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原発被災者から学ぶ その2 ー被災者の声に沿った方向を1日も早く(K)

2012-07-04 | 震災と原発
前回からの続き

被災地の状況
 1年以上経っても福島県では先が見えないので再建できず、原発被災者は希望のない日を送っている。一時帰宅で見た故郷は、泥棒に入られていない家はない。K`s電気はガラスが割られて電気製品を盗られた。

被災地での仕事は
(Wさん)
 自分の会社は14~5人従業員がいた。須賀川に移ってから、本社がダイレクトメールで被災者にアンケートを送って、それが返ってくるので、アフターサービスが大事と仕事をやってきた。従業員は私の会社が再開すれば、働きに行きたいと言っているが、再開できないので仕事を辞めてもらった。従業員の再就職が頭から離れない。もう、地元で仕事はできないと思う。

原発防げなかったことは自分にも責任
(Sさん)
 原発災害は一夜にして暮らしを奪う。原爆と同じだ。一部ではなくすべてを奪う。
 再稼働を防げなかった。国にも自分にも責任がある。なぜそうなったのか検証が必要だ。3.11以降、私は優先順位を変えた。生きている限り(経済成長優先ではなく)家族の生活を第一にしたい。原発災害は誰にもさせたくはない。根こそぎ持って行かれる。犯罪なんてもんじゃない(それ以上の人災だ)。それに応じた運動が必要。
 東電は20mSv が休業補償の基準と言っている。それ以下では補償しない。賠償額は自賠責を基準としている。30日以上について、1日4000円。1か月120,000円/人。これは避難所での額。宿舎に入ると10万円/人になる。

こちらで仕事に就くのは大変
 この町に来て、被災者補償としてこの周辺の町も含めて就業があったが、1年が期限になっていた。まじめにやれば継続雇用になると思っていたが、1年で切られた。先が見えないので正規職員の口も応募できない。仕事を通じての生きがいが持てない。

地域とのつながりも持ちたいが
 地域とのつながりも持ちたいが、町内にどんな団体がどんなことをしているのかわからない。被災地で入っていた子どもの団体に子どもが入れれば、子どもの生活も地域に溶け込めると思うが、身近に相談できる人がいない。
 公設の住居だとベランダに防災上植木鉢を置いてはいけないなど、画一的な決まりがあって自分の家に住んでいた時より自由がない。仮住まいなので前から住んでいる人の決まりに意見は言いにくい。

原発被災者の話を聞いて -原発事故の被災者への方向性を早くー
 仮住まい故の、窮屈な、先の見えない暮らしが続いているのを感じた。国は原発事故の収束宣言を出したが、1年以上たってもまだ先が見えず、被災者は今後の生活の計画も立てられない不安な日々が続いている。原発被災地をどうしようとしているのか、被災者の暮らしと仕事をどうしようとしているのか、その時東電はどう賠償するのか、その方向さえ出ない中で原発被災者は落ち着かない暮らしを強いられている。被災者の声に沿った1日も早い結論を望む。