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何故、日本人は性善説でいられるのか?

2019-04-11 | 
  4月11日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


日本人の宗教心の源泉とは。

日本人に 「愛」 があるのか。

何故? 世界の中で日本人が

性悪説ではなく、性善説でいられるのか不思議である。

どうやら日本人は一神教に重点を置かないことを得意としているようである。

基本的には仏教徒なのだが、しかし

どうやらそれだけではなさそうなのだ。

なぜかと言うと、日本人が奇麗好きで掃除好きなのは、

神様と一緒に生活しているからだと考えられるからである。

つまりは、多神教だ。

多神教を説明するなら、

いたるところに神様が存在し、人と神様とが共同作業化している状態だ。

日本人は欲すると否とに捉われず、神様を身近に感じているのである。

たとえ権力を持った者が働く人たちに対して非常に優しい心の持ち主であるのは、

神様との合理的発想が無意識に行われている国、日本だからである。

だから、10万円入った財布を交番に届けられるのです。(私もです)

誰かが見ていなくても、神様と一緒ですから嘘も裏切りも少ない。

ゴミをポイ捨てするどころか、

他人が捨てたゴミまで普通に拾うことが出来るのは神様と一緒だからなのです。

そう考えると、仏教よりかは神道に影響をかなりの部分で受けている気がします。

その理由には、一年中、自然災害が多く厳しいからではないかと考えられる。

常に日頃から神様と共存しなければ不安がぬぐいえないのです。

逆に、神の概念が無い民衆では、隙あればすかさず物を平気で盗むように、

不法投棄が捕まりさえしなければ問題ないことだと公然という。

社会秩序についてきっぱりとした原理を説明することは、

それがどの様な原理であっても、ほぼ間違いなく、神の概念が調和に導く。

毎日の生活習慣を誰かに教わることなく、

正当化できるそんな方法には、神の概念を創り出すことが重要なのだが、

そのような過程には必ずしも意識的な操作では上手く行かず、

自然的で普遍的な頑固なまでに抵抗不能な「目に見えない力」が必要となる。

個人の生命よりも高次の生命、すなわち国民の生命に国家の生命があって、

それより更には、集合体維持の為に自らを犠牲にすることが出来る国民性、

私たちは自分の為には死ねない。しかし愛する人の為なら死ねる。

さらには、集団の為になるならば、何も恐れず喜んで命を捧げられるのである。

真に神様によって日本人が何を意味するかを説明する以前に、

真に神様が属する文化伝統についての啓示が与えるものが役立つだろう。

人間の知識の限界の自覚から、どの個人にも、どの集団にも、

何者かに知られていることの全ての実感から得られる実践的結果すなわち、

支配的ないし排他的もしくは強欲的で犠牲的な

ムチ打つ主人の仕事を引き受ける可能性とほぼ同じようにあり得ないのである。

日本人に 「愛」 があるかだって?

冗談じゃない。多神教とは 「愛」 でいっぱいだ。

もしろ逆に言わせてもらえば、世界には少しばかり神の存在が少なすぎるのでは?

一神教と違って、多神教は一つの神様をそれほどまでには働かせない。

どうりで、日本人の方が優しいはずだ。神様に優しいのだからウィン・ウィン、愛だ。

さらにはもう一つ。

仏教徒とのバランスにあるのだ。

言わずとしれた仏教典だが、

諸行無常、四苦八苦、一切皆苦、この世は地獄であるように、

真面目な日本人の目には人生とは修行であって、

人の道は、重き荷を背負って遠き道を行くが如し、急ぐべからずだ。

したがって日本人の神様に対する理論はこのように、

多神教による適切な概念を構成し、かつ、

自然発生的に生成したきた改善や工夫に対して、

全体の貢献を多神教と共に生活を築き上げてきた実績にこそ、

日本人の社会秩序の内で思想の意識的部分が日本人の情緒、感受性へと、

そうなるべき発想力が社会の全ての生活の中心の大部分に宿るという事実になるのである。


    つづく。



1 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-04-11 17:12:46
日本人は皆、神様と共に生きているという感覚を持っておられる点は共感しますが、だからこそ、神道は宗教ではない事に気づくべきです。 古事記や、日本書紀の記述からも、どこかの神社に祭られている神様が誰かと言う点からも、神様とはだいたいは、あの世に帰っていった人間で、かつて人として生きていたわけですので。 
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