車の中は泣くのに便利だ。
そこではどれだけ泣いても、すれ違う車の誰もが気がつかなくて、もし気がついたとしてもそれは私には関係なくて、さらに外には関係の無いいろんな人が流れていて、この適度な他人感がなんともマイルドでよい。そして案外1人で運転している人が多いんだ。
父の所に行くのが遅くなってしまい、今日はお茶の時間だった。
いつものように車椅子に座ったまま寝ている。
お昼にベッドから起きて、昼食の後こうして車椅子で寝ているのが父の毎日の生活らしい。
「娘さんがいらっしゃいましたよ」と看護師さんが言うと目をあけて返事をするので、寝てると言っても頭の中は起きているようである。ぐっすり寝ている時は起きもせず返事もしない。お茶をスプーンであげるとよく食べた。
そして、また目を閉じて軽く寝ている風。一日のうちのほとんどがこの状態で、いわゆるこれが「寝たきり」と言う状態なのだ。父の頭の中はどうなっているのだろう?「娘」と言う概念はもうとっくに失くしていると思われ、声を掛けて一瞬目を開けてハイなんて返事をさせるより、もうこのままゆっくり休ませてあげて良いのでは・・・毎回そんなことを思ってしまう。やはり今日もそうである。
隣でぼんやり座っている。
そしてこの5年間、「生きること」「命」そんなことを見続けてきた気がする。
すると担当の先生が来てくれた。「このところ状態は安定していますね」と言うので、「一時期のほとんど食べれなかった頃から比べると嘘のようです。」と答えると、あの頃は足に床ずれのキズがあって、そこから体全体に悪さをしていたのです、と言うような返事であった。
ここに入ってからも骨折したり、そんな傷が起こったり、本当にぐったりしていた時期も何度もありながら、こうして元気で(寝たきりではあるが)食事も取れるようになって、まだ生きているのである。
私は最近このホールに長らくいるのも違和感がなく、最初は頭のおかしいじいさんばあさんを見るのに耐えられなかった、そんな頃もあったのだなぁなんて思う。同じ患者さんが少しづつ入れ替わり、当初は誰より元気に見えた父だが、今は逆である。
看護婦さんが父のズボンを持ってきてくれた。ポケットがずいぶん破れてしまい処分するかどうかの相談である。ポケットを取ってしまえばまだ履ける状態なのだが、そちらで判断してほしいとのこと。それでは妹に相談してみます、と持ち帰ってきた。
そんなズボンだったら新しく買い替えるかなぁと思って電話してみると、「ポケットを取れば履けるのならそうしよう」と言うので、ポケットの糸をハサミで切ってみると、布地に穴があいてしまった。
それをチクチク縫いながら、こんなことができるのも今だけなんだろうなァなんて思っている。
やがては父も死んでしまうのだろう。
でも驚かないし、平然と受け入れるような気がする。
他の人には突然でも、私の中では5年間少しづつ始まっていて、もう突然のことではないからだ。
そういうお別れの仕方でいられることに感謝する。
そこではどれだけ泣いても、すれ違う車の誰もが気がつかなくて、もし気がついたとしてもそれは私には関係なくて、さらに外には関係の無いいろんな人が流れていて、この適度な他人感がなんともマイルドでよい。そして案外1人で運転している人が多いんだ。
父の所に行くのが遅くなってしまい、今日はお茶の時間だった。
いつものように車椅子に座ったまま寝ている。
お昼にベッドから起きて、昼食の後こうして車椅子で寝ているのが父の毎日の生活らしい。
「娘さんがいらっしゃいましたよ」と看護師さんが言うと目をあけて返事をするので、寝てると言っても頭の中は起きているようである。ぐっすり寝ている時は起きもせず返事もしない。お茶をスプーンであげるとよく食べた。
そして、また目を閉じて軽く寝ている風。一日のうちのほとんどがこの状態で、いわゆるこれが「寝たきり」と言う状態なのだ。父の頭の中はどうなっているのだろう?「娘」と言う概念はもうとっくに失くしていると思われ、声を掛けて一瞬目を開けてハイなんて返事をさせるより、もうこのままゆっくり休ませてあげて良いのでは・・・毎回そんなことを思ってしまう。やはり今日もそうである。
隣でぼんやり座っている。
そしてこの5年間、「生きること」「命」そんなことを見続けてきた気がする。
すると担当の先生が来てくれた。「このところ状態は安定していますね」と言うので、「一時期のほとんど食べれなかった頃から比べると嘘のようです。」と答えると、あの頃は足に床ずれのキズがあって、そこから体全体に悪さをしていたのです、と言うような返事であった。
ここに入ってからも骨折したり、そんな傷が起こったり、本当にぐったりしていた時期も何度もありながら、こうして元気で(寝たきりではあるが)食事も取れるようになって、まだ生きているのである。
私は最近このホールに長らくいるのも違和感がなく、最初は頭のおかしいじいさんばあさんを見るのに耐えられなかった、そんな頃もあったのだなぁなんて思う。同じ患者さんが少しづつ入れ替わり、当初は誰より元気に見えた父だが、今は逆である。
看護婦さんが父のズボンを持ってきてくれた。ポケットがずいぶん破れてしまい処分するかどうかの相談である。ポケットを取ってしまえばまだ履ける状態なのだが、そちらで判断してほしいとのこと。それでは妹に相談してみます、と持ち帰ってきた。
そんなズボンだったら新しく買い替えるかなぁと思って電話してみると、「ポケットを取れば履けるのならそうしよう」と言うので、ポケットの糸をハサミで切ってみると、布地に穴があいてしまった。
それをチクチク縫いながら、こんなことができるのも今だけなんだろうなァなんて思っている。
やがては父も死んでしまうのだろう。
でも驚かないし、平然と受け入れるような気がする。
他の人には突然でも、私の中では5年間少しづつ始まっていて、もう突然のことではないからだ。
そういうお別れの仕方でいられることに感謝する。