落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第17話 襟替え

2014-10-19 11:47:05 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

  


おちょぼ 第17話 襟替え




「襟替えて何?」という読者の疑問のためにあえて説明をすると、
読んで字の如く、着物の衿を替えることです。
「それだけではよくわからん」という声が、あちこちから当然のように聞こえてくる。


 高価な刺繍をほどこした紅やら白やらの、一枚がうん十万もする舞妓の
派手な衿から、真っ白な芸妓の衿に変ることです。
おぼこさが売り物の舞妓から、本物の芸妓なる儀式のことを指している。


 昔は旦那(いわゆるパトロン)が出来ると衿替えをしたが、現在の花街には
そうしたしきたり自体が存在していない。
見世出しをしてから4~5年たつと、屋形のお母はんと姉芸妓の相談がはじまる。
年齢を重ねていることで、すでに少女のおぼこさから大人の女性になりかけている
妹舞妓の、襟替えの日時を模索しはじめる。
襟替えの時期には、個人差が出る。
小さくて見た目が可愛らしい妓は、長いこと舞妓姿を維持することができる。
反対に大人びて(老けているわけではないが)見える妓は、早目に芸妓に昇格をする。



 「○×ちゃん、そろそろ衿替えちゃうのん?」

 「をどり済んだら衿替えやて思うてたのに、お母はんが来年にしぃて云わはるねん。
 もうかなんわ」

 「そうかぁ、けど○×ちゃんはおぼこう見えるさかいええやんか。
 芸妓はんなったら大変やで。
 若手の芸妓はん仰山いたはるさかい、今までみたいに売れへんで」

 「けど、うちよか下の妓ぉかて衿替えしてはって、芸妓はんから『姉さん』て
 呼ばれんのも、なんや体裁悪おすえ」


 花街の上下関係に、年令は関係ない。
年齢には関係なく、一日でも早く見世出しをした方が姉さんにあたる。
この関係は、生涯変らない。
たとえば、後から見世出しした妓が先に衿替えを済ませて、芸妓になったとしても、
先輩の舞妓に会うたら、「姉さん」と呼ばなければならない。
お座敷で事情が解らないお客が、そんな2人の様子を見ていると訳が分からず混乱する。
「舞妓のほうが姉さんで、襟替えをした芸妓のほうが妹?・・・ええ、そんな馬鹿な」
と驚いて、お座敷で目をまん丸にする。


 衿替えの一週間前から、舞妓は黒紋付に三本襟足の正装をする。
髪は先笄(さっこう)という、江戸時代に若妻がしていた髪形に結いあげる。
さらに口には、お歯黒を入れる。
あえてこうした格好をさせるのには、訳が有る。
その昔。舞妓や芸妓たちは、今のように自由に結婚することができなかった。
それでは可哀想だということで、一度だけ若妻の恰好にさせたという名残りにあたる。
襟替え時期の芸妓は、こうした正装でお座敷を廻る。
祝い事の時にだけ舞う「黒髪」を、なまめかしく披露する。



 京舞は、入門時にまず「門松」という舞いを覚える。
これを習得すると、つづいて「松づくし」「菜の葉」「七福神」「四つの袖」
「黒髪」と順に、難しい舞へ進んでいく。
黒髪が舞える頃には、舞の技術もそれなりに上達をしてくる。
しっとりと舞う「黒髪」を見せつけられると、あまりもの艶やかさに、
観る者が思わずぞくりとするという。
少女から大人へ変わるひとときをなまめかしく演じてみせる。
それが祇園の『襟替え』だ。


 舞妓の最後の日。髷の先にしっぽのように飛び出た元結を切る。
昔は旦那にあたる人が切ったが、今は、屋形のお母さんが役目として元結を切る。
当日は朝から、姉芸妓、妹芸妓や妹舞妓、屋形のお母さんたちが集まってくる。
あわただしく『襟替え』の準備が始まる。
黒紋付に、二重太鼓の帯。真新しい鬘をかぶると、昨日までの舞妓のおぼこい顔が
一転して、急に大人らしい芸妓の顔に変る。


 お母さんの切り火を背に、男衆に連れられて80数軒あるお茶屋の挨拶に回る。
「お頼申します、お母はん」と格子戸をくぐるたび、この言葉をなんべんも口にする。
挨拶が一通り終わり屋形へ戻ってくると、お姉さんや姉妹達、お母さんたちと
「おちつき」と呼ばれる祝いの膳に着く。


 お母さんから「よう辛抱しやはったな、これからもおきばりやす」と声がかけられる。
昨日までの事が頭の中を走馬灯のように駆けめぐり、思わず涙が頬を伝って落ちる。
気持ちが落ち着いてきたら今夜からは、一番新しい芸妓として、
祇園での新しい生活の幕があがる。


  
第18話につづく

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