
これがブログにたびたび登場する「東京チカラめし風牛丼」である。
図書館で借りた「おうち外食レシピ決定版」という本に載っていた。
砂糖やしょうゆ、ニンニクや生姜のすりおろしに牛肉をつけておき、最後に焼くのである。
詳しくはこちらに書いてある。
これがkekeは大好きでいつどうやって作っても失敗にならない我が家の定番メニューである。
今日はそのつけ汁がもったいないと思い、鶏肉をつけてみた。
最後に卵液をからめ、から揚げにする。

布団に入って加島祥造さんの「LIFE」を読む。
加島さんもブログに何回も登場しているが、要約すると「老子」に惚れ込んで、「老子」の言葉を我が流で解釈したものを水墨画とともに表現しておられる方である。そして90歳を過ぎても田舎で自然と共に一人暮らしをされているようである。やや仙人のような風貌もしている。
その中の一つに「変わらないものは無い」と言う流儀がある。
(原文を引っ張ってくるのが面倒なので自己流の解釈になってしまうことを断っておきたい。)
ここにこうして在ることも、人の気持ですらも常に移り変わっていくものであり、ここにとどまることはない、と断言している。
そういうものなのだからこそ、今を大切に、今ここで生きていることを味わいなさい、と言っているのだ。(と思う)
私はそれを読んで、くぅーとなる。
人はもしかしたら誰もが幸せを望み、それに向かおうとして、さらにはそれが永遠に続くことを願う。
でも、それは儚いことだ。
どうしてそれでもそんなものを求め続けてしまうのだろう。
私は一生このままこうなのかと思うと、哀しくなる。
この世界から足を洗いたい。
そんな風に考える。
でもそれは死ぬということではない。
そういうものから逃れたいのである。
私は瀬戸内寂聴さんが好きで、どこかで心の拠り所にしているので、私も同じ年52歳になったら、エイヤーと何もかも投げ打って、自分の怨念から逃れる生活をしたいと思ってしまう。
自然にあるものを大切に思いながら、それに生かされている自分だけを考えていたい。
それさえもまだ難しいのだろうか。・・・と思ってしまう。