居酒屋日記・オムニバス (36)
第三話 除染作業員のひとりごと ⑬

「ごちそうさん」源さんの屋台を出たとき、すでに12時を回っていた。
「持ってきなよ」と源さんが、アツアツのシューマイの包みを、佳代子に手渡す。
「若頭のおごりだ。遠慮することはねぇ」源さんが目を細めて笑う。
「12時を過ぎちまったな。ひさしぶりの午前様だ。
送っていこう。遠回りになるが、2度目の結婚を控えた大事な体だからな」
「あら。嫁に行くと決めたわけやないわよ、あたしは」
「3年経ったら、結婚しようとプロポーズされたんだろう、あいつに。
お前さんだって、まんざらでもなさそうだ。
決まった様なもんだろう。3年後に、2人が一緒になることは」
「やっぱり妬いてんの、あんたは?」
「俺の所有物じゃねぇ。
3年後に嫁に行こうが、何処かで誰かの愛人になって暮らそうが、
俺には一切、関係ねぇことだ」
「素直やないのね、心中は穏やかやないくせに」
「負け惜しみで言っているわけじゃねぇ。
娘を連れて戻って来た時から、いつかは、こんな日が来ると思ってた。
おめえは、ひとりで暮らせるような女じゃねぇ。
それに、幼なじみのあいつは不器用な男だが、正直で気持ちの良い奴だ」
「あんたに言われなくても同級生や、そのくらいは知っとるわ。
なんで止めへんの。あいつだけはやめて、俺にしろって言ってくれへんの」
「大学が終ったら、必ず帰って来る。
だから浮気しないで待っていてと言ったのは、どこのどいつだ。
それを信じて待っていたというのに、3年後に、結婚したという葉書が届いた。
勝手過ぎる女だとあらためて腹を立てたが、あとの祭りだ。
つながっていなかったんだな俺たちの紅い糸は、と運命を恨んだ。
お前。学生結婚するために大学へ行ったのかよ」
「ふふふ。結果的にそうなるわね」佳代子が、ふわりと身体を寄せてくる。
「もう時効でしょ。20年も前の話だもの」と腕を絡ませる。
「もういっぺんジャーナリストを目指して頑張ってみる。
なんてあいつが言い出したら、わたしは今夜、あんたの店にはいかなかった。
そやけどね、あいつ。もういっぺん、町工場を復活させるのが夢なんだって。
除染の仕事をはじめたときから、コツコツ、そのための資金を貯めとるそうよ」
「町工場を復活させるって言ったのか?・・・あいつがホントに言ったのか。
信じられねぇな。町工場の仕事なんか大嫌いだって吐き捨てたくせに。
リーマンショックで四苦八苦していた頃は・・・」
「あいつだけやない。自動車関係の町工場は全部、転職か廃業を覚悟してたもの。
酷かったもの、あの頃の太田市の経済は・・・」
「呑み屋街だって悲惨だった。景気が悪くなりすぎて、毎晩、閑古鳥が泣いてた。
町がゴーストタウンになるんじゃないかと、本気で心配したもんだ。
いくらか景気が持ち直してきて、さてこれからという矢先、
今度は東北に大震災がやって来た。
元気になりかけていた繁華街の灯が、そのせいで、また消えちまった。
負けてたまるかと、提灯とローソクだけで店をあけてみたが案の定、誰も来なかった・・・
そんな場合じゃなかったよな。
未曽有の被害で、日本中が悲しみにひたっていたんだから」
「あれから4年が経つけど、被災地はまだまだあの頃のまんまだって、
あいつが、しみじみ言っとったわ」
「で、腹は決まったのか、お前は。
どんな風にして、あいつと再出発するつもりだ。
他人事とはいえ、やっぱり、すこしばかり気にかかる」
佳代子の家までもう少し。
そこの角を曲がれば佳代子の家というところで、幸作が足を止めた。
(37)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第三話 除染作業員のひとりごと ⑬

「ごちそうさん」源さんの屋台を出たとき、すでに12時を回っていた。
「持ってきなよ」と源さんが、アツアツのシューマイの包みを、佳代子に手渡す。
「若頭のおごりだ。遠慮することはねぇ」源さんが目を細めて笑う。
「12時を過ぎちまったな。ひさしぶりの午前様だ。
送っていこう。遠回りになるが、2度目の結婚を控えた大事な体だからな」
「あら。嫁に行くと決めたわけやないわよ、あたしは」
「3年経ったら、結婚しようとプロポーズされたんだろう、あいつに。
お前さんだって、まんざらでもなさそうだ。
決まった様なもんだろう。3年後に、2人が一緒になることは」
「やっぱり妬いてんの、あんたは?」
「俺の所有物じゃねぇ。
3年後に嫁に行こうが、何処かで誰かの愛人になって暮らそうが、
俺には一切、関係ねぇことだ」
「素直やないのね、心中は穏やかやないくせに」
「負け惜しみで言っているわけじゃねぇ。
娘を連れて戻って来た時から、いつかは、こんな日が来ると思ってた。
おめえは、ひとりで暮らせるような女じゃねぇ。
それに、幼なじみのあいつは不器用な男だが、正直で気持ちの良い奴だ」
「あんたに言われなくても同級生や、そのくらいは知っとるわ。
なんで止めへんの。あいつだけはやめて、俺にしろって言ってくれへんの」
「大学が終ったら、必ず帰って来る。
だから浮気しないで待っていてと言ったのは、どこのどいつだ。
それを信じて待っていたというのに、3年後に、結婚したという葉書が届いた。
勝手過ぎる女だとあらためて腹を立てたが、あとの祭りだ。
つながっていなかったんだな俺たちの紅い糸は、と運命を恨んだ。
お前。学生結婚するために大学へ行ったのかよ」
「ふふふ。結果的にそうなるわね」佳代子が、ふわりと身体を寄せてくる。
「もう時効でしょ。20年も前の話だもの」と腕を絡ませる。
「もういっぺんジャーナリストを目指して頑張ってみる。
なんてあいつが言い出したら、わたしは今夜、あんたの店にはいかなかった。
そやけどね、あいつ。もういっぺん、町工場を復活させるのが夢なんだって。
除染の仕事をはじめたときから、コツコツ、そのための資金を貯めとるそうよ」
「町工場を復活させるって言ったのか?・・・あいつがホントに言ったのか。
信じられねぇな。町工場の仕事なんか大嫌いだって吐き捨てたくせに。
リーマンショックで四苦八苦していた頃は・・・」
「あいつだけやない。自動車関係の町工場は全部、転職か廃業を覚悟してたもの。
酷かったもの、あの頃の太田市の経済は・・・」
「呑み屋街だって悲惨だった。景気が悪くなりすぎて、毎晩、閑古鳥が泣いてた。
町がゴーストタウンになるんじゃないかと、本気で心配したもんだ。
いくらか景気が持ち直してきて、さてこれからという矢先、
今度は東北に大震災がやって来た。
元気になりかけていた繁華街の灯が、そのせいで、また消えちまった。
負けてたまるかと、提灯とローソクだけで店をあけてみたが案の定、誰も来なかった・・・
そんな場合じゃなかったよな。
未曽有の被害で、日本中が悲しみにひたっていたんだから」
「あれから4年が経つけど、被災地はまだまだあの頃のまんまだって、
あいつが、しみじみ言っとったわ」
「で、腹は決まったのか、お前は。
どんな風にして、あいつと再出発するつもりだ。
他人事とはいえ、やっぱり、すこしばかり気にかかる」
佳代子の家までもう少し。
そこの角を曲がれば佳代子の家というところで、幸作が足を止めた。
(37)へつづく
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