落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第9話

2013-03-16 12:18:46 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第9話
「母の匂い」




 金髪の英治が就職を決めてきた仲町のクラブ「雅(みやび)」で、
響が働きはじめてから、ようやく一週間がたちました。
今日はその初めての定休日です。 
10時を過ぎてやっと起き出した響が、そのまま2階の手すりから身を乗り出しました。
「おっ、寝る子は育つぞ。やっと起きたか、お早うさん」ちょうど廊下を
通りかかった俊彦から、声がかかります。


 「ねぇ、トシさん。
 お母さんの育った家は、どっちの方向?」

 
 「ここからでは見えないよ。
 なんだい、もうお母さんが恋しくなったのか」

 「違うわよ。
 古いけど、とても趣が有って素敵な家だったと、母から聞いた覚えがあるの。
 そうか、ここからでは母の家は、見えないのか・・・・
 う~ん、ちょっぴり残念」

 
 「見に行ってみるかい」


 「いいの?今日は仕事を休んでも」



 「会話がまったくもって、かみ合っていないぜ、響。
 お前さんは、他人(ひと)を、簡単にその気にさせる天才だな。
 休んでもと・・・いう意味は、今日一日、私と夜まで付き合えという風に聞こえたぞ」


 「そんな風に確かに言いました、私は。
 だってトシさんのお蕎麦屋さんには、定休日なんてないんだもの。
 たまには、若い美人と一日デ―トをするのも、素敵だとは思いませんか?
 お母さんの家を案内してもらうだけではもったいないもの。
 とっても良いお天気だし」


 「有りがたい話だ。
 せっかくの美人からのお誘いだ。よし、そうするか。
 ただし最初にひと言だけ言っておくが、間違っても、俺の前は歩くなよ。
 女は常に、俺の3歩後ろを歩くこと」

 (古いなぁ・・・)苦笑しながらも、響は嬉しそうにはしゃいでいます。
「営業用の服だけは、やめてくれよ。援助交際だと誤解されちまうから」
という俊彦の声を背中で聞きつつ、響が、鼻歌で着替えを始めました。

「美味しいものを食べたいな。トシさんのお蕎麦も食べ飽きたし、ねぇちょっと」
と振り返った時に、すでに俊彦の姿は廊下には見えません。
あら・・・と思いつつ窓から下を覗くと、もう駐車場ではくわえ煙草の俊彦が
車に寄りかかって待機をしています。
「もうひとつだけ言い忘れていた。お化粧と支度に時間のかかる女は置いていくぞ。
 俺は、待たせるのも嫌いだが、待つのも大嫌いだ」
と、笑っています・・・・



 響きを乗せた車は、5分ほど町中を走ってから、
桐生市の町並の基点と言われている、桐生天満宮の境内へ滑り込みました。
本町通りの正面にそびえている真っ赤な大鳥居を擦り抜け、境内の石畳を横切ると、
機織り発祥の碑の所で俊彦が車を停めます。
「此処からは、歩きだよ」そういいながら車を降りた俊彦は、
そのまま石畳を歩きはじめ、正面にそびえ建っている本殿へと向かいます。


 「え?・・・・そっちへ行くの?」


 「この本堂の、すぐ横を抜けていくのが一番の近道だ。
 お母さんたちも、この境内が、小さいころからの遊び場だったんだ」



 本殿をぐるりと取り囲む板塀に沿って、俊彦はさらに裏手に向かって進みます。
本殿背後の壁には、一面を覆い尽くす木造りの彫刻群が現れます。
「江戸時代に彫られたもので、すべて地元の職人さんたちの手によるものだ」
彫刻群の壁を通過しながら、俊彦がそう説明をくわえています。
しかし足の運びは淀みもみせず、早くも本殿裏手にある雑木林へさしかかります。

 
 響の足が、彫刻群に見とれて停まりかけています。
大きく張り出している屋根の直下から始まった彫刻の数々は、複雑に入り組みながら
壁のすべての面を覆い尽くして、さらに背後からぐるりと回って反対側の壁面まで
さらに続いていく気配が見て取れました。
「もう少し彫刻が見たかったのに・・・」響が少し小走りになると、
背後の雑木林の小路に消えていった俊彦を背中を追いかけます。


 「ここまでの道筋で周りに見とれているようでは、先が危ないよ。
 桐生の真骨頂は、実はここからだ。
 路地の町と言われている桐生の、独特の町並はここからが本番だ。
 はぐれたくなかったら、ちゃんと俺の、3歩後をついて来い」

