来年の4月でブログ始めて何年になるのだろう?と数えてみたら、14年になるらしい。
最初は「よく分からないけれど、とりあえず日記をつけてみるか」と言う感じで始まったので、私は自分のブログのそれぞれのページを「記事」と呼ぶのがどうも苦手だった。「日記」と呼んでみたりもしたけれど、それも不自然な気がして仕方なく「記事」と言う言葉も使ってみたけれど、やっぱりどこか違和感がある。
このブログは「自分の正直な気持ちを隠さずありのままに書く」というのがコンセプトだった。
それは例えると習字のように、1枚の紙にトンと筆をおく。
そう言う風に、今の自分の気持をトンと筆をおくかのように、すっと気持ちを書きたかったのである。
文章なので、文字数は多いけれど、ここにはいろんな習字が並んでいる。
時には太く大きく、時には細い筆で繊細に・・・そんな文字がいっぱい並んでいる。。。そんなイメージで毎日文字を打っていた。
しかし、14年経つうちにいろいろ状況も変わった。
読んでいる人が気持ちのいいものは、私が正直に書いたものとは限らない。
正直に書くことで、誰かを傷つけることもある。
正直に書くことで、また自分が傷つくこともある。
数学のように答えが一つで、そこにたどりつくだけの道順を教えるだけなら簡単だけど、むしろ世の中はそう言う方が少ない。
何が正しいかなんて、分からない事の方が多い。
答えが出せないような問題で傷つきあうほど無駄なことはない。
そう思うと、書きたくても書けないこともあることが分かった。
そう思うと、昔のように簡単にトンと筆をおくようにはなかなか書けない。
ブログと言うのも、結局は人に見せるために虚飾しなくてはならないリアルと変わらない世界だったのかもしれない。
14年近くも経って、やっとそんな当たり前な事に気がつく今日この頃だ。
最初は「よく分からないけれど、とりあえず日記をつけてみるか」と言う感じで始まったので、私は自分のブログのそれぞれのページを「記事」と呼ぶのがどうも苦手だった。「日記」と呼んでみたりもしたけれど、それも不自然な気がして仕方なく「記事」と言う言葉も使ってみたけれど、やっぱりどこか違和感がある。
このブログは「自分の正直な気持ちを隠さずありのままに書く」というのがコンセプトだった。
それは例えると習字のように、1枚の紙にトンと筆をおく。
そう言う風に、今の自分の気持をトンと筆をおくかのように、すっと気持ちを書きたかったのである。
文章なので、文字数は多いけれど、ここにはいろんな習字が並んでいる。
時には太く大きく、時には細い筆で繊細に・・・そんな文字がいっぱい並んでいる。。。そんなイメージで毎日文字を打っていた。
しかし、14年経つうちにいろいろ状況も変わった。
読んでいる人が気持ちのいいものは、私が正直に書いたものとは限らない。
正直に書くことで、誰かを傷つけることもある。
正直に書くことで、また自分が傷つくこともある。
数学のように答えが一つで、そこにたどりつくだけの道順を教えるだけなら簡単だけど、むしろ世の中はそう言う方が少ない。
何が正しいかなんて、分からない事の方が多い。
答えが出せないような問題で傷つきあうほど無駄なことはない。
そう思うと、書きたくても書けないこともあることが分かった。
そう思うと、昔のように簡単にトンと筆をおくようにはなかなか書けない。
ブログと言うのも、結局は人に見せるために虚飾しなくてはならないリアルと変わらない世界だったのかもしれない。
14年近くも経って、やっとそんな当たり前な事に気がつく今日この頃だ。