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落合順平 作品集

現代小説の部屋。

舞うが如く 第二章 (13)鬼の、詠む歌

2012-12-06 10:19:38 | 現代小説
舞うが如く 第二章
(13)鬼の、詠む歌




 のちの新撰組で
「鬼の副長」として恐れられたのが土方歳三です。
生まれは1835年(天保6年)、武蔵の国の農家に生まれました。
6人兄弟の末っ子であるとされてきましたが、
近年になって、実は10人兄弟の末っ子で
あることが判明しました。


 土方家は「お大尽(だいじん)」と呼ばれた
多摩の豪農でしたが、父と母が早くに他界したために、
次兄の喜六と、その妻の・なかによって養育されました



 少年期の歳三は、触ると痛い茨(いばら)のように
乱暴なところがありました。
生家には竹を植え、大きくなったら武士になり、
植えた竹で矢をつくると高言してはばかりませんでした。

 数え年の14歳から24歳までの10年間は、
江戸上野の「松坂屋いとう呉服店(現在の松坂上野店)」
に奉公に出ていたという記録が残っています。
 その後、歳三は実家秘伝の
「石田散薬」を行商しながら、各地の剣術道場で
他流試合を重ね、修業を積みます



 真紅の面紐に、朱塗りの胴皮などの
洒落た防具を使用しており
対戦相手は一様に「この洒落者が」と見くびりましたが、
いざ竹刀をまじえるとたちまちのうちに、
手痛い目にあわされました。
その、得意技はもろ手突きだといわれています



 姉の、のぶが日野宿の名主、
佐藤彦五郎に嫁ぎ、歳三も良く出入りしていました。
この彦五郎が大火に乗じて命を狙われたこともあり、
いらい天然理心流に入門し、自宅の一角には、
試衛館の出張道場も建てました。
そんな縁から、近藤勇とも義兄弟の契りを結んでおり、
天然理心流を支援することになります。



 歳三は、その道場に指導に来ていた近藤と出あい、
安政6年(1859年)3月29日に正式に入門しています
文久元年(1861年)、近藤が天然理心流の宗家4代目を継承した記念に
紅白の野試合が催された時には、
歳三は紅組の大将を守る役で出場しています。




趣味は俳句で、
俳号を「豊玉」(ほうぎょく)と名乗り
京都に行く前までに41首の句を綴っています。
他に知られているのが、和歌8首、漢詩、俳句(川柳)数種です。


主な作品を抜粋して紹介します




差し向かう 心は清き水鏡        裏表 なきは君子の扇かな

水音に 添えてききけり 川千鳥     手のひらを 硯にやせん 春の山

白牡丹 月夜月夜に 染めてほし     願うこと あるかも知らす 火取虫

露のふる 先にのほるや 稲の花     おもしろき 夜着の列や 今朝の雪

菜の花の すたれに登る 朝日かな    しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道

しれば迷い しらねば迷ふ 法の道    人の世の ものとは見へぬ 桜の花

我年も 花に咲れて 尚古し       年々に 折られて梅の すかた哉

朧とも いはて春立つ 年の内      春の草 五色までは 覚えけり

朝茶呑て そちこちすれば 霞けり    春の夜は むつかしからぬ 噺かな

三日月の 水の底照る 春の雨      水の北 山の南や 春の月

横に行き 足跡はなし 朝の雪      山門を 見こして見ゆる 春の月

大切な 雪は解けけり 松の庭      二三輪 はつ花たけは とりはやす

玉川に 鮎つり来るや ひかんかな    春雨や 客を返して 客に行

来た人に もらひあくひや 春の雨    咲ふりに 寒けは見へず 梅の花

朝雪の 盛りを知らす 伝馬町      岡に居て 呑むのも今日の 花見哉

梅の花 一輪咲ても うめはうめ   (井伊公)ふりなから きゆる雪あり 上巳こそ

年礼に 出て行空や とんひたこ    春ははる きのふの雪も 今日は解

公用に 出て行みちや 春の月      あはら屋に 寝て居てさむし 春の月

暖かな かき根のそはや いかとほり   今日もきょう たこのうなりや 夕けせん

うくひすや はたきの音も つひやめる   武蔵野や つよふ出て来る 花見酒

梅の花 咲るしたけに さいてちる





上洛の旅も終りに近づいてきました


もう山々の間から、
広大な琵琶湖の水面が近付いてきます。
やがて、東海道との合流地、草津宿に到着です





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