舞うが如く 第二章
(14)上洛前夜

草津宿(くさつじゅく)は、
東海道五十三次では52番目の宿場町にあたり、
木曽路をくだってきた中山道と、ここで合流します。
東海道の江戸方からは、草津川を越えて、
堤防沿いに進むと、東横町・西横町と続いて
やがて中山道との合流点に至ります。
ここを左折すると、
一町目から六町目まで続く宿場通りに入ります
中山道からは、
草津川のトンネルを抜けて追分へと至りますが、
このトンネルができたのは1886年(明治19年)のことです。
それ以前は、町の高みを流れるこの川を渡って
旅人たちは、草津宿へと下っていきました。
琵琶湖を真近に望んで
いよいよ京都に到着と言う、
その前日になりました。
琴の涼しい目が、沖田を振り返ります。
懐手のままの沖田が、
それを真正面から受け止めました。
高さが14尺余り(4,5m)ある、
常夜灯の「追分道標」を過ぎたばかりの坂道でした。
道の土手下には、一反(300坪)ほどの草原が広がり、
それを取り囲むように杉の大木もそびえています。
ゆるやかに続く長い下り坂の先からは、
もう賑やかな物音が聞こえており、
宿場町の青い屋根も見え隠れしていました。
「望みとあらば、ここでもよいが、
どういたす、
真剣でもよいのか?」
「もとより、望むところです。」
一瞬のことに、周囲が色めきました。
土方が沖田を見つめ、
つられたように、良之助が琴を見つめます。
しかし、その瞬間、
すかさず、芹沢が二人の間に割って入りました。
酒臭い息とともに、
独特の、だみ声が響き渡ります。
「待て、待て。
そう、はやるでない、はやるな。
はやまるでないぞ。
本陣や、脇本陣の周囲で、刃物三昧とあっては、
浪士組の名誉にもかかわろう、
ここはひとまずこの芹沢が預かる故、
双方とも気を静めるがよかろう。
待てまて、
後の機会はいくらでもある。
近藤の面目もあろう。
ひとまず待て、沖田。なぁ次郎丸。」
そういいつつ、
鉄扇を振りまわしながら二人を遠ざけます。
土方がいちはやく、沖田連れ出して坂道をくだりはじめました。
良之助が、琴の肩を抱いて人垣を離れます
「どうあっても・・・
沖田と立ち会うつもりか」
「むろんです。」
「ただでは済まぬぞ、お互いに。」
「琴は、自分よりも弱い者には嫁ぎませぬゆえ。」
「それは、
重々承知の上じゃ。
なれど、上洛の道を行く今はその時にはあるまい、
先日は近藤に邪魔をされたとはいえ、
いつまでも、
あえて沖田一人にこだわることもなかろう。」
「いえ、
どうあっても決着をつけたいのです、
なにがあろうとも、
沖田さんの腕前を確かめたいと思いまする。」
「頑固で有るな、
なにゆえ、
それほど沖田にこだわる?」
「琴の血が
騒ぎまするゆえ。」
「ほほう、
それは沖田が気に入ったということか?。」
「それは・・・」
はははと、
良之助が琴の背中を叩きます
「となれば、
戦わずして負けたということになるかのう。
琴よ、剣で競うばかりが
婿選びの方法ではあるまい。
気に入ったのであれば、他の方法もあると思うのだが。
いっそのこと、
おなごに舞い戻ったらどうだ」
「あ・・・兄上。」
「そうか、沖田に惚れたか・・・
お前が頬を、赤く染めるのも始めて見た。
これは良い旅の土産話ができた、
お前を浪士隊に連れてきた甲斐も有るというものだ。
なるほど、なるほど。」
本庄宿での芹沢鴨の大かがり火事件や、
山南敬介が幕府の目付役と喧嘩をするなどの小競り合いがあったものの
中山道を旅した浪士隊は、2月23日に無事に京都へと到着しました。
一行は洛外の壬生村に入り、
新徳寺、地蔵寺、更祥寺の寺院をはじめ、豪農宅などに分宿します。
近藤と試衛館の四天王、良之助と琴は、
芹沢鴨の元水戸藩一派と共に
壬生の郷土・八木玄之丈の屋敷にとはいりました。
その同日の夜のことです。
別行動をとっていた清河八郎が、にわかに現れ、
新徳寺の本堂に、浪士組の全員を集めました

