連載小説「六連星(むつらぼし)」第66話
「桐生織(きりゅうおり)」
桐生での織物の起こりは、今から1300年ほど前で、
奈良時代の頃からと言われています。
上野(かみつけ)国と呼ばれていた時代に(現在の群馬県)初めて絹を織り
それを朝廷に差し出したと言う、古い言い伝えが残っています。
上州と呼ばれた北関東のこの辺りは、桐生をはじめ
伊勢崎、高崎、富岡、前橋など、生糸と絹の平織物を生産した
日本でも有数の絹の産地でした。
江戸時代の中期に開発をされた技術からは、紋織物やお召などが産み出され、
『西の西陣、東の桐生』と並び称され、一大織物産地としての発展を遂げ、
そのまま現在へ至っています。
近代になってからの経済活動の中心を担った、赤いレンガ造りの桐生織物会館は、
市内の永楽町に現役のまま、今でも残っています。
旧館は昭和9年(1934年)に桐生織物協同組合の事務所として建設をされたもので、
外壁はスクラッチタイル貼りで、屋根は、青緑色の瓦葺きです。
新館と旧館の2つの建物で構成をされ、、現在でも織物業界の各団体が入居をしています。
旧館の1階のにある『織匠の間』では、織機の展示や桐生織製品の販売なども行っています。
桐生を代表する織物のひとつが、お召です。
お召はもともと、身分の高い人の「お召し物」のことを意味しています。
縮緬(ちりめん・表面にちぢれ(しぼ)ができるように織った布地)や、
羽二重などがその代表格といえます。
江戸時代の後期には、「お召縮緬」が一世を風靡しています。
こうしたことから今では「お召」といえば、「お召縮緬」のことを
指すようになりました。
お召の魅力といえば、
さらりとした手ざわりと、コシのあるしっかりとした地風につきます。
お召を特に好んだ人物としては、第11代将軍の徳川家斉(いえなり)が著名です。
洒落者として後世に知られた家斉が、特に気に入って「留柄(とめがら)」
にまでしたというお召のひとつに、桐生からの献上品がありました。
「お召縮緬」のひとつで、納戸色と呼ばれる温かみのある柔らかい紺色の地に、
細い格子柄を白く抜いたという絵柄のものです。
家斉へ献上した後、桐生では、お召の微妙な色違いや柄違いを
一般用などとして改良を加え、さらなる商品化などをすすめて来た歴史が有ります。
家斉が好んだ「留柄」という話題性と、「派手は野暮、渋好みがお洒落」という
当時の江戸っ子の美意識にマッチしたこともあり、桐生のお召は、
江戸っ子の間でおおいに人気を呼んだと言う、古い記録なども残っています。
(注釈)「留柄」とは。
「お留柄」ともいい、ある特定の文様を独占して、
他人の使用を許さないようにした柄のことを指します。
江戸時代に、将軍家だけでなく各地の大名なども、それぞれ占有する
小紋柄を決めて「留柄」としていました。
「桐生織には、七つの製法があります。
そのなかでも、特に桐生を有名にしたものが、独特の風合いを表した、
この、お召縮緬です。
渋い色彩と、落ち着いた風合いが、特に江戸時代には好まれたようです。
表面に凹凸ができるように織りあげる技術のことで、
きわめて桐生織を代表している、製法技術です。
経糸の密度が、1cmの間に100本以上あるというこの精細な仕事が、
こうした独特の肌さわりを生み出してくれます」
2部式の着物を着た案内嬢が、室内に展示をされている着物を指さして、
古い歴史なども含めて、説明をしてくれています
「なるほど。たしかに素晴らしいものばかりです。
ところであなたが着用しているような、2部式の着物はどちらでしょう。
高価な反物にはとても手が出ませんが、
2部式なら、わたしでもなんとかなりそうです。
あなたのその2部式の着物も、実によくお似合です。
やはり、大和ナデシコは、着るものからして違います。
日本女性にとっては、やはり着物は、永遠のものだと思います。
なんといっても、気品と言うものがありますから」
山本に褒めまくられた案内嬢が、『お上手です』と笑いながら
展示室にある即売コーナーへ、二人を案内をしてくれました。
