先日、元姑に電話を掛けようとして、久しぶりに6年前の日記を探す事になった。離婚する直前まで書かれていたと思っていたら、離婚してからも半年間その日記は続いていたようだ。いちいち読む時間も読む勇気も無く、パラパラとだけめくった。
離婚後の自分の文章である。「母と妹が会社の飲み会に行くなと言う。職場への理解が全く無い。」と怒って書かれていた。
唖然とする。
私は今まで「子供の事が気になって会社の飲み会は年に2回しか行かないんですよ」と気取っているが、離婚当初はあわよくば実家に子供を預けて、会社の飲み会で楽しもうと企んでいたのだ。それで実家とケンカしていたらしい。(しかも、その事実は今では都合宜しくすっかり忘却の彼方にあった)
それから、「夏休み実家で子供を看てもらえないか」と頼んだ事もあった。(こちらはちゃんと覚えている)それも母と妹に阻止された。「kekeを預かったらこっちも気を遣い身動き取れない、学童に入れなさい」と言われた。今から思えば当り前の話だが、当時はあわよくば、実家で子供を看てもらい、たまにはkekeさんの友達にお茶菓子の一つでも出してくれないかな~とまで思っていたのである。一番近い所の学童は月に1万円も掛ったので、それもケチろうと思ったのだ。
「ちっ!なんて冷たい人達だ。こっちはずっと仕事をしているのに。一人で子育てしてるのに。孫くらい預かってくれてもいいじゃないか。うちじゃ誰も判ってくれないんだから!!」と天に唾を吐きたくなった。
でも、今にして思うと、アレがあったから、その後自分で体を張って子供を守る気になれたのだろう。
それ位、離婚直後の家庭は親も子も不安定なのである。
母と妹は私の性格を知り尽くしていたから、預からなかったのだ。
あの時、実家がホイホイ同情して子供を受けたら、私はますます「私は大変な母子家庭」をお題目に、たがが外れて、どんどん子供を実家に預けていたかもしれない。それで「実家で看ていてくれるから大丈夫ですよ」と仕事でも夜遊びでも何でもホイホイやっていたかもしれない。
うっかりすると、親は子供を忘れてしまう。
ぬるま湯につかれば、もう一度つかりたくなるのが人間だ。
誰かに看てもらえれば、またついお願いしてしまうのが人間だ。
もう今では、事件の被害に遭われたお父さんを責めるマスコミのコメントは無い。
でも、これは別世界の話ではない気がする。
同じような心の隙間を私達も持っているかもしれない。
母は亡くなる1年前くらいになって、やっと安心したようだった。離婚して3年が経っていた。
「もう大丈夫だね。このまま行けば、きっとあの子はいい子になるよ。間違い無いよ。」と言った。
それから間もなく、母は亡くなった。誰一人予想していない出来事だった。
離婚後の自分の文章である。「母と妹が会社の飲み会に行くなと言う。職場への理解が全く無い。」と怒って書かれていた。
唖然とする。
私は今まで「子供の事が気になって会社の飲み会は年に2回しか行かないんですよ」と気取っているが、離婚当初はあわよくば実家に子供を預けて、会社の飲み会で楽しもうと企んでいたのだ。それで実家とケンカしていたらしい。(しかも、その事実は今では都合宜しくすっかり忘却の彼方にあった)
それから、「夏休み実家で子供を看てもらえないか」と頼んだ事もあった。(こちらはちゃんと覚えている)それも母と妹に阻止された。「kekeを預かったらこっちも気を遣い身動き取れない、学童に入れなさい」と言われた。今から思えば当り前の話だが、当時はあわよくば、実家で子供を看てもらい、たまにはkekeさんの友達にお茶菓子の一つでも出してくれないかな~とまで思っていたのである。一番近い所の学童は月に1万円も掛ったので、それもケチろうと思ったのだ。
「ちっ!なんて冷たい人達だ。こっちはずっと仕事をしているのに。一人で子育てしてるのに。孫くらい預かってくれてもいいじゃないか。うちじゃ誰も判ってくれないんだから!!」と天に唾を吐きたくなった。
でも、今にして思うと、アレがあったから、その後自分で体を張って子供を守る気になれたのだろう。
それ位、離婚直後の家庭は親も子も不安定なのである。
母と妹は私の性格を知り尽くしていたから、預からなかったのだ。
あの時、実家がホイホイ同情して子供を受けたら、私はますます「私は大変な母子家庭」をお題目に、たがが外れて、どんどん子供を実家に預けていたかもしれない。それで「実家で看ていてくれるから大丈夫ですよ」と仕事でも夜遊びでも何でもホイホイやっていたかもしれない。
うっかりすると、親は子供を忘れてしまう。
ぬるま湯につかれば、もう一度つかりたくなるのが人間だ。
誰かに看てもらえれば、またついお願いしてしまうのが人間だ。
