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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

声なき詩

2015-04-12 23:00:00 | ことの葉散歩道

       ことの葉散歩道(7)        (2015.4.8)

声なき詩

わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる

堀江菜穂子

 朝日新聞4月6日朝刊は、次のように伝える。

 寝たきりのベッドで詩を書き続ける女性がいる。

堀江菜穂子さん(20)。

脳性マヒのため手足はほとんど動かない。

わずかに動かせる手で紡いだ詩は約1200編。と、リード記事は紹介している。

 

 大坂発達総合療育センター長・鈴木恒彦氏は

「重度の脳性まひで話ができなくても、言葉は理解している人が少なくない」と話す。

詩を作るようになったきっかけは、高等部のころ周囲の人の会話の端々から、

自分が何も考えていないように思われていると感じた。

だから詩を書くことが「心をかいほうするためのしゅだんだった」という。

 「せかいのなかで」という詩を紹介しよう。

このひろいせかいのなかで わたしはたったひとり

たくさんの人のなかで

わたしとおなじ人げんはひとりもいない

わたしはわたしだけ それがどんなにふじゆうだとしても

わたしのかわりはだれもいないのだから

わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる 

 作者の心のおおらかさと、かけがいのないたった一人の命を詠う。

この詩を前にして「生きるとは」とか「死とは」などという議論は何の役にも立たない。

「じんせいをどうどうといきる」。

 

言葉の重みが伝わってくる。次は「ありがとうのし」から。

いつもいっぱいありがとう

なかなかいえないけれど いつもこころにあふれている 

いつもいえないありがとう いきばをうしなってたまっている

いいたくてもいえないありがとうのかたまりが

めにみえない力になって

あなたのしあわせになったらいいのにな

 彼女にとって、「ありがとう」は生きている証なのだ。

まわりのひとに「ありがとう」、そして自分に「ありがとう」。


覚悟の死(孤高の死?)

2015-04-08 11:30:00 | ことの葉散歩道

ことの葉散歩道(6)

    覚悟の死 (孤高の死?)

 

「年齢(とし)をとって、他人の邪魔になりたくなかったのでしょうか」、「あの人は他人に迷惑をかけてまで生きよう、という人ではありませんからね。トイレにも満足に行けず他人の世話になって生きるより、いさぎよく死を選ぶ人ですよ」

 ※神々の夕映え 渡辺淳一著 講談社文庫 1994年第26刷刊より

 脳軟化症で倒れた彼は、右半身に麻痺を起し茶碗も満足に持てなかった。

トイレに行くときでも介助を断り、30分もかかって用を足していた。

さらに言葉が思うように喋れず、家族の者も判別に苦しむほどだった。

その彼が、死ぬ半月ぐらい前から、一切の食べ物も取らずお腹が一杯だと言って断り、

最後は水も飲まず痩せこけて死んだ。餓死である。

 

 他者の手を借りなければ生きていけない境遇に陥り、

かつては小学校の校長をしていた彼には、「生きること」が、屈辱に感じられたのだろうか。

妻に先立たれその後退職して、娘の嫁ぎ先を頼ってこの街に来た。

娘夫婦と孫のいる家での生活は、特に不満があるわけではないが、

狭い家にいるのは何かと気がねだったから、

日がな一日の長い時間のほとんどを碁会所で過ごすことになる。

 

 こんな境遇が、彼から生きる力を徐々に奪っていったのかもしれない。

物語が描かれた1978年ごろには、ショートスティやディサービスが法制化されたのだが、

彼はこちらの「生きる道」を選択しなかった。

 

 老いるということは、喪失の過程を徐々に拡大することだ。

友人、知人を失い、親や兄弟たちを失い、伴侶を失い孤独の波がひたひたと忍び寄ってくる。

やがて、身体的機能も衰え、誰かのお世話を受け入れなければ生きていけない時が訪れる。

 

 人としての尊厳を失わずに、その人らしく人生の最後の幕を引くためには、

その人を取り巻く人々の温かいまなざしが必要であり、

それを自然体で受け入れる素直な心が必要かと思われる。

 

