落合順平 作品集

現代小説の部屋。

居酒屋日記・オムニバス (26)     第三話 除染作業員のひとりごと ③

2016-03-09 11:22:17 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (26)
    第三話 除染作業員のひとりごと ③




 「今年の夏。東京電力福島第1原発事故4年半の節目を前に、
 歴史の転換点として刻まれるであろう出来事が、立て続けに発生している。
 川内原発の再稼働決定と、東電元幹部3人に対する強制起訴の議決だ」



 幼なじみの目が険しくなってきた。
幼なじみは大学生の頃から、政治活動に深く関わってきた。
学生だった20年前と言えば、日本新党代表の細川護煕氏が総理大臣に就任している。
鉄壁の保守と思われてきた自民党の55年体制が、ものの見事に崩壊している。
ヨーロッパでは欧州の連合帯、EUが発足し、アメリカでは左派系のビル・クリントン氏が
大統領に就任している。



のちの時代に大きな影響を残す出来事も、つぎつぎ発生している。
オウム真理教がおこした地下鉄サリン事件も、そのひとつ。
当時。ジャーナリストを志していた幼なじみが、父親の不慮の死をきっかけに
大学を辞め、郷里へ戻って来た。
小さな町工場を継ぐためだ。
町工場と言っても古くから勤めている従業員が、30人ほどいた。



 幸作と幼なじみが住む太田市は、自動車産業の城下町だ。
スバルの名前で知られている富士重工を頂点に、中小零細の町工場がひしめいている。
星の数ほど有るこれらの小さな工場の歴史は、スバルの歴史よりはるかに古い。



 スバルの前身は、中島飛行機。
中島飛行機は、1917年から1945年まで存在した日本の航空機・エンジンメーカーだ。
創業者は、元海軍機関将校の中島知久平氏。
エンジンや機体の開発を独自に行う能力と、自社で一貫生産をおこなえる高い技術力を持っていた。
終戦までに、29925機の航空機を生産している。
三菱が設計した零戦の全体の2/3の機体とエンジンを、中島飛行機が生産している。



 たった7人からはじまった飛行機の設計会社が、急成長を遂げた結果だ。
第二次世界大戦の終末期には、東洋で最大、世界でも有数の航空機メーカーに膨れ上がった。
終戦直後。中島飛行機は財閥会社としてGHQにより、12の会社に解体されてしまう。
終戦から5年後。1950年に発生した朝鮮戦争がGHQの占領政策を一変させる。



 財閥解体の動きを緩和し、戦争を遂行していくため、日本の工場を活用する方針に出る。
1952年。サンフランシスコ講和条約の発行とともに、接収していた土地や建物の返還が始まった。
解体されていた中島飛行機のうち、6つの会社が結集して富士重工が誕生する。
スバル車のエンブレム、輝く六連星のマークはこうした事実を物語る。



 太田市周辺の金属加工業は、中島飛行機の時代から、車の両輪として発展してきた。
幼なじみの実家も、そうした歴史を受け継いできた町工場のひとつだ。
終戦直後の仕事が欠乏した時代。おおくの町工場が自宅の軒下で、リヤカーや自転車、
鍋や釜、ヤカンなどの生活用品を手作りした。
それらを闇市で売り、ほそぼそとものつくりの技術をつないだ。



 こうして、ものつくりの歴史を積み重ねてきた町工場も4代目に当たる
幼なじみが社長になった頃から、経営が難しくなる。
自動車産業が世界に向かって飛躍していく中、下請けに対する横暴が強くなっていく。
加工費の切り下げが、当たり前のように強要される。


 『月がかわるたび、加工費の切り下げがやってくる。断れば仕事が来なくなる。
切り下げに応じれば翌月、また数パーセント単位の切り下げがやってくる・・・
生きた心地がしなかったぜ、あのころは・・・』
酔っぱらうたび、幼なじみが当時のことを苦い顔で思い出す。



 あのころというのはいまから7年前の、リーマンショックが発生した
2008年のことだ。
アメリカで発生した経済危機がまたたくまに、全世界を不況のどん底へ
叩き落とした・・・



(27)へつづく
 
新田さらだ館は、こちら