「二部式の着物は、上着と巻きスカート風に分かれている着物のことで、
帯を締めなくても簡単に着ることが出来ますので、
着物が初心者のかたでも、簡単に着ることが出来ます。
巻きスカートのように下衣を腰に巻きつけて、
上衣は作務衣(サムエ)などと同じように、二箇所を紐でしばるだけで、
着用できるという手軽さがあります。
簡単に着物と同じような上品な感覚になれますが、これだけですと、
すこしラフな印象になってしまう場合も有ります。
そのために、これらの上に、さらに帯や帯揚げ、帯締めなどが
出来るタイプのものも用意されています。
これですと、着物を普通に着ているのと全くかわらない着付けになりますので、
きものを普通に着付けるよりも、着付けが簡単で、かつ、
見た目の上品さを失うこともありません。
別名を、ツーピース着物などとも呼んでいます。
二部式着物といっても、特に決まった規定などがあるわけではなく、
上下にわかれている着物タイプの衣のことをさしています。
用途に合わせて、何種類も開発をされています」
「二部式用の長襦袢も有ると、うかがいましたが」
「あら。よくご存知です。
口の悪い方からは、「うそつき襦袢」などとも言われますが、
胴体の部分が綿生地の肌襦袢になっていて、
そこに、長襦袢の袖と半衿がくっ付いている形のものです。
上下に分かれていまして、下は裾除けの上にぐるりと巻きつけます。
着物から見える部分の半衿と袖からは、長襦袢を着ているように見えますので、
「うそつき」と呼ばれていますが、一枚着る分量が少なくなりますので、
これは着ていても、大変に楽です」
「なるほど、よくわかりました。
それでは、この子に似合いそうな二部式の着物を、2~3着選んでください。
普段着られるようなラフなものと、ちょっとした
外出時にも着られるようなものも、選んでもらえるとありがたいです。
もちろん、必要な小物類と草履の見たてなども、
一緒に、お願いをします」
『えっ』背後から、二部式の着物を覗きこんでいた響が、驚きの声をあげます。
山本が目を細めて、響を振り返ります。
「一度、桐生へやって来て、
あいつに、二部式の着物を買ってやるのが夢でした。
そんな話をしたときに、あいつは、他愛もなく喜んでくれていました。
それももう、今となっては、かなわない夢になってしまいました。
あなたなら、そんな私の想いを繋いでくれそうな気がします。
遠慮をしないで、好きな物を選んでもらってください。
私は昔から、女性の買い物に付き合うのが、とても苦手なものですから、
もう一度、向こうで桐生織などを眺めてきましょう。
買い物が終わったら、声をかけてください。
では。よろしくお願いしますよ。2部式のお姉さん」
お姉さんと呼ばれた案内嬢が、そのひと言にますます気分を良くしてしまいます。
当惑顔をしている響を尻目に、全身の雰囲気をまず確かめてから、
気合を入れて、二部式着物の物色を始めました。
鏡の中に現れてくる自分の着物姿に、なぜか響が懐かしいものを感じ始めています。
母の清子をはじめ、置き屋のお母さんや伴久ホテルの若女将たちが、
日常的に、ごく当たり前として着用してきた着物の世界です。
そんな環境に育ちながらも当の響は、実は浴衣くらいしか着たことがありません。
(そういえば・・・・成人式の晴れ着として、
着物を作りたがっていた母の期待を、ものの見事に裏切って、
無理やりに、青いドレスを着てしまった私は、あれは一体なんだったのだろう。
お母さんは私のドレス姿を見て『とっても似合っていて綺麗だよ』と
褒めて泣いていたけど、あれには、もうひとつの、
別の哀しい想いの意味もあったんだろうか・・・・
こうして着物の柄を見ていると、似合っているような気もしてきたし、
けっこう和服もいいものだと、やっと思えてきた。
着せたかったんだろうな母は、きっと私に。本当は)
鏡の中の自分を見ながら、そんなことをふと思い出している響です。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
「桐生織(きりゅうおり)」
