舞うが如く 第三章
(3)桃の花

壬生の八木邸の庭では、
沖田が、当家の二人の姉妹と遊んでいます。
先日の新徳寺の本堂の一件以来、
芹沢鴨と近藤勇の一派13名が、京都での残留を決めました。
しかし琴の兄、良之助は本隊と共に
江戸へ戻ることを決めました
清河の勅命を得る思惑がすすむなか、
浪士組の扱いに窮した幕府が、江戸市中警護の理由をつけて
急きょの帰還を命令したのです。
また京都での清河の暗殺が未遂に終わったことを受け、
江戸では、危険分子粛清の別策が、
ひそかに練られ始めました。
その帰還が2日後と決まりました。
200名余の浪士組は、わずか10日余りの京都滞在のすえ、
また東海道を江戸へと下ります。
清河から建白書は受け取ったものの、
とかくの噂がつきまとう清河の言動と、無頼者も含む浪士隊の存在を、
朝廷が、「横浜での警護」を口実に、自身の膝もとからは遠さけて、
幕府側に突き返す形になりました。
「政治(まつりごと)のは深淵は、俺にはわからぬ。
ただ、働く場所が京都から江戸にに変わっただけのはなしである。
攘夷と幕府のためならば、文句はいえまい。」
「琴に、一緒に戻れと
言いませぬが?」
縁側に並んで腰を下ろす、琴と良之助の二人でした。
沖田は姉妹に両手を引かれて、土蔵の裏手に消えて行きました。
3月が近い、八木邸の午後のことです。
「残る浪士たちには、
警護役の、会津藩による後見が決まったそうだ。
将軍の上洛までは、あと十日あまり。
壬生の浪士たちは
会津藩主・松平肥後守容保公の預かりとなったときく。」
「会津ですか、山本覚馬殿のおられる・・・」
「山本殿は、
武田信玄の軍師を務めた山本勘介の末裔だそうだ。
武術を極めたうえ、最新式の洋式砲術の指導者だとも聞く。
またたいへんに、腹の据わった学者肌だという評判でもある。
いずれ、顔を合わせることにもなろう。」
「楽しみです。」
「はて?、
砲術には興味がないであろうに・・・
お前の本当の楽しみは、
沖田との行く末であろう。」
「あ・・・兄上!」
「もう隠すな、
歳三さんもすでに見通しておる。
わしは本隊と共に明後日、
京を発つが、お前は好きにするがよい。
ただし、壬生の浪士には、幕府の後ろ盾がなくなったうえに、
あくまでも警護役の会津藩の預かりの身となるのだぞ。
どのみち、行く先は多難であろうが、
いまさら案じても始まるまい。
では、まいる。」
良之助が、縁側より立ち上がりました。
すれ違うように、
二人の姉妹を引き連れて沖田が戻ってきます。
そのすれ違いざま、沖田と一言、二言、言葉を交わした良之助が、
もう一度、琴を振り返るとにっこりとほほ笑んでから、
くるりと背中を見せました。
あとは懐に手を入れたまま、長身を揺らしながら
悠然と長屋門から遠ざかりました
姉妹の下の子が、
桃の花が咲く小枝を琴に差し出しました。
その額から首筋に至るまで、
したたるように汗が流れています
「おぬしのためにどうしてもと言って、
この子が、よせというのに
高い所まで登って折ってきたものだ。
顔は可愛いが・・・
どうして、なかなかに利発でやんちゃでもある、
おぬしが、余程に気に入っているようだ。」
汗びっしょりのその顔が、
沖田に言われてほほ笑みました。
琴が指先で受け取ろうとすると、その手を避けて、
琴の髪へと、小さな手を伸ばします。
「おぬしの髪に飾りたいそうだ。
子供がそのつもりで、
危険もかえりみず木登りをしてきたものだ。
今なら、この辺に浪士も試衛館の同士も見当たらぬ。
たまには、おなごに戻って、子供と遊んでみたらどうだ。
俺も疲れた故、一休みがしたい、
あとはまかせるぞ。」
それだけ言うと、
姉妹を置いて、沖田が立ち去ろうとします。
その沖田の手を、上の子が
しっかりと握って引きとめました。
春の日暮れが迫る八木邸の庭で、
琴は、下の子に手を引かれ、
沖田は上の子に手を握られて遊びます。
もちろん、琴の髪には下の子が取ってきたばかりの
赤い桃の花が揺れていました。