そして一番必要なのは、生きる希望を失わない自立する心を持つことだ。              

                                 (2015.4.7記)

   


権力と暴力

2015-01-23 11:51:11 | ことの葉散歩道

ことの葉散歩道 権力と暴力

  作家の陳舜臣(ちん・しゅんしん)が21日死去した。90歳だった。

中国の歴史と文化に対する豊かな学識を生かした歴史小説やエッセーで知られる。

  1961年「枯草の根」で江戸川乱歩賞、推理作家としてデビュー。

67年には約3000枚の大作「阿片戦争」で歴史小説にも進出。

69年「青玉獅子香呂(せいぎょくししこうろ)」で直木賞。

 朝日新聞は1月22日の天声人語で「縦横無尽の膨大な仕事を残して、

骨太の作家がまたひとり夢を閉じた」と作家の死を悼み、天安門事件のすぐあとに彼が述べた言葉を紹介している。

 

 「中国の権力集団は、銃口によって政権を守ろうとしている。

政権を守るのは、じつは人心であることを知らない。なんという無知であろうか」。

 

 権力にはある種の強権力がつきまとう。

しかしこの強権力が、民意を無視し権力の維持のために行使されるとき、

権力は暴力性をもって別の生き物に変身してしまう。

 パスカルは

「力は正義なり、力なきもの正義にあらず」

と言ったが、政治に携わる者、力の使い方を決して間違ってはいけない。


加山雄三 「耐えに耐えたら力備わる」

2015-01-10 23:17:01 | ことの葉散歩道

加山雄三 逆境に学ぶ

 逆境に立ち、向かって心の大きさということを考えたことがあります。

心は船に似ています。

若いころの心は小さな船のように、ほんの小さなしけでもひっくり返ってしまいます。

しかし、失敗した経験を重ね、心が大きな船になっていけば、

多少の波なら「これぐらいなら平気だな」ということが体験的にわかってくる。

 試練は自らに課せられた運命だから立ち向かうしかありません。                                           朝日新聞1月8日加山雄三(歌手・俳優)談話から抜粋    

  予想もしなかったつらい事態に直面したとき、どのようにしてその困難(逆境)を乗り越えてきたか。この問いに対する考えを談話形式で答えている。「心の船」。とても分かりやすい例えです。失敗した経験を糧として、その経験の一つひとつが逆境を乗り越えるための肥やしになる、と加山雄三は言っています。

 そして、「試練は自らに課せられた運命だから立ち向かうしかありません」と断言するところに、決して順風満帆ではなかった彼の人生哲学が垣間見えます。77歳にして初めて言える「自信に裏打ちされた人生訓」と受け止めました。

 「人を大切にすることを忘れちゃだめだ。友達や愛する人が一人二人いるだけで、心はゆとりを失うことがありません」と、人と人のつながりの大切さも忘れてはいません。

                                                  ことの葉散歩道(8)        

      

 


美輪明宏の名言

2015-01-07 11:00:00 | ことの葉散歩道

美輪明宏の名言

 自信がなくなったら、鏡を見なさい。

 ずうずうしく生き続けている自分の姿が見えるでしょう。

 今まで生きてこられたのだから、この先も十分に生きられる。

 美輪明宏さんらしい人生訓です。これはおそらく、新聞・雑誌などで展開されている「人生相談」の回答の一部と思われます。なんと小気味がよく、明快な名言でしょう。

 『ずうずうしく生き続けている自分の姿が見えるでしょう』。ずうずうしく生き続ける……、という言葉が、人間の生き方を反映しています。                                           自然を破壊し、動物の命を脅かし、戦争を繰り返し、私たちはやっぱり「ずうずうしく生きているんだ」と。

 人間は地上の支配者ではないが、生きていく限りこのずうずうしさから逃れることはできないと自覚することが大切ですね。

 

 

 

 

 


自分の才覚で生きる

2013-10-22 22:21:15 | ことの葉散歩道

ことの葉散歩道(5)

自分の才覚で生きる

  