・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
第二章・完
(14)上洛前夜

草津宿(くさつじゅく)は、
東海道五十三次では52番目の宿場町にあたり、
木曽路をくだってきた中山道と、ここで合流します。
東海道の江戸方からは、草津川を越えて、
堤防沿いに進むと、東横町・西横町と続いて
やがて中山道との合流点に至ります。
ここを左折すると、
一町目から六町目まで続く宿場通りに入ります
中山道からは、
草津川のトンネルを抜けて追分へと至りますが、
このトンネルができたのは1886年(明治19年)のことです。
それ以前は、町の高みを流れるこの川を渡って
旅人たちは、草津宿へと下っていきました。
琵琶湖を真近に望んで
いよいよ京都に到着と言う、
その前日になりました。
琴の涼しい目が、沖田を振り返ります。
懐手のままの沖田が、
それを真正面から受け止めました。
高さが14尺余り(4,5m)ある、
常夜灯の「追分道標」を過ぎたばかりの坂道でした。
道の土手下には、一反(300坪)ほどの草原が広がり、
それを取り囲むように杉の大木もそびえています。
ゆるやかに続く長い下り坂の先からは、
もう賑やかな物音が聞こえており、
宿場町の青い屋根も見え隠れしていました。
「望みとあらば、ここでもよいが、
どういたす、
真剣でもよいのか?」
「もとより、望むところです。」
一瞬のことに、周囲が色めきました。
土方が沖田を見つめ、
つられたように、良之助が琴を見つめます。
しかし、その瞬間、
すかさず、芹沢が二人の間に割って入りました。
酒臭い息とともに、
独特の、だみ声が響き渡ります。
「待て、待て。
そう、はやるでない、はやるな。
はやまるでないぞ。
本陣や、脇本陣の周囲で、刃物三昧とあっては、
浪士組の名誉にもかかわろう、
ここはひとまずこの芹沢が預かる故、
双方とも気を静めるがよかろう。
待てまて、
後の機会はいくらでもある。
近藤の面目もあろう。
ひとまず待て、沖田。なぁ次郎丸。」
そういいつつ、
鉄扇を振りまわしながら二人を遠ざけます。
土方がいちはやく、沖田連れ出して坂道をくだりはじめました。
良之助が、琴の肩を抱いて人垣を離れます
「どうあっても・・・
沖田と立ち会うつもりか」
「むろんです。」
「ただでは済まぬぞ、お互いに。」
「琴は、自分よりも弱い者には嫁ぎませぬゆえ。」
「それは、
重々承知の上じゃ。
なれど、上洛の道を行く今はその時にはあるまい、
先日は近藤に邪魔をされたとはいえ、
いつまでも、
あえて沖田一人にこだわることもなかろう。」
「いえ、
どうあっても決着をつけたいのです、
なにがあろうとも、
沖田さんの腕前を確かめたいと思いまする。」
「頑固で有るな、
なにゆえ、
それほど沖田にこだわる?」
「琴の血が
騒ぎまするゆえ。」
「ほほう、
それは沖田が気に入ったということか?。」
「それは・・・」
はははと、
良之助が琴の背中を叩きます
「となれば、
戦わずして負けたということになるかのう。
琴よ、剣で競うばかりが
婿選びの方法ではあるまい。
気に入ったのであれば、他の方法もあると思うのだが。
いっそのこと、
おなごに舞い戻ったらどうだ」
「あ・・・兄上。」
「そうか、沖田に惚れたか・・・
お前が頬を、赤く染めるのも始めて見た。
これは良い旅の土産話ができた、
お前を浪士隊に連れてきた甲斐も有るというものだ。
なるほど、なるほど。」
本庄宿での芹沢鴨の大かがり火事件や、
山南敬介が幕府の目付役と喧嘩をするなどの小競り合いがあったものの
中山道を旅した浪士隊は、2月23日に無事に京都へと到着しました。
一行は洛外の壬生村に入り、
新徳寺、地蔵寺、更祥寺の寺院をはじめ、豪農宅などに分宿します。
近藤と試衛館の四天王、良之助と琴は、
芹沢鴨の元水戸藩一派と共に
壬生の郷土・八木玄之丈の屋敷にとはいりました。
その同日の夜のことです。
別行動をとっていた清河八郎が、にわかに現れ、
新徳寺の本堂に、浪士組の全員を集めました

・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
第二章・完