落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第11話 京舞

2014-10-12 12:45:43 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第11話 京舞



 その日から清乃の、2足のわらじが始まった。
高校を卒業するため通信教育と、舞妓になるための修行という2本立てだ。
そうでなくても、舞妓を目指す仕込みの毎日は朝から晩まで大忙しだ。
誰よりも朝早く起き、身支度を整えると、屋形での目まぐるしい一日が幕を開ける。


 朝の仕事を、なるべくてきぱきと片付ける。
忙しく朝食を済ませると、舞の稽古のため、おっ師匠さんのもとへ走る。
稽古から戻れば、もう次の用事が清乃を待っている。
午後3時を過ぎると、姉さんたちがお座敷へ行くための準備が始まる。
2つ3つとお座敷を掛け持ちをするため、お姉さんたちが仕事から帰って来るのは、
たいてい、その日を過ぎた深夜になる。
寝ながら、お姉さんたちの帰りを待っているわけにはいかない。
帰ってきたら帰ってきたで、またまた雑用に追われて清乃は忙しくなる。



 酒がつきもののお座敷での仕事だから、芸妓も素面(しらふ)では戻ってこない。
すすめられるままに深酒をして、千鳥足でやっとの様子で帰って来る芸妓もいる。
こうなると事態は最悪になる。中には酒癖の悪い姐さんも居る。


 酔っぱらった勢いのまま、大暴れをする姐さんをなんとかなだめて着物を脱がせる。
ようやくの思いで寝床に寝かしつけるころには、時刻は午前2時を回ってしまう。
そんな毎日を繰り返しながら、それでも清乃は、少しずつ時間の隙間を見つけ出す。
短い時間を佳つ乃(かつの)のマンションで、通信教育の勉強に打ち込む。



 桜の花が散りはじめると、ほとんどの仕込みが本名で呼ばれなくなる。
○○(屋形の名前)さんところの仕込みさん、というように呼ばれるようになる。
慣れ親しんできた幼いころからの自分の本名と一切、縁が切れてしまう。
祇園で生きている限り、お姉さん芸妓からひと文字をもらった花街での芸名が、
自分の新しい名前として、生涯ついてまわる。



 祇園の芸妓たちは、井上流の京舞を舞う
京都には上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町の、合計5つの花街がある。
舞の流派は、花街ごとに異なる。
上七軒は花柳流を踊る。祇園東は藤間流。先斗町は尾上流。宮川町は若柳流。
祇園甲部の芸妓だけが『京舞』の井上流を舞う。
4つの花街は舞を「踊る」と表現するが、祇園甲部だけが「舞う」という。


 祇園甲部の晴れ舞台、「都をどり」は華やかなことで有名だ。
「都をどり」の創設にあたり、三世にあたる井上八千代がすべての振り付けを担当した。
このときから井上流は祇園甲部からいっさい外に出ず、他の流派を入れないという
取り決めが交されている。

 女性ならではの繊細な美しい所作と、きびきびとした緊張感のある力強い動き。
その両方を兼ね備えた舞が、井上流の「京舞」だ。
井上流は、顔の表情で気持ちを表現することを一切しない。
すべての表現を、「舞」の所作で表す。
ゆえに舞のすべてが、繊細で、なおかつ濃密な動きになる。


 「おいどをおろす」ことが、井上流の基本姿勢だ。
「おいどをおろす」とはまず、上体をゆったりとさせたまま、すっくと背筋を伸ばす。
背筋を伸ばした態勢を保ったまま、おいど(お尻)を低い位置におろす。
女性らしい形を見事に表現するのがこの態勢だ。だが、この姿勢を維持することは難しい



 歩き方にも決まりが有る。
足の裏を地面に付けたまま、滑るように動かす。
すり足のまま前へ動き、後ろへ下がり、まわるという動作を何度も繰り返す。
井上流の稽古は、こうした舞の基本動作を確実に身に着けることから、まずはじまる。


 中腰で踊るため、井上流の舞は、過酷なまでに下半身の力を使う。
生半可な我慢では、お尻を沈めた態勢を維持できない。
舞の形は優雅だが、水面下では極限なまでに下半身を酷使している。
生徒たちは脂汗を流しながら、この態勢を最後まで維持することに全神経を注ぐ。
こうした稽古を繰り返すことで、やがて、祇園の優雅な舞の姿が完成をする。


 「ほれ、清乃ちゃん。京舞を踊るときは、常に笑顔が基本やで。
 そんなにきつい顔して、壊れかけたロボットのように、ギスギス舞ったらあかん。
 笑顔やで笑顔。こぼれるような笑顔で、頑張ってくれなはれ」


 「そんなこと言うても膝が笑ろうて、もうこんな態勢、辛抱がよう出来しません」


 「耐えておくれやす。
 あんたの姉はん、佳つ乃(かつの)はんは、京舞の名手どす。
 妹芸妓のあんたがこんな簡単なトコで音をあげとったら、それこそ姐はんの
 立場がおまへん。
 福屋(清乃が在籍する置屋)の芸妓はんは、全員がそろって舞の名手どす。
 そやけどもまぁ、ホントに不器用やな、あんたはんは。
 ロボットかて、もっと上手に踊はるでぇ」


 おとめが解けたばかりの清乃を、舞の師匠が真顔で叱咤する。
もちろん。清乃が通信教育と舞妓見習いの2足のわらじ生活をしていることは、
舞の師匠も、すでにじゅうぶん承知の上だ。
それらをすべてを承知したうえで、甘やかすことなく、毎日厳しく指導に当たる。
それが祇園に生きる女たちの、昔からの長い伝統と宿命なのだ。

  
第12話につづく

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