  人は、その時その時の運命を受け入れる以外に生きる方法がありません。

 その範囲の中で、自分は何ができるかを考えるしかない。

 昔のようにできないと思うと苦しくなりますから、 

 その時々、その人なりにできることをやればいいのだと思います。

                  ※ 老いの才覚 曽野綾子 ベスト新書      

                                    2010.11刊 初版第6刷 

 

 運命を変えることはできません。

だからといって、努力をしても無意味だということではない。

より充実した生き方、より豊かな生き方、は誰もが望む生き方です。

健康でありたいと誰もが望み、できれば人の世話にならずに老後を生きたい。

長患いをしないでコロリと終焉を迎えたい。

誰もが望むことです。

 運命を変えることはできないけれども、

人それぞれの努力や精進によって、

より豊かな生き方に近づくことはできるでしょう。

その時々を精一杯生きる努力をすることが、

人を豊かにし、悔いの少ない人生を送ることになるのではないでしょうか。

 安穏(あんのん)と生きることは、

希望や夢から遠ざかることです。

充実した生き方も、豊かな生き方も、

人それぞれに異なります。

他者との比較ではなく、自分の才覚で生きることが大切です。             

                                               (2013/10/21) (メモ№1022)


「聞く力」 心をひらく35のヒント (2)

2013-02-07 21:49:46 | ことの葉散歩道

ことの葉散歩道(4)

人の話に共感する

 

 感動的な話。涙なくしては聞けない切ない話。勇気を与えてくれるような清らかな話。手の込んだ可笑しい話。

 努力と我慢に満ちた話。つくづくダメな話。情けない話。

  人の話はそれぞれです。

 無口であろうと多弁であろうと、語り方が下手でも上手でも、ほんの些細な一言のなかに、

 聞く者の心に響く言葉が必ず潜んでいるものです。

「聞く力」-心をひらく35のヒント- より

         阿川佐和子著 文春新書 2012年1月刊

 週刊文春の対談シリーズ「阿川佐和子のこの人に会いたい」は900回を突破している。

その阿川にして言える言葉である。             

 人の話を「聞く」ということは、人の話のなかに

「その人らしさや人格が表れていてそこに共感したくなるような、何か小さな魅力があれば、

それだけでじゅうぶんです」 と、著者は言います。

 

 対談の中で、一瞬光を放ちキラリと輝く部分を的確にとらえ、さらにその部分にメスを入れ、

意識の底に淀んでいる思いを引き出す。

思ってもみなかった本音がポロリと出たり、本人さえ気付いていない心の葛藤が言葉になって表現される。

 

 人は誰でも、自分の考えや意見を真剣に聞いてもらうと嬉しくなります。

これが「共感」ということなのでしょう。

この「共感の姿勢」は一方通行ではありません。

「共感」ということをもう少し具体的に言うと、聞き手と語り手の「波長」が「共鳴」するということなのでしょう。

人と人の[波長が合う]。

これを「感情の交流」と私は勝手に名付けています。

人の話をよく聞くことも、議論をすることも本来はお互いが理解しあうための手段なのですが、

実際には対決のための議論になってしまい、溝はますます深くなってしまう場合も珍しくありません。

 

    「人の話をよく聞く」姿勢に欠け、自分を通そうとする「我」が働くからなのでしょう。

  対決の感情のなかには、「共感」は生まれないのです。


「聞く力」 心をひらく35のヒント (1)

2013-02-03 20:53:48 | ことの葉散歩道

ことの葉散歩道(3)

いくつもの顔

 人はそれぞれに、それぞれの人に向きあう顔がある。

逆に言えば、一人に対して自分の全てを見せているわけではない。

しかし、向き合っている相手からしてみれば、自分に向けられている顔がその人の全てに見えてしまう。

だから、自分の知らない「思いも寄らない顔」を発見したとき、ショックを受けるのではないか。 

 「聞く力」-心をひらく35のヒント- より

         阿川佐和子著 文春新書 2012年1月刊

 映画の話であったり、音楽であったり、読書や食べ物や旅行などと、

話をする相手によって話題が変わります。

時によって、私たちはその場の雰囲気と成り行きで話の中身を変えることもあります。

同じように、私たちはいろいろの顔を持っています。

優しい顔、厳しい顔、明るい顔、人を引き付けるような雰囲気を持つ人、

その同じ人がとても悲しい雰囲気を漂わせる時もあります。

一人の人が持っている表情や雰囲気はいつも同じという訳にはいきません。

また、話す相手によっても違ってくることは、私たちの日常の経験から理解することができます。

 「どうもあの人は、私に言うこととAに言うこが違うらしい」とか、

「私のことをほめていたが、Aにはけなしていたようだ」などと具体的な事例に触れて、

がっかりしたり、相手を信じられなくなり、気持が萎えてしまうこともあります。

 

