【コピーライターになろう!】憧れの東京でコピーライターになれたのに…。
おはようございます。
昨日は初出勤でしたが、久しぶりに一日中立ったままだと、予想以上に疲れ、昨夜は夜9時半にお布団に入ってしまいました(^^;)
長いお休みからのウォーミングアップは、もう少し時間がかかりそうです。
今日の【コピーライターになろう!】は「憧れの東京でコピーライターになれたのに…」です。
経験3年目で上京し、飯田橋にある制作会社でコピーライターとして雇っていただき、富士フイルムさんやTECさん、資生堂さんなどのお仕事をさせていただき、お給料も十分にいただき、充実した毎日を過ごしていましたが……。
ある日、朝起きて、テレビをつけると、信じられない光景が目に飛び込んできました。
関西で大きな地震が起きたというニュース速報が流れ、梅田にある丸ビルが映し出されていました。
1995年1月17日、阪神大震災が起こったのです。
東京のテレビでは、当初、大阪で地震が起きたと、梅田の映像が流れていました。
実家は大丈夫だろうか!
あわてて、自宅に電話をしましたが、まったくつながりません。
当時、付き合っていた彼とも連絡がつきません。
ニュースでは、信じられない光景が次々と映し出されます。
「私は、両親も親戚も友人も、みんな失ってしまった!」
絶望的な気持ちで、会社に向かいました。
会社に着いてからも、何度か電話をかけましたが、何度かけてもつながりません。
「自分一人、東京に来て、好きなことをしているから、バチが当たったんだ。何もかも失ってしまったんだ……」
目の前が真っ暗になり、自分だけ生き残っても仕方がないと思ったほど、生きる気力を失っていました。
そうして、何十回と電話をかけ、お昼過ぎにようやく電話がつながりました。
実家は大きなテレビが倒れただけで、幸い、両親は無事でした。
付き合っていた彼氏もガレキをよけながら、バイクで勤務先のスーパーに到着したとのことで、受話器ごしに元気な声を聞くことができました。
膝がガクガク震えるほど、安心して体から力が抜けていったことを覚えています。
そして、この日から、自分のなかで「大阪に帰りたい」と思う気持ちがどんどん大きくなりました。
あるときは、ラーメン屋さんで美味しそうにラーメンを分け合う親子の姿を見て、泣き出してしまったことも。
コピーライターになりたい一心で、東京まで来たけれど、仕事よりももっと大切なものがあるのではないだろうかと思い始めていたのです。
自分にとって一番大切なものは、両親や妹、そして大阪で待ってくれている彼氏かも……。
そう思い、社長に「大阪に帰りたい」という想いを伝えましたが、精神的な病いだと思われ、なかなか取り合ってもらえませんでした。
会社にすれば、経験3年で雇い、経験5年目でやっと一人前になったかと思うと、辞めたいと言い出されては、たまったものではないと思います。
辞めるまでに半年以上かかり、辞めるときには、
「うちのお客さんを取って行くんじゃないよ」と釘を刺されました。
大阪に帰った私は、コピーのことはサッパリ忘れ、派遣社員として建設会社で事務員として働き始めます。
コピーライターのときは毎日、終電で帰っていたのに、5時きっかりにタイムカードを押し、空がまだ明るいうちに帰ることにはなかなか慣れませんでした。
1年間、貯金をしたお金で結婚式を挙げてまもなく、妊娠してつわりになります。
入院を勧められるほど、ひどいつわりだったので、建設会社は退職。そのまま専業主婦になったわけですが、つわりがおさまって、夢中になったのは、やっぱりコピーでした!
家事以外に特にすることもないので、雑誌『宣伝会議』を購入し、課題と向き合いました。
妊娠中はホルモンの動きが活発になるのか、アイディアがバンバン浮かびます。
そうして、応募した結果はどうだったでしょうか?
明日、また、お話させていただきます。
【コピーライターになろう!】