もう今では、事件の被害に遭われたお父さんを責めるマスコミのコメントは無い。
でも、これは別世界の話ではない気がする。
同じような心の隙間を私達も持っているかもしれない。
母は亡くなる1年前くらいになって、やっと安心したようだった。離婚して3年が経っていた。
「もう大丈夫だね。このまま行けば、きっとあの子はいい子になるよ。間違い無いよ。」と言った。
それから間もなく、母は亡くなった。誰一人予想していない出来事だった。
立派なお母さまだったことでしょう
でも、あなたも立派なお母さまですよ
色々と大変な様子ですけど
頑張ってくださいね
でも、確かにそれがあったからこそ、いまsakeさんは立派に生きてる気がするよ^^
私も離婚まではしなかったものの、同じように子供を預けて遊びに行こうとしたときがあったの(別居中に)でも母親から「子供の母親はあんたでしょう、あんたはそうやって逃げ出すことができても子供たちは逃げることもできない、あんたしか頼れないんだよ」と言われました・・・。
その時は「少しぐらい看ててくれてもいいじゃない」とか思ってたけど、落ち着いて考えると母の言うとおりだなぁって思ったの。
母に感謝だね。
夫婦で映画なんぞを見に行っちゃいました。
確かに一度頼るとついつい頼んじゃうんですよね。
もっとしっかりしないとな。自分。
少しずつ理解して行ったのですね。
私は今でも実家に頼ってばかり(汗)
だから、つい甘えすぎな考えを持つ事もあって
実家と衝突したりしてます。
反省・・・
日記とか何かを記しておくのは
後々の為にも良いものなのですね。
甘えまくってます
我が家族は皆で子育てしてるって感じの家庭なので、普通より恵まれてるバツイチライフだと思います。皆に「TOMYさんは幸せだね」ってよく言われます。同居でも色々と大変な部分もあるけど、十分すぎる位甘えてるんだな~って感じました。
感謝せねば・・・!!
ところが、sakeさんのところへリンクしそこねて、ブログを書き直してしまった為、トラックバックが二重になってしまいました。
申し訳ございません。
気を悪くしてしまったらごめんなさい。
こうでも思わないと一人で子育てなんてしてられない。
職場と家とスーパーの往復。色気の無い生活。もう再婚の可能性も無い。子供が自立したら私は負け犬ですよ。(笑)
だから、こう思って自分を奮い立たせるしか無いんです。
>rikoさん
お久しぶりだね!^^
おやまぁ~rikoさんも別居中にそんなことがあったんですか?
「ちっ、ケチんぼ」と思ったけれど、あれがなかったら、子供にもっと寂しい思いをさせていたかもしれないですね。
でも、フラーとどこかに行きたくなる時はあるよね。もう今だと「何処でも行ってくれ」って言われるだろうな~さびしいな~
>サムさん
子供を頼んで映画なんて当り前ですよ~!
たまには夫婦でのんびりしないと息が詰ります。
年中子供に追いまわされていると、夫婦で記念日も祝えないでしょ?たまには初心に返ることも大切ですよ~。^o^
>つみきさん
やっぱり私の家が特別なのかもしれないです。。
私の母は母子家庭で育って、親がいつも不在で寂しい思いをしていたそうです。それもあって、子供は親!って言って面倒は看てもらえませんでした。
でも、もう少し普通は面倒みてくれますよね~
まったくもう。
>TOMYさん
大家族で賑やかでいいですよね。^o^今は甘えるだけ甘えて、後でうんと親孝行する時がありますよ。子供が小さいうちは親に看てもらわねば仕事はできません。
私も子供が幼稚園だったら、もっと親に看てもらっていたと思います。祖父母にもなついただろうしね。
>ginnさん
気にしないで下さいね。一つは消せたら消しておきますから。
後でginnさんのブログも拝見させていただきます~^o^
私の場合 子どもが中3・小6と大きかったことと 実家が遠かったので不可能でしたが。
義父母が嫌いなのと亡き夫の影響力から離れたいため 意地張ってます(^_^;) ぜ~ったい 誰の助けも借りない。一人で育ててみせる。なんてネ。 でも はたしてコレがいいのか・・
sakeさんも kekeさんの成長に合わせて息抜きしてください(^_^)
私も意地張ってますよ~張ってないと回転が止まって、バタッと倒れそうなんだもの。
でも、こんな日も、きっと懐かしくなるんですよね。居なくなったら居なくなったで淋しいよね。
この記事は考える事思う事多すぎて書ききれないけどsakeさんのお母様は突き放す優しさ・・親ってそれするの難しいんだけどね愛情を感じました。
甘えられない所からの方が少し手を貸してもらっただけでも感じ方違うものね。
「もう大丈夫・・」って言葉見守ってくれてた、突き放すようで影で支えてくれてたんですね。