 人と人の関係で、相手を信じることはとても大切なことと思います。

人にはいくつもの顔がある。

しかも、人それぞれに価値観が異なり、好みもことなります。

自分に見せる顔と、他の人に見せる顔が異なっていても、

それは仕方のないことと気楽に考えられるようになれば、

人生は今よりもずっと楽しく、豊かに歩むことができます。

人それぞれが持っている「多様性」を認めることができれば、

人と人の関係も少なくとも今よりは穏やかになります。

「わが道を行く」。

なかなか難しい生き方ですが、そんな生き方できればいいですね。 


耐え抜くのだ

2013-01-04 21:01:48 | ことの葉散歩道

耐え忍び 耐え抜くのだ……

    『火を放たれたら手でもみ消そう、

     石を投げられたら躯で受けよう、

     斬られたら傷の手当てをするだけ、

     どんな場合にも、彼らの挑戦に応じてはならない

     ある限りの力で耐え忍び、耐え抜くのだ』

                山本周五郎著 「樅の木は残った」より   [新潮文庫(上)(中)(下)]

   江戸初期の「伊達騒動」を題材にした時代小説。幕府の大藩取りつぶし計画に、仙台藩62万石の安泰のため、

命をかけて戦った原田甲斐。味方をも欺き、悪評にもめげず、敢然と闘い抜いた甲斐。

目的のために姿勢を貫き通した甲斐の孤独な生き方が胸を打つ。あまりにも揺るぎのない生き方は、愚直ですらある。

その甲斐に、「……耐え忍び、耐え抜くのだ」、しかも「ある限りの力で」と言わせる山本周五郎。

   どんな辛いことがあっても、「ある限りの力で耐え忍び、耐え抜くのだ」。そこから道が開け、解決の糸口が現れるのだと、

  これは立派な人生訓である。

   視点を変えれば、東日本大震災や福島第一原発で被害を被った人々への「応援メッセージ」とも読み取れる。

                                                                 ことの葉散歩道(3)          

       


豊かな人生とは

2011-12-09 23:02:53 | ことの葉散歩道

 豊かな人生とは……

  イタルさんは何でもできるけど、家族に甘えて何もしない人だった。

 ジョージ秋山の『浮雲』のように、ほのぼのと幸せに暮らしていた。

 僕はこのマンガが好きだった。

 昔、テレビの連続ドラマにもなった。

 酒と女の人が好きで、落ち葉で焼きいもなんかして、いつもボケーとしている。

 無駄なことや、くだらないことに夢中になっている。

  豊かな人生には本当は、無駄なことや、くだらないことが大切なんだ。

     「それでもやっぱりがんばらない」より

             鎌田 實著 集英社 2005年刊 第一刷

 

 若い時、彼は仕事があれば休日を返上しても、会社に出て行った。

定時に退社することなんか皆無に等しかった。

気力があり、仕事が面白く、そうして続けることによって仕事に対する自信も出てきた。

仕事は彼の全てだった。

やがて彼は「うつ」になり、職場の仲間たちがそのことに気づき、

しばらく、戦線から退いた。

 張りつめた弓のように、緊張した日々。

結局彼は、そのような生活を維持することで、

大切な何かを忘れてしまったのだ。

 人の気持ちを思いやることができなかった。

だから、「本当は無駄なことや、くだらないことが大切なんだ」という言葉が、

今は、とてもよく理解できるようになった、と彼は穏やかに言うことができるようになった。

                                   ことの葉散歩道(2)   メモ№2より