桐生での織物の起こりは、今から1300年ほど前で、
奈良時代の頃からと言われています。
上野(かみつけ)国と呼ばれていた時代に(現在の群馬県)初めて絹を織り
それを朝廷に差し出したと言う、古い言い伝えが残っています。
上州と呼ばれた北関東のこの辺りは、桐生をはじめ
伊勢崎、高崎、富岡、前橋など、生糸と絹の平織物を生産した
日本でも有数の絹の産地でした。
江戸時代の中期に開発をされた技術からは、紋織物やお召などが産み出され、
『西の西陣、東の桐生』と並び称され、一大織物産地としての発展を遂げ、
そのまま現在へ至っています。
近代になってからの経済活動の中心を担った、赤いレンガ造りの桐生織物会館は、
市内の永楽町に現役のまま、今でも残っています。
旧館は昭和9年(1934年)に桐生織物協同組合の事務所として建設をされたもので、
外壁はスクラッチタイル貼りで、屋根は、青緑色の瓦葺きです。
新館と旧館の2つの建物で構成をされ、、現在でも織物業界の各団体が入居をしています。
旧館の1階のにある『織匠の間』では、織機の展示や桐生織製品の販売なども行っています。
桐生を代表する織物のひとつが、お召です。
お召はもともと、身分の高い人の「お召し物」のことを意味しています。
縮緬(ちりめん・表面にちぢれ(しぼ)ができるように織った布地)や、
羽二重などがその代表格といえます。
江戸時代の後期には、「お召縮緬」が一世を風靡しています。
こうしたことから今では「お召」といえば、「お召縮緬」のことを
指すようになりました。
お召の魅力といえば、
さらりとした手ざわりと、コシのあるしっかりとした地風につきます。
お召を特に好んだ人物としては、第11代将軍の徳川家斉(いえなり)が著名です。
洒落者として後世に知られた家斉が、特に気に入って「留柄(とめがら)」
にまでしたというお召のひとつに、桐生からの献上品がありました。
「お召縮緬」のひとつで、納戸色と呼ばれる温かみのある柔らかい紺色の地に、
細い格子柄を白く抜いたという絵柄のものです。
家斉へ献上した後、桐生では、お召の微妙な色違いや柄違いを
一般用などとして改良を加え、さらなる商品化などをすすめて来た歴史が有ります。
家斉が好んだ「留柄」という話題性と、「派手は野暮、渋好みがお洒落」という
当時の江戸っ子の美意識にマッチしたこともあり、桐生のお召は、
江戸っ子の間でおおいに人気を呼んだと言う、古い記録なども残っています。
(注釈)「留柄」とは。
「お留柄」ともいい、ある特定の文様を独占して、
他人の使用を許さないようにした柄のことを指します。
江戸時代に、将軍家だけでなく各地の大名なども、それぞれ占有する
小紋柄を決めて「留柄」としていました。
「桐生織には、七つの製法があります。
そのなかでも、特に桐生を有名にしたものが、独特の風合いを表した、
この、お召縮緬です。
渋い色彩と、落ち着いた風合いが、特に江戸時代には好まれたようです。
表面に凹凸ができるように織りあげる技術のことで、
きわめて桐生織を代表している、製法技術です。
経糸の密度が、1cmの間に100本以上あるというこの精細な仕事が、
こうした独特の肌さわりを生み出してくれます」
2部式の着物を着た案内嬢が、室内に展示をされている着物を指さして、
古い歴史なども含めて、説明をしてくれています
「なるほど。たしかに素晴らしいものばかりです。
ところであなたが着用しているような、2部式の着物はどちらでしょう。
高価な反物にはとても手が出ませんが、
2部式なら、わたしでもなんとかなりそうです。
あなたのその2部式の着物も、実によくお似合です。
やはり、大和ナデシコは、着るものからして違います。
日本女性にとっては、やはり着物は、永遠のものだと思います。
なんといっても、気品と言うものがありますから」
山本に褒めまくられた案内嬢が、『お上手です』と笑いながら
展示室にある即売コーナーへ、二人を案内をしてくれました。
「二部式の着物は、上着と巻きスカート風に分かれている着物のことで、