 目の前に現れてきた路地の入口で俊彦が、響を振り返ります。
やがて、その言葉の意味が、響にもすぐに理解が出来る場所が現れました。
路地を歩き始めて間もなく、突然前方に壁が立ちふさがり突き当たりが現れます。
そこから左右へ別れていく路地道は、幅が人ひとりがやっとという、1mにも満たない、
きわめて細い通りに変わります。


 「え・・・・こんな狭い路。大丈夫なの。行けるの?」



 「これが桐生ではごく当たり前の路地道だ。いいから着いておいで」

 人が一人歩くのがやっとの路地道を、突き当たりが現れるたびに、
俊彦が右や左へ進路をとって、迷路にような小路をとある方向にだけ向かって歩き続けます。
両方からせり出してくるお互いの屋根のために、
少々の雨なら、まったく濡れないだろうと思うほど、家と家とが接近をしています。
古い板塀が途切れると、突然玄関が現れたり、大きな窓ガラス越しには
全く無防備に、お茶の間の様子などが突如として見える時なども有ります。
(大丈夫なんだろうか。こんなごみごみしたところへ踏みこんで・・・・)
響がそんな不安を感じたころ、目の前が急に開けて、
はるかに背丈のある巨大な赤いレンガの壁が現れました。


 「この道は、お母さんがいつも歩いていた通学路だよ。
 ここの煉瓦の壁沿いを南に下れば、本来の生活道路で便利な広い通りがある。
 だけど、このあたりに住む子供たちは、それとは別の道をいつも使う。
 お母さんもふくめて下町の子供たちは、学校へ行く時には常に此処を使うのさ。
 みんなして、この迷路のような路地道を、つむじ風のように、
 元気いっぱいに駆け抜けていくんだ。
 どうだい・・・・どこかで、お母さんの匂いが有ったかい?」


 「へぇぇ・・・・そうなんだぁ」

 
 今歩いて来たばかりの、細い路を響が振りかえります。
何処をどう歩いてきたのかすら思い出せないほど、きわめて煩雑な路地道でした。
しかし間違いなくどこかに、母の足跡や息使いが残っているはずの、
遥か昔からのまったく変わらない佇まいを見せている、そんな気がする桐生の路地道です。
(お母さんの通学路は、こんな迷路の中にあったんだ。小洒落た町だな、桐生は・・・・)



 「こらこら響。感動するのはまだ早い。
 この赤いレンガの壁の先に、今日の本当の感動が待ってるよ。
 じゃあ、本来のひろい通りのほうへ出て、君のお母さんの匂いがしみついた
 懐かしい主家(母屋)を見学するとしょうか」

 煉瓦の塀に沿って、少し歩くと俊彦が言っていた、その広い往来に出ました。
今度は立ちふさがるようにして、響の目の前に2m余りの真っ白の土塀が現れました。
壁の真近くに立ちすぎたため、響にはまったく周囲が見えません。


 「それじゃ近すぎて見えないさ。
 もう少し下がって、反対側まで来てから覗きこむんだよ。
 そう。そのあたりから、見上げてごらん」


 言われたままに位置を変え、響が土塀の上を見上げます。
真っ白の土塀の上に、赤いレンガで覆われた4連の、のこぎり屋根が見えました。



「もうすこし背伸びをして、もう少し奥を覗いてご覧」
と、俊彦が土塀の彼方を指さしています。
土塀越しに響が、精いっぱいのつま先で伸びあがります。
あまり、見えません・・・・
もう一度勢いをつけ直すと、今度は元気に垂直に飛びあがります。


 「見えただろう。
 ステンドガラスが光っているとんがり屋根と、青いチャペルの鐘が。
 ここには、3つの時代の景色がみえるんだ。
 赤いレンガののこぎり屋根と、和風の真っ白い土塀のふたつ、
 これは、明治時代につくられた建物たちだ。
 その向こう側に、大正時代に建てられたという青いチャペルの教会が見える。
 もっと奥の方にある、緑の木蔭には、白い土蔵が見えていただろう。
 そのすぐ隣に、君のお母さんが住んでいた、母屋が建っている。
 それは、昭和初期にたてられた建物だ。
 戦災を全く受けずに済んだ桐生には、100年を越える建物たちがたくさん残っている。
 どうだい、気に入ったかな。
 ここは、君のお母さんも大好きだった、とっておきの場所だ。
 これが見せたくて、わざわざと路地道を遠回りをしたんだよ。
 どう? 桐生は、とっても小粋な街だろう・・・・」


(10)へ、つづく





 

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