・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
(3)桃の花

壬生の八木邸の庭では、
沖田が、当家の二人の姉妹と遊んでいます。
先日の新徳寺の本堂の一件以来、
芹沢鴨と近藤勇の一派13名が、京都での残留を決めました。
しかし琴の兄、良之助は本隊と共に
江戸へ戻ることを決めました
清河の勅命を得る思惑がすすむなか、
浪士組の扱いに窮した幕府が、江戸市中警護の理由をつけて
急きょの帰還を命令したのです。
また京都での清河の暗殺が未遂に終わったことを受け、
江戸では、危険分子粛清の別策が、
ひそかに練られ始めました。
その帰還が2日後と決まりました。
200名余の浪士組は、わずか10日余りの京都滞在のすえ、
また東海道を江戸へと下ります。
清河から建白書は受け取ったものの、
とかくの噂がつきまとう清河の言動と、無頼者も含む浪士隊の存在を、
朝廷が、「横浜での警護」を口実に、自身の膝もとからは遠さけて、
幕府側に突き返す形になりました。
「政治(まつりごと)のは深淵は、俺にはわからぬ。
ただ、働く場所が京都から江戸にに変わっただけのはなしである。
攘夷と幕府のためならば、文句はいえまい。」
「琴に、一緒に戻れと
言いませぬが?」
縁側に並んで腰を下ろす、琴と良之助の二人でした。
沖田は姉妹に両手を引かれて、土蔵の裏手に消えて行きました。
3月が近い、八木邸の午後のことです。
「残る浪士たちには、
警護役の、会津藩による後見が決まったそうだ。
将軍の上洛までは、あと十日あまり。
壬生の浪士たちは
会津藩主・松平肥後守容保公の預かりとなったときく。」
「会津ですか、山本覚馬殿のおられる・・・」
「山本殿は、
武田信玄の軍師を務めた山本勘介の末裔だそうだ。
武術を極めたうえ、最新式の洋式砲術の指導者だとも聞く。
またたいへんに、腹の据わった学者肌だという評判でもある。
いずれ、顔を合わせることにもなろう。」
「楽しみです。」
「はて?、
砲術には興味がないであろうに・・・
お前の本当の楽しみは、
沖田との行く末であろう。」
「あ・・・兄上!」
「もう隠すな、
歳三さんもすでに見通しておる。
わしは本隊と共に明後日、
京を発つが、お前は好きにするがよい。
ただし、壬生の浪士には、幕府の後ろ盾がなくなったうえに、
あくまでも警護役の会津藩の預かりの身となるのだぞ。
どのみち、行く先は多難であろうが、
いまさら案じても始まるまい。
では、まいる。」
良之助が、縁側より立ち上がりました。
すれ違うように、
二人の姉妹を引き連れて沖田が戻ってきます。
そのすれ違いざま、沖田と一言、二言、言葉を交わした良之助が、
もう一度、琴を振り返るとにっこりとほほ笑んでから、
くるりと背中を見せました。
あとは懐に手を入れたまま、長身を揺らしながら
悠然と長屋門から遠ざかりました
姉妹の下の子が、
桃の花が咲く小枝を琴に差し出しました。
その額から首筋に至るまで、
したたるように汗が流れています
「おぬしのためにどうしてもと言って、
この子が、よせというのに
高い所まで登って折ってきたものだ。
顔は可愛いが・・・
どうして、なかなかに利発でやんちゃでもある、
おぬしが、余程に気に入っているようだ。」
汗びっしょりのその顔が、
沖田に言われてほほ笑みました。
琴が指先で受け取ろうとすると、その手を避けて、
琴の髪へと、小さな手を伸ばします。
「おぬしの髪に飾りたいそうだ。
子供がそのつもりで、
危険もかえりみず木登りをしてきたものだ。
今なら、この辺に浪士も試衛館の同士も見当たらぬ。
たまには、おなごに戻って、子供と遊んでみたらどうだ。
俺も疲れた故、一休みがしたい、
あとはまかせるぞ。」
それだけ言うと、
姉妹を置いて、沖田が立ち去ろうとします。
その沖田の手を、上の子が
しっかりと握って引きとめました。
春の日暮れが迫る八木邸の庭で、
琴は、下の子に手を引かれ、
沖田は上の子に手を握られて遊びます。
もちろん、琴の髪には下の子が取ってきたばかりの
赤い桃の花が揺れていました。

・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/