帯を締めなくても簡単に着ることが出来ますので、
着物が初心者のかたでも、簡単に着ることが出来ます。
巻きスカートのように下衣を腰に巻きつけて、
上衣は作務衣(サムエ)などと同じように、二箇所を紐でしばるだけで、
着用できるという手軽さがあります。
簡単に着物と同じような上品な感覚になれますが、これだけですと、
すこしラフな印象になってしまう場合も有ります。
そのために、これらの上に、さらに帯や帯揚げ、帯締めなどが
出来るタイプのものも用意されています。
これですと、着物を普通に着ているのと全くかわらない着付けになりますので、
きものを普通に着付けるよりも、着付けが簡単で、かつ、
見た目の上品さを失うこともありません。
別名を、ツーピース着物などとも呼んでいます。
二部式着物といっても、特に決まった規定などがあるわけではなく、
上下にわかれている着物タイプの衣のことをさしています。
用途に合わせて、何種類も開発をされています」
「二部式用の長襦袢も有ると、うかがいましたが」
「あら。よくご存知です。
口の悪い方からは、「うそつき襦袢」などとも言われますが、
胴体の部分が綿生地の肌襦袢になっていて、
そこに、長襦袢の袖と半衿がくっ付いている形のものです。
上下に分かれていまして、下は裾除けの上にぐるりと巻きつけます。
着物から見える部分の半衿と袖からは、長襦袢を着ているように見えますので、
「うそつき」と呼ばれていますが、一枚着る分量が少なくなりますので、
これは着ていても、大変に楽です」
「なるほど、よくわかりました。
それでは、この子に似合いそうな二部式の着物を、2~3着選んでください。
普段着られるようなラフなものと、ちょっとした
外出時にも着られるようなものも、選んでもらえるとありがたいです。
もちろん、必要な小物類と草履の見たてなども、
一緒に、お願いをします」
『えっ』背後から、二部式の着物を覗きこんでいた響が、驚きの声をあげます。
山本が目を細めて、響を振り返ります。
「一度、桐生へやって来て、
あいつに、二部式の着物を買ってやるのが夢でした。
そんな話をしたときに、あいつは、他愛もなく喜んでくれていました。
それももう、今となっては、かなわない夢になってしまいました。
あなたなら、そんな私の想いを繋いでくれそうな気がします。
遠慮をしないで、好きな物を選んでもらってください。
私は昔から、女性の買い物に付き合うのが、とても苦手なものですから、
もう一度、向こうで桐生織などを眺めてきましょう。
買い物が終わったら、声をかけてください。
では。よろしくお願いしますよ。2部式のお姉さん」
お姉さんと呼ばれた案内嬢が、そのひと言にますます気分を良くしてしまいます。
当惑顔をしている響を尻目に、全身の雰囲気をまず確かめてから、
気合を入れて、二部式着物の物色を始めました。
鏡の中に現れてくる自分の着物姿に、なぜか響が懐かしいものを感じ始めています。
母の清子をはじめ、置き屋のお母さんや伴久ホテルの若女将たちが、
日常的に、ごく当たり前として着用してきた着物の世界です。
そんな環境に育ちながらも当の響は、実は浴衣くらいしか着たことがありません。
(そういえば・・・・成人式の晴れ着として、
着物を作りたがっていた母の期待を、ものの見事に裏切って、
無理やりに、青いドレスを着てしまった私は、あれは一体なんだったのだろう。
お母さんは私のドレス姿を見て『とっても似合っていて綺麗だよ』と
褒めて泣いていたけど、あれには、もうひとつの、
別の哀しい想いの意味もあったんだろうか・・・・
こうして着物の柄を見ていると、似合っているような気もしてきたし、
けっこう和服もいいものだと、やっと思えてきた。
着せたかったんだろうな母は、きっと私に。本当は)
鏡の中の自分を見ながら、そんなことをふと思い出している響です。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
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