きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

石の上にも3年

2014-04-18 | 息子keke
家に帰ると、kekeの靴を見る。

朝、kekeの靴を直しているので、そのままの向きの時は家から出ていない。
家から出た時は靴の向きが逆になるはずなのである。

今日はまた家にずっといたのだな。
・・・・そういう日はガックリする。
外に出ていても、出ていなくても、たぶん変わりはないのだが、家にこもることはあまりに非生産的だ、と思ってしまう。

久しぶりに妹に電話した。
「どうしたの?」と言うので、かくかくしかじか、kekeが仕事を探しているのか、探してもみつからないのか分からないけれど、この数ヶ月で面接に行ったのは2回きり。あとは何をしているのかよく分からん、いったい私は何をすればいいのか、と言うと、「親ができることはもう無いのでは」と言う。

バイトはしないの?と言うので、たまに小遣いは稼いでいるようだよ、と言うと「家にお金を入れてもらえば?」と言う。

「そんなことを言ったら、ご飯要らないとか死ぬからいいとか言うよ。」と私は言い、「ほんとに死ぬ気があるなら、もう死んでいるのでは?」と妹も言うのだが、これはさすがに私も悩む。それで死んでしまった場合、いったい誰がその責任を取れるか、と言うところにあるのだ。
そう言う時の取り返しのつかない後悔を背負う自信が無い。
他人は所詮他人だと思うし、悲しむのは、たぶん私。でも最近余り想像できない。
たぶんきっと、とても悲しいのだろう。でも生きているのがそれ以上に辛かったら?


妹の所だったら新聞の求人広告があるからもらってきたらどうか?スーパーでも求人誌とかあるのでは?と言ったんだけど、「そういうのは専門学校卒の条件がある」と言ってたよ、やっぱり専門学校でもこれから行かせないといけないのかな、と言うと、妹は「そんなこと絶対提案しない方がいいよ!」と言う。

「そしたら高卒の私は仕事が見つからないことになるでしょ?私の友達もみんなちゃんと働いてるよ。」と妹は言う。「お姉ちゃんからそんなことを言ったら、また何かあったらお姉ちゃんのせいになるよ。」と言う。

でも妹が、今の私の立場にあったら、本当にそんな風に突き放せるのだろうか。
私はそんな風にも考えられるようになった。

そしてすぐに変われることじゃない、きっと時間が掛かるから、そんな話をして適当に電話を切ったと思う。


石の上にも3年。

「本当はこうであればいいのに」と思うことは私には幾らでもあるけれど、そのほとんどが今の自分では解決しないことであることを、身を持って知る。20代30代はそうではなかった。子育てでも仕事でも、自分が動くことで幾らでも変わることができた。今はそういう年まわりではないのである。

いつか、今抱えている全ての問題が時間が経てば解決する日がくるのだろうか。
五十肩は言う、そんなものだと。

谷村新司の歌にもある。

涙濡らして落ちる 雨がやがて春を呼ぶ
都に雨の降るごとく今は静かに時を待て、だ。