらんの会編 角川文庫 2006.6初版

  
15年も前に単行本で発刊され、当時ベストセラーになった本の文庫版。
当時、福祉系の仕事の責任者をしていた私は、職場で購入しスタッフに薦めた。
改めて文庫版で読んでみたが、当時の感動が少しも色あせずに残っていたことに感動。
それはきっとこの本が、小さな子供たちが病気と闘う「命」に、真剣に向き合い、
決して希望を捨てずに、辛い手術やリハビリに挑む姿が、子どもたちの詩や文章に
生き生きと描かれているからに違いない。

 子どもたちの命の鼓動が聞こえる

 長野県・安曇野(旧豊科)ICを降りて南に向かって12~3分走ると、赤いとんがり帽子の屋根の建物が見えてきます。長野県立こども病院です。
西に雪をかぶった常念岳を背負ったメルヘンチックな建物です。
    
訪れた17日、関東育ちの私に風は冷たく、枯葉がベンチの周りを舞っていましたが、
入院病棟の窓の中から、あたたかな灯りがこぼれ、
ちらちらと子どもたちが動く姿が垣間見えました。
発刊当時テレビドラマ化され話題になったこの子ども病院を訪れたのは2度目です。
「読書案内」を書く前にもう一度行ってみたい。
詩や文章から伝わる感動を五感で感じたいと思ったからです。

子どもたちにとって、「命と闘う治療」は不安と辛さを伴うものです。
それを支えているのは、第一に子どもたちの「命」に向き合う一途な気持ちと、
子どもを支える家族であり、医師であり、看護師であり、
院内学級の教師の「命の尊厳」への絶えざるアプローチがあるから、
やさしさがあるから子どもたちは希望を見
失うことなく、
辛い現実に立ち向かっていくことができるのだろう。
そうした子供たちの一人・宮越由貴奈(小学4年)ちゃんの詩を紹介します。

  命

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐに取り換えられるけど
命はそう簡単にとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう

  全文を紹介しました。
  この詩は由貴奈ちゃんの遺作になってしまいました。
  命と闘った由貴奈ちゃんのご冥福を祈ります。
(2017.11.22記)   (読書案内№114)      (つづく)








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読書案内「天災から日本史を読みなおす」 磯田道史著

2017-10-23 22:27:06 | 読書案内

豪雨と土砂崩れ
  過去に発生した台風被害
台風21号が接近し、日本列島を縦断するらしい。
「記録的大雨 警戒」と今朝の新聞は警鐘を鳴らす。

歴史の発掘は、
実証主義で過去の出来事がどの資料(古文書)によって
証明されるかを示さなければ研究として認められない。

「武士の家計簿」を書いた磯田道史氏もよく草の根をかき分けるようにして資料を発見し、
それを一般の人にも分かりやすく書いてくれる。
その中の一冊に、土砂崩れに関する記述があったので紹介します。

『天災から日本史を読み直す 先人に学ぶ防災』
       磯田道史著 中公新書刊 2014.11初版
       

 第三章 土砂崩れを紹介します。

伊豆神津島の土砂災害。
1907(明治40)年7月8日、死者16名、負傷者31名、全壊家屋35戸、半壊家屋6戸。

『(前日7日)正午近くから大雨となり、
夜中中降りつづけ、
8日午前2時ごろより4時ごろまでの間に於いて、
諸所に山崩れ起こりたり、
その当時は盆を覆すがごとき強雨なりし』

神津島に降った豪雨は、
14時間ほどで土砂災害が発生した、
ことを当時の報告書は伝えている。
その原因を報告書は神津島の火山島としての地層にあることを指摘している。
この島は、伊豆大島と同じ火山島で、
溶岩の上に積もった火山灰は、雨水を浸透しやすい。
しかも、雨水は地中深く浸透できず、
溶岩の上を水道水のような勢いで流れ、
火山灰層を押し流し、
土砂となって崩れていく。
このような場所には家を建てるなと報告書は警鐘を鳴らす。

磯田氏は警告する。
このような場所に建てた住宅に住む人は、
明るいうちの早めの避難を心がけるのが一番。
前兆を見逃すなとも。
地鳴りや異臭を察知したら躊躇せずに逃げる。

大切なことは、
自分が住んでいる場所が災害に対して、
どのような場所なのか
(雨に弱いのか、地震に弱いのか、津波に弱いのか)を把握しておくことなのでしょう。

こうした事例を報告書や古文書にもとめて、磯田氏は提示している。
 『地震に救われた家康』、『伏見地震・豊臣政権崩壊の引き金に』、『宝永地震が招いた津波と富士山噴火』、『津波から生き延びる知恵』、『東日本大震災の教訓』随時紹介します。
 (2017.10.22記)   (読書案内№113)
















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読書案内「魂でもいいから、そばにいて」 3.11後の霊体験を聞く(3)

2017-10-06 22:30:51 | 読書案内

読書案内「魂でもいいから、そばにいて」
     3.11後の霊体験を聞く(3)
               奥野修司著 ノンフィクション 新潮社 2017.2刊
                     
                    
  かけがえのない人を喪う。
 とても辛く、悲しい。
 茫然自失。
 せめて「魂でもいいから、そばにいて」
 切ない願いが、本のページから溢れてくる。

 にわかには信じがたい霊的体験をした人達の話です。

 『心配ねえ、津波はここまで来ねえ』。
 逃げなかった父の最後の言葉だ。その後頻繁に夢の中に現れる父。
 バス停とか船着き場とか電車のホームで、いつも乗り物を待っている夢なんです。
 父が待っているので私も一緒に待っていると、「まだ来ねえからいいんだ。俺はここで待っている。
 おめえは先に行ってろ」「おれとは行き先が違っから、おめえはそっちに乗っていけ」
 
 娘の正恵さんは、「何かのメッセージかも」と問いかける著者に、
「行き先が違うと言いたかったの
ではないか」とつぶやく。
たびたび現れる父親の登場する夢を単なる夢に終わらせるのではなく、
親からのメッセージと受け止める正恵さんの「父親に抱く愛情」なのでしょう。
津波で肉親を亡くした人に圧倒的に多いのが、
亡くなったかけがいのない人が夢に現れることで、リアルでカラーが多い
という。

  兄を亡くした常子さんの話も摩訶不思議だ。
  兄の死亡届を書いている時、メールが届いた。
死んだはずの兄からのメールで一言、「ありがとう」と書かれていた。
発信の日付けを見ると震災の10前の日付になっている。
なぜ4カ月もたってから届いたのか。
通信会社やメーカーに調べてもらってもわからなかったという。

 三歳の子どもを亡くした由理さんの話。
震災から2年経ったある日祭壇に飾ってあった電動式のおもちゃが突然動き出した。
数日後「もう一度、オモチャを動かして見せて」と心で念じると、
またオモチャが動き出したという。
「あの子がそばにいる」と由理さんは感じたそうです。

 この本には津波で喪った人を悼む人たちの霊的体験の話が16編載っている。
どの話も胸を痛められる話です。
嘘とか作話、或いは思い込みとして捉える人もいるのでしょう。
そんな人のために由理さんの次の言葉を紹介して終わりにします。
 「霊体験なんてこれまで信じたことがなかったのに、自分がその体験者になって、頭がおかしくなったんじゃないかと思っている人もいます。同じような体験をした人が他にもたくさんいるとわかったら、自分はヘンだと思わないですよね。そういうことが普通にしゃべれる社会になって欲しいんです」
          (2017.10.5記)           (読書案内№